中長期のマーケティング戦略を考えるうえでの現状分析

オークション型広告の基本構造を理解する

ゴールの設定とKPIの設定まで完了すれば、いよいよオペレーションの開始となるが、その際の具体的なポイントについては、別章で議論するとして、本項では、デジタルマーケティングの中長期戦略を検討するうえで重要となるマーケティング環境の現状分析の視点について説明する。

まず、大前提として、デジタルマーケティングの基本的な仕組みについて、理解することから始めたい。デジタル広告による新規顧客獲得であれ、CRMによる既存顧客の活性化であれ基本的な考え方は同じであるが、マーケティングというのは、いつ、誰に、何をいうのかをコントロールすることで決まるのであるが、この効率をどれだけ良くするのかを決定するのは、この3要素に加えて、いくらコストを掛けるのかを加えた4つの要素を最適化することで決定される。一番分かりやすい例が、誰の対象が非常に少ないのに、大量のコストを投下してしまえば、顧客の獲得効率は普通に考えれば悪化する。具体的に極端な例で考えてみよう。今商品Aのターゲット顧客数が1万人であったとしよう。天才的なマーケターで、今回のいつ、誰に、何をいうのかは完璧にコントロールでき、顧客への転換率は100%であるとする。この場合、このマーケティング施策に100万円を投資した場合、顧客の獲得単価は100円になるが、1000万円投資してしまうと1,000円になる。つまり、ターゲットユーザー数が一定の場合、どんなにマーケティングキャンペーンが上手くいったとしても、顧客単価は投資額の量で決まってしまうことになるのだ。

棒グラフ:消化コスト、折れ線グラフ:登録CPA

ここで、以前に説明に使ったグラフを再度利用したい。このグラフはある会社のデジタルマーケティングへの投資額(消化コスト)と登録CPAの関係性を表している。この会社の場合、マーケティング予算=消化コストの増大にほぼ連動して登録CPAが増大していっていることが分かる。なぜこのようなことが起こるのであろうか?単純に言えば、ターゲット顧客数の増大ペース以上にマーケティング予算が増大していると考えるのが普通である。

この話をより理解しやすくするために、現在主流のデジタルマーケティングにおける価格の決定の仕組みについて考えてみることにしたい。これもおそらくリスティング広告の登場が切っ掛けだと記憶しているが、現在主流のGoogleを中心とするオンラインメディアの広告の価格決定のモデルはオークションである。実際にはもう少し複雑なロジックはあるのであるが、シンプルにいうと、Aという広告主とBという広告主が同じターゲットユーザーに広告を表示させたいとした時、どちらの広告を優先的に表示するかを媒体が決める基準は広告主が設定する広告の単価(単価を何について設定するかはサービスの設計や運用戦略に依存するので、詳細はメニュー毎に媒体や代理店に確認してほしい)の高低である。もちろん単価が高い方が優先的に表示される。多くの広告において、優先的に表示される方が、広告のクリック率(CTR)であったり、クリック後の転換率(CVR)が良い傾向があるため、広告主はCTR、CVRなど広告運用のKPIの改善のために適切な単価と表示位置の調整をして、広告のパフォーマンスを最適化しようとする。運用型広告と言われる広告の運用とは具体的に何をしているのかといえば、基本的なアイディアは上記のようなことである。

具体例:ECでお正月向けに蟹を売る!

このオークションモデルを前提に、もう少し突っ込んで広告の運用を具体例用いて考えてみよう。自分を水産加工品の販売事業者で、12月の正月前に冷凍の蟹をECで販売する購入者の獲得をするための広告キャンペーンを実施すると想定してみる。媒体はリスティング広告としよう。まず最初にすることは、広告を掲載するキーワードの選定となる。例えば、「蟹 通販」、「蟹 お取り寄せ」などは、まさに蟹をECで購入する消費者が検索している可能性が非常に高いため、このキーワードで検索された結果のページに広告が目立つ位置で表示された場合は高い購入転換率が見込まれる。次に、「蟹」というキーワードではどうだろうか?蟹に何らかの興味があることは確かだが、蟹が食べられるレストランを知りたいのかもしれないし、蟹を食べに旅行に行きたいのかもしれない。要するに、蟹には興味があるがEC購入に興味があるかどうかは不確かである。この場合は前述の「蟹 通販」などのキーワード群よりは購入転換率は低くなると考えられるため、このキーワード群のオークション価格の設定は当然低く設定する。今回は広告予算が100万円で、この二つのキーワード群のみで無事予算を消化でき、1000人の購入者を獲得、購顧客の獲得単価は1000円ということになった。購入単価かが1万円程度だとすれば、なかなかよさそうなパフォーマンスである。

翌年の12月に、昨年の成功をさらに拡大するために、広告予算を200万円にして、同じキーワード群に投資をすることにした。ところが今年は購入者数は1500人で、獲得単価は1,333円ということになる。何が問題なのか?何らかの外的要因で昨年以上に正月に蟹を食べるブームでも起こっていない限りおそらく前年と2つのキーワード群で検索をする消費者の数は同程度であると考えるのが無難である。そこに倍の予算を投下してしまえば、一消費者に投下する予算が大きくなるため、広告単価が上がるのはある意味当然である。この場合によくやることは、予算の増大に併せて、購入するキーワード群の増大を検討することとなる。候補は「水産物 通販」「水産物 お取り寄せ」など、蟹の上位カテゴリーワードと通販系のワードの掛け合わせであったり、「正月 食事」「正月 おせち以外」など、蟹に限らず正月の定番のおせち料理以外に何か考えないといけないと思っている消費者系のキーワードが良いかもしれない。これらのキーワードであれば、「蟹」単体キーワードよりは購入転換率は高そうなので、「蟹 通販」のキーワード群と単体キーワード群の間くらいの単価設定は可能そうである。

という反省をもとに翌年は200万円の予算で、4キーワード群でチャレンジしてみたところ見事獲得単価1000円で2000人の購入者を獲得出来た。

翌年も同じ予算とキーワード群でキャンペーンを実施した。ところがなんと購入者は1000人しか獲得出来ず、獲得単価は2000円に倍増してしまった。何が起こったのだろう。ニュースなどの報道を見る限り、正月に蟹を食べないキャンペーンなどで蟹の需要が前年比で半分になったような兆候はない。ところが、この1年を振り返って、一つ思い当たることがある。夏の業界の集まりで、親しい同業者に、正月向けに通販をしたら結構儲かる、大体200万円でこんな感じで広告をしたら、一人1000円くらいのコストで獲得できて、1万円分くらい買ってもらえて、結構儲かるという自慢話をしてしまった。その同業者に聞いたところ、案の定自分の話を参考にほぼ同様の広告を200万円分代理店に頼んで購入したらしい。

この事例を活用して、この水産加工会社が、順調に12月の蟹の売上をデジタル広告を活用して増やす方法を考えてみよう。前提として12月に蟹を通販で購入する需要は毎年一定であるとする。

一つ目のオプションは1)購入するキーワード群を増やす、2つ目のオプションは2)広告予算を増やすの2つであるということが分かる。但し、広告のパフォーマンスを維持しようと思うと、それぞれに限界があることが分かる。

オプションの1)については、そもそも蟹の購入者が検索しそうなキーワードの数には限界があるということだ。広告の担当者は、蟹を購入する人が検索しそうなキーワードを思いつく限りリストアップして、購入するのが一般的である。しかし、事例で紹介した4つのキーワード群よりもターゲットから関連性の低そうなキーワードほど購入転換率は低くなるため、そのようなキーワード群から大規模な購入者数の確保は難しい。そう考えると、キーワードは無限に増やせるというのは不可能で、どこかの時点で限界は来る。

オプションの2)については、どうだろうか?広告予算は、無尽蔵にお金があるのであればいくらでも増大させることは可能であるが、今回の事例を見ると2つの問題があることが分かる。一つ目の問題は、同一のターゲット=キーワード群に対する自社予算を増大させると顧客の獲得単価は上昇してしまうということである。二つ目の問題は、たとえ自社の広告予算を増大させず、ターゲットも変更しなくても、競合企業が予算を増大させても顧客の獲得単価は上昇してしまうということである。つまり、同一のターゲットに対する顧客の獲得単価は自社の広告費用ではなく、市場全体の広告費用により単価が決定されるということになる。

このように、現在主流のオークション型のデジタルマーケティングの広告においては、価格はターゲットボリュームとそのターゲットに投下される市場全体のコストのバランスで決定される。実際には、広告クリエイティブのクオリティなど、もう少し複雑なロジックがあるが、まずその辺は応用編として、ここでは無視することにする。ここまで説明すると、株式投資をしている人や、経済学を勉強したことがある人が聞くとピンと来るのであるが、オークション型の広告というのは、非常に合理的な完全市場経済モデルに近いプラットフォームであるということができる。このため、市場の需要(投下コスト)と供給(ターゲットユーザー数)の推移を正確に予測することが可能になれば、パフォーマンスの予測がある程度可能になるということになる。

マーケティングの中長期戦略の土台は現状の市場分析から

ここまでで、現在主流のオークション型のデジタル広告の仕組みはご理解いただけたと思うが、では実際に中長期のKGI、KPIを達成するために、マーケティング部門の責任者がしなければいけないことを考えてみたい。

まず、第一に考えなければいけないのは、自社が向き合っている市場の現状の把握をする必要がある。蟹の通販の事例で言えば、初年度の競合もいないようないわゆるブルーオーシャンな市場なのか、最終年度の競合が積極的に投資をしてくるようなレッドオーシャンに近い市場なのか?自社の広告運用チームが購入している広告のターゲットユーザー(キーワード群)はこれ以上広げることは出来ないのか?もし拡大が可能であるとしたとき、そのセグメントユーザーの獲得単価は許容範囲の適切な単価でおさまるのか?

では、それはどのようにすれば分かるのだろうか?結論から言えば、自分のマーケティングチームが日々回しているPDCAの一つ一つの仮説の検証プロセスのデータを見ながら、どういうアクションに対して、どのような結果が市場から返ってくるのかを継続的に見ながら理解していくしかないと私は考えている。先ほどの蟹の例は現実を極端にシンプルにしているので分かりやすいが、多くの広告運用のチームでは、同時並行で大量の仮説の検証が行われている。そこから得られる大量のデータが、市場状況を知るための唯一にして、最大の武器であると私は考えている。

このような話をすると、よく聞く質問が、広告代理店に提案してもらえばいいのではというものがある。もちろんそれも一つの手段であると思う。ただ、自分でその市場環境の理解がないマーケティングの責任者が、代理店の提案を聞いて、その提案の実現可能性をどのように判断するのか、私は非常に疑問である。つまり、いくら代理店にアウトソースするからといって、マーケティングの責任者は自社事業が置かれているマーケティングの環境についての理解が必要ないということはあり得ない訳である。

ちなみに、少し話はずれるが、私は全く私の経験がなく、市場環境の理解がない状況代理店の選定を依頼された場合、プレゼンの内容の細かい数字に現実味があるかどうかは余り気にしないようにしている。なぜなら、正直に分からないからである。そのような場合の選定基準は、運用担当チームの人で選ぶしか方法はないと思っている。経験上、1-2時間話をして、突っ込んだ議論をすれば、その人物の運用スキルの判定くらいはそれほど外さずにする自信はあるので、全く肌感覚のないマーケットの市場予測を考えるよりもよほど精度が高いと思うからだ。もちろん、代理店によっては対象の市場の運用経験値が高く、市場理解も深いということは、特に未経験の市場に進出する場合にはあるので、付加価値がないと言っているわけではないので、この点は誤解しないでいただければと思う。

具体例パート2:蟹を3倍売ろう!

市場の把握、分析がここまでで何とか出来たとして、いよいよ第二のステップとして、中長期の戦略を考える段階に入る。あくまでスタート地点は現状分析である。最初に確認すべきは、中長期の事業計画の成長スピードである。もちろん問題になる、かつ、多くのマーケティングの責任者が直面するケースは成長スピードが早い場合ある。もちろん緩い計画よりも、厳しい計画の方が実現難易度は高い分けであるが、難易度の高さと成長スピードは必ずしも比例しない。なぜなら、難易度と取るべき戦略は、現状認識において異なるため、一概に成長スピードが高いからといって難易度が高く、現状と戦略を変更しなければいけないとは限らない。

また、蟹の通信販売の事例で考えてみよう。仮に、1年目の成功を見て、翌年は倍ではなく、3倍の成長を立てたとしよう。この状況であったら取るべきオプションはどのようになるだろう。1年目の市場状況は、1)キーワード群に拡大余地はあり、ターゲットユーザー数の拡大は可能な環境である、2)競合の参入もそれほど激しくなさそうである。私であれば、この状況であれば3倍の計画に対して、現状の手法のまま、キーワード群の拡大と予算増と、獲得単価据え置きでチャレンジしてみる判断をする気がする。事業計画作成担当者に、1年だけのデータだけでは出来ないと否定する根拠もないので、出来ないという理由がないからである。結果的に実現出来ないかもしれないが、私は可能性があるのであればチャレンジしないと事業の高い成長スピードはそもそも実現しないという考えである。

では、2年目に同じ3倍の計画を要求されたらどうであろう。この時点では、1)同じターゲティングで予算を倍にすると33%獲得効率は悪化する、2)競合の参入は引き続き激しくない、という2点が市場環境の変化である。この場合は、前年より手元にもう少し情報があるが、どのように判断するだろうか?分かっているのは、ターゲットを拡大せずに予算を3倍にしたら、100%獲得効率は悪化する。であれば、獲得効率を維持するためには、キーワード群を拡大するしか方法はない。その場合、どの程度の予算増までは今の効率を維持できるが分かる方法はあるだろうか?おそらく一番良い方法は追加できるキーワードのリストを作成し、そのトラフィック量を媒体のツール等で取得し、そのCVRは同程度と推定されそうなキーワードのレファレンスデータを決め、それでどの程度拡大できそうか予想するということだ。結果論だが、前回の事例は、翌年キーワード群を2つ追加することで倍のコストでCPAは維持できたため、もう少し追加できるキーワードを検討すれば、3倍までいけるかもしれない。

次に、3年目に同様に3倍の計画を要求された場合を考えてみよう。この時点の所与の条件は1)キーワード群を2つ追加したことで倍の予算までは効率を維持できた、2)競合の参入はまだ把握できていない。この状況で考えることは、前年同様にさらにキーワード数を増やしてターゲットユーザーを拡大することで、効率を維持できるかという判断である。ここで、現場から、もうこれ以上有望はキーワードの追加は難しいと悲鳴が上がった。この場合のオプションは何であろうか?選択肢は3つくらい考えられる。1)その計画は実現性がないと断る、2)顧客獲得単価はある程度上がることは許容するが売上が増大可能な目標を再検討する、3)正月の蟹の需要を増やすための別キャンペーンを検討して予算を使う。

3)については、Full Funnel Marketingとして別章で詳細に検討するため、ここでは、1)、2)について考えてみよう。1)についてはマーケティングの目標としては楽になるかもしれないが、残念ながらこのような主張がすんなり通ることは経験上少ないし、無理ですというだけであれば、誰でもできるので良いとも思わないので、どうしようもない時の最終手段に取っておこう。そうすると、現実的には2)になる気がするし、私もよく使う手である。ただ、CPAがある程度上がるとしても、どの程度まで許容されるのかは計画作成部門と明確に握っておくことをお勧めする。予算を3倍にしたときに、CPAも3倍になる計画は、馬鹿げた計画である。例えば、予算3倍で、CPA1.5倍であれば購入者数は倍になる計算だ。この辺りは、事業の原価率とか広告宣伝費率など総合的に検討して、売上増とマーケティングの効率悪化のバランスをマーケティングだけでなく、全社的な視点で検討して決めていくしかない。

実は、オプションは3つ提示したが、隠れオプションとして、出来るといって承諾して帰ってくるというものがある。私はこれを気合プランと呼んでいる。つまり実現性が全く合理的でないプランである。当然このような判断はデータドリブンではなく、現場に苦しみを背負わせるだけの、マーケ部門の責任者としては無責任極まりない判断なので、出来る限り避けるべきであるのは言うまでもない。

正しいマーケティングオペレーションは正しい事業計画から

ここまでで、事業計画を実現するための、市場の現状分析と、現状分析の結果を踏まえたその時々の計画のプランの方向性の立て方を仮想の具体例を用いて説明した。いかに市場の現状分析の把握が重要かご理解いただけたであろうか?

この前提にたった時、私が見てきたマーケティングの責任者の典型的な悪い例を二つほど挙げて、本項を終わりとしたい。一つ目は、市場の現状分析についての現場担当者の意見を鵜呑みにして、その分析の正しさを自分の頭で検証、理解しないパターンである。そのような人は、おそらく日々のオペレーションの中で市場の情報をきちんと入手して自分なりに分析・評価していないか、そもそもその能力を有していないかであろう。二つ目は、そのような市場の現状分析を他のマネジメントのメンバーにきちんと説明・共有せず、結果の良し悪しだけでマーケティング部門評価がなされるような環境を作ってしまっているパターンである。このケースは、そもそもマーケ部門の発言力が低いか、責任者が市場の現状分析を理解していないか、その説明の重要性を認識していないかである。

ここまで読み進んでくれた方であればご理解いただけていると思うが、マーケティングというのは、市場の需要と共有のバランスでパフォーマンスが決まる要素が強いため、計画達成率の良し悪しは、マーケティング部門の戦略・オペレーションの良し悪しと市場の需給バランスの2つの要素で決まる。前者の戦略・オペレーションに問題がないのに、計画未達が続くような状況は、はっきり言って現場が悪いのではなく、計画を作ったマネジメントの責任である。そのようなことにならないためにも、マーケティングの責任者はどのように自社の市場を継続的に理解し、現状分析に基づいた中長期戦略や事業計画の策定をする努力に全力を注ぐべきである。