リーダーが設定する限界値の重要性

三木谷さんが良く言っていた「徹底力」の重要性

自分のビジネスのポリシーというか、取り組み方というのか、正しい表現は分からないが、少なくても、仕事をするうえで大切にしていること、信じていることを考えていると、最初に働いた会社のカルチャーというか、教えのようなものがいかにDNA的に自分の中に組み込まれているかということを、歳をとってくると実感する。私の場合は、それが楽天という幸運にもその後大きく成長するスタートアップで、その経営者である三木谷さんという人の比較的近くで仕事をさせてもらった経験なので、特にその影響を強く感じるのかもしれない。

最近、いろいろな方とお話しする機会が増えてきたが、楽天・三木谷さんの教えで、私がいま改めて大切だと思っている仕事をする上でのスタンスを表現する言葉に「徹底力」という言葉がある。ハッキリ言うと、私自身はいい加減な性格で、飽きっぽい部分もあって、特に楽天にいた30代半ばくらいまでは楽天内の水準では、徹底力っぽさが寧ろなくて、会社内で浮いている存在であったのではと自覚しているが、一歩楽天の外の世界を見てみると、改めて三木谷さんが言っていた事の重要性を認識するのである。

PDCAの精度が視える化できないという問題

このブログで一貫して話していることにデジタルマーケティングにおけるPDCAの高速回転とその精度アップがある。AI化が進む中で、そんな地味なことを人間がやる必要があるのかという人がいるかもしれないが、私は絶対に間違いのない真理だと考えている。ただ、この高速回転と精度アップという2つのキーポイントの難しい所は、言葉でいえば総論賛成で、反論の余地もない話なのであるが、ではそれを実践しましょうという段階においては、どの程度やれば良いのかが視える化されにくいため、自分の立ち位置を認識しにくいという事がある。現在コンサルタントの仕事をしている立場で、クライアント企業に対して、「御社は、マーケティングの〇〇に改善余地が大きいと思われます。このため、施策Aについて、詳細にデータを分析し、その結果に基づいて継続的にPDCAを回し、精度をあげることで、マーケティング効率が△%改善することが見込めます。」みたいな提案をしたとする。そして、私がその部署のマネジメント責任者であれば、そこまで持っていける自信があったとする。しかし、数か月後に「あの施策、言われた通りにやってみたのですが、仰る通りには改善しませんでした。社内で施策Bを優先的にやってほしいと要望があったので、当面そちらにリソースを割くことにします」みたいなことを言われて、改善が実現しないことが少なからずあったりする。もちろんそれは、私のコンサルタントとしてのスキル不足、未熟さが最も大きな原因であるわけだが、事業会社でマーケティング責任者をしている立場と、外部から第3者的な立ち位置で業務改革・改善をおこなう立場での仕事の仕方の違いに戸惑いを覚えることも少なくない。

この事例で私の提案が結果に結びつかない原因は、提案の中の「継続的にPDCAを回し、精度をあげることで」の部分の精度のレベル感の問題であることが大半である。例えば、自動車のミッションであれば、1速から6速までというように、ギアが6種類あって、それぞれでタイヤの回転速度をロジカルにコントロールすることが可能である。それは2つの歯車の歯の数による単純な割り算の問題だからである。一方で、PDCAの精度というのは、残念ながら視える化することが難しい。PDCAの精度を決めるのは、P、D、C、Aそれぞれの企画・実行精度の積み重ねであるため、総体として5段階の5まで精度を上げてくださいということが非常に難しいのである。

PDCAの限界値を正しくマネジメントするための3つのポイント

では、この曖昧な「どのくらいまで精度をあげられるのか?」をどのように認識し、チームに伝えれば良いのであろうか?この実現のポイントは主に3点である。

  • チームのリーダーが精度向上の到達可能点を見極められる
  • PDCAサイクルの回転状況を観察し、到達可能点に達しているか否かの見極めが出来る
  • PDCA精度の到達可能点と現状のGAPを認識し、その差分を改善する期間を正しい目標設定としてチームに提示する

この3点を正しく実行出来れば、チームのPDCAサイクルの精度は正しい水準まで改善出来る可能性が高くなる。ひとつずつ細かく見ていくことにしよう。

チームのリーダーが精度向上の到達可能点を見極められる

陸上の100メートル走でも、野球のピッチャーでもそうであるが、人間というのは、見たことのない世界、経験したことのない世界というのは現実的に到達可能な設定目標として考え、それに向かって努力することは困難である。例えば陸上の100メートル走で誰も10秒を切ったことがない状態で、9.5秒の記録を目指して練習することはしないであろう。まず、9.9秒を目標にするはずである。プロ野球のピッチャーも誰も170キロの急速を実現していない段階で、180キロを目指して練習をすることはないであろう。しかし、一方で、ひとりが10秒を切るタイムを100メートル走で記録すると、9.9秒台の記録は人間に実現可能な領域であることが分かり、一気に複数人が9秒台の記録を実現したりする。

このような状況は、何もスポーツに限った話ではない。私は人間というのは、自分や自分の周りで実現できたこと、経験できたことの最高値をその行為の限界点であると認識して、リミッターをかけてしまいやすい傾向があると思う。最初に例に出したスポーツの記録というのは、明確に数値化して提示されるので、広く一般にその限界値が提示されやすい。しかし、ビジネスというのは、例えば車の馬力などのように製品スペックや営業部門の一人当たりの売上額のように数値化が出来るものもあるが、ここで議論しているようなPDCAの精度のような数値化が困難な行為については、客観的なレベル感を提示することが難しい。ただ、上述のように、自分が経験したことについては客観的な表現は出来なくても、感覚的にもっと改善できるのか、現状がすでに改善の限界値に近いのか判断は比較的正確に出来るものだと思う。

チームのリーダーの経験の最高到達地点がチームの目標設定になる

では、あるマーケティングチームが目指すことが可能なPDCAのオペレーション精度の向上の限界値とは何で決まるのであろうか?私は、そのチームの構成員の誰か1名がそれまでに経験した最高地点がそのチームが到達可能な限界点になると思う。そして、そのチーム構成員の経験の最高地点というのは原則としてそのチームのリーダーのものであることが望ましい。

その理由は、リーダーの設定限界点というのは大抵の場合そのチームの設定目標の基準となる。なぜなら、チームのパフォーマンスの責任をもつリーダーは、自分が実現可能だと思えない目標には基本的にコミット出来ないからである。私は自分の未経験の領域までPDCA精度をあげなければ実現できないような過剰な目標にコミットするリーダーには問題があると考えている。この種のリーダーの問題は、①単純に無責任であるということと、②実現の方法論を持たないため多くの場合部下への接し方が精神論になり、ある程度を越えるとパワハラとも受け止められかねないマネジメントになりがちになることである。

そして、リーダーの経験値が他のメンバーの経験値より低く、チームの最高到達点があるメンバーの最高到達点よりも低く設定されてしまうと、そのチームはメンバー全員のパフォーマンスをフルに引き出すことが出来なくなる。より高みを知っているメンバーは、目標設定が低い職場環境を「緩い職場」「楽な職場」と認識し、100%のパフォーマンスを発揮しなくてもハイパフォーマーとして評価されてしまうのである。これは、チームマネジメントの視点からは無駄が発生してしまっていることを意味し、健全な状態とは言えなくなる。

このように考えると、ある組織というのはリーダーに最も豊富な経験があり、そのリーダーが過去に経験した最高レベルの業務精度水準が、最終的なチームの基準となるということである。

PDCAサイクルの回転状況を観察し、到達可能点に達しているか否かの見極めが出来る

リーダーがチームが到達可能な最高到達点を目標として提示した後は、いよいよチームがその目標に向かって日々の業務をするわけであるが、その段階で重要なのは、正しく現時点の改善度合い、業務精度のレベルを見極め、それが目指すべき目標を頂上としたときに、何合目にいるのかを見極めるという事である。

 この見極めは当然、その山の頂上まで登ったことのある人でなければ判断できず、それは前段の議論のとおりできるだけチームリーダーが担うべき役割であるといえる。別に登山が趣味なわけでもないので、登山を例に話すのが適切かどうかわからないが、一つの山を登る行程というのは、必ずしも均等な困難度合いで、一本調子で頂上に向かって進んでいけるわけではないであろう。勾配が急になったり、足場が岩場で登りにくくなったりと、状況が変化し、進みがスローダウンすることもあるであろう。おそらく、登山のガイドというのは、顧客の体力、登山経験に応じて、頂上に到達するための適切なペースや休憩の取り方など、全体のルートの状況を、自己の経験に照らしてコントロールしていく仕事であるはずである。

 PDCAのマネジメントにおいても全く同じことがいえる。まずビジネスのPDCA、改善活動というのは一本調子に進むことはまずない。もしそのような状況で改善が進むとすれば、それはよほど改善の余地が大きな状況であったか、そのチームがすばらしく優秀かのどちらかである。

PDCAを進めるにあたって重要なのは、いま改善が停滞してしまっているのが、頂上に到達してしまい先に進む道がそもそもないのか、単純に傾斜が急になり進むことが困難であるのかの判断を正しくすることである。そのためには当然、その山の頂上の景色を知っていることは必須であるし、その景色と、今いる地点の景色を見れば、今自分が行程のどの地点におり、進むことが可能なのかどうかを正しく判断できる必要がある。

上述した、私のクライアント企業のように、私が可能と判断して提案した改善提案に対して、実現できなかったと途中でやめてしまうパターンは、多くの場合、改善の停滞ポイントを、改善の限界ポイントであると誤った判断をして、途中であきらめてしまうというパターンである。

もちろん、上に行けば行くほどどんどん傾斜がきつくなるような厳しい山もあるにはあるが、私の経験上その停滞ポイントの問題を解決するブレイクスルーが実現できれば、結構その先に改善が再加速するようなことも珍しくなく、小さな困難に直面してあきらめない姿勢は重要であるし、それを正しく判断できるリーダーの役割は特に重要であるといえる。

PDCA精度の到達可能点と現状のGAPを認識し、その差分を改善する期間を正しい目標設定としてチームに提示する

仕事の目標というのは、Goal設定と同時に、それをいつまでに実現するのかというスケジュールの設定も当然重要である。先に使った登山の例でいえば、下山するまでのスケジュール設定が正しくできなければ、必要な装備や、持っていく食料の量などを決められないからである。雪山で軽く日帰りのつもりで登りだし、何とか頂上まではいけたが、暗くなってしまった。それなのに、日帰りのつもりであったのでテントも食料も持っていないなどということになれば、それは完全に遭難である。

ビジネスにおいては、さすがに遭難して、命にかかわることはないかもしれない。しかし、ビジネスには予算であったり、そのプロジェクトに使えるリソースであったりなど、PDCAによる改善活動において実現されるべき目標に対して与えられる所与の条件は当然存在し、それが実現しないとプロジェクトがクローズになってしまったり、最悪の場合会社が立ち行かなくなってしまったりする。

このため、PDCAをマネジメントするリーダーには、到達する目標と、現状のGAPを正しく測定し、そのGAPの大きさと、そのGAPを埋めるために必要な工程をメンバーに提示することで、PDCAのプロセスを正しくマネジメントしていく必要がある。

もちろん、リーダーも人間であるし、ビジネスというのは刻々と状況が変化し、必ずしも過去の経験値通りにPDCAが進まないこともあるので、最初に提示した工程表が完ぺきに正確である必要はないし、それを求められても実現できる人はおそらくいない。しかし、その工程表をみて、論理的に考えて到底実現不可能のなものであるとメンバーに思わせてしまったり、逆にめちゃくちゃ楽な工程であるととらえられたりしてはいけない。どちらの場合もチームメンバーのモチベーションにかかわり、チームのポテンシャルを十分に引き出せなくなる可能性が大きい。

リーダーは、Goalと現在地の正しいGAPの測定を行い、その工程とスケジュールをチームに提示し、正しいスピードでPDCAが回せられる環境を作らなければならない。

「徹底力」というのは精神論ではない

ここまで見てきてわかるのは、徹底力というのは、何も気合の話、精神論ではない。正しいリーダーシップのもと、目の前に立ちはだかる困難を解決できるものと信じて立ち向かい、停滞を乗り越えて問題を解決していくという継続的なPDCAの回転によって実現するものである。私が見てきた多くの事例において、事業がうまくいっていない事例というのは、このPDCAを粘り強く回転させ続けることができていないことが大部分を占めると考えている。わかりやすくいうと、「みんな(競合も)このくらいやっていると聞いたので、このレベルまで改善しました」というスタンスで良いと思ってしまっている姿勢が問題なのである。

当然、競合の過去の情報を参考にすれば、その競合が正しくPDCAを回していれば、現在の彼らはその先を言っているわけだし、そもそも周りと同じように普通にやっていては、その事業が対競合比で差別化ポイントを作り、高い利益を上げることなどできるわけがない。要は、「普通」では利益など出せないのである。三木谷さんが言っていた「徹底力」というのは、チームが正しい経験値を積み、限界値をどれだけ高められるかを一歩ずつ進むプロセスのことを言っているのだと思う。そして、そのプロセスを継続的にマネジメントすることが出来さえすれば、一時的に成長スピード、改善スピードが落ちたとしても、最終的には競合が到達できないような高みにまでたどり着けるという話なのだと思う。