マーケティングの2大潮流

フィリップ コトラー大先生

最近の大学生や大学院生はどうなのかは知らないが、私が大学院にいた1998年頃(すでに前の世紀。。。)にマーケティングの授業で使われる教科書といえば、おそらくほぼ一択で、フィリップ・コトラーのマーケティング・マネジメントという本であった。私は大学院に願書を提出する際の研究計画書を作成する前にこの900ページくらいある気の遠くなる本を何度も挫けそうになりながら完読し、今度大学院の授業で、英語の原書を買わされ、大嫌いな英語で読まされるという苦行を体験し、すっかりコトラー大先生が嫌いになるという素晴らしい体験をした。

というのは、おそらく多くのマーケティングに、格好よく、楽しそうなイメージを抱く多くの学生の通過儀礼のようなあるある話な気がするが、私はマーケティング・マネジメントに書かれているマーケティング手法を伝統的マーケティングと呼んでいる。(私が本書を読んで以降、何度も改訂されているので、最新版はそんなことなければ、その点はご容赦いただきたいが、最新版の目次を見た限りでは、おそらくそんなに変わっていないと思う。申し訳ないが、50歳を前に、もう一度あの苦行にチャレンジする気力はない。)

これに対抗するマーケティングの手法がデジタルマーケティングであり、その違いについて様々な議論がなされているが、ここでは私なりの理解と、私が感じる大きな違いについて紹介できれば思っている。

外資系消費財メーカー=伝統的マーケティングの洗練された実践

私がこのことを深く考えるようになった切っ掛けは、大手ゲーム会社とトライトでの経験に起因する。両社において私はCMO(的な)という立場で仕事をしたわけであるが、実は私の前任者はマーケティングを生業にしている人であればすぐに思いつくような外資系消費財メーカーでマーケティングをしてきた方であった。お二人とも個人的には全く、もしくは、ほぼ存じ上げないので、ここで前任者の方の個人の能力について言及するわけではないことはくれぐれもご理解いただきたい。

その前提で、なぜ自分に両社でマーケティングの責任者のポジション就任への依頼があり、大手ゲーム会社で5年半、トライトで3年半そのポジションを継続し、自分としては胸を張れるくらいの成果を出すことができたのかを考える分けであるが、私なりの結論は次のようなものである。

私の知る限り、外資系消費財メーカーのマーケティングの担当者は2000年前後からブランドマネージャーというタイトルで呼ばれるようになり、単純な宣伝担当者ではなく、商品=ブランドの戦略立案から宣伝広告活動までを一貫して行うようなポジションとして明確な位置づけで活動するようになった。その仕事はまさに、コトラーがマーケティング・マネジメントで説いている手法そのものであり、長い伝統の中で洗練され続けてきたマーケティング手法が最も洗練されている形で実践されている企業群なのだと思う。その証拠に、いくつかの外資系消費財メーカーのブランドマネージャーの出身者はプロフェッショナルなマーケターとして非常に高く評価され、実際に多くの企業で活躍されている方もたくさんいる。そのような事実から考えても、いくら私がデジタルマーケティングを中心にキャリアを築いて来たからといって、伝統的マーケティングを否定しようなどという思いは微塵もない。

伝統的マーケティング=販売前に大規模投資を企画する手法

その上で、なぜ私がマーケティングの2潮流などと大げさな話をしようとするのかと言えば、デジタル化されて現在のビジネス環境において、私の2社の経験のように明らかに伝統的マーケティングの手法が適さないビジネス環境が存在すると考えているからだ。

私はアカデミックな人間でなく、実務家であるので、世の中のマーケティングの議論をフォローしているわけではないので、同じような議論をされている方がほかにいらっしゃったらご容赦いただきたい。

私は、マーケティングの手法というのは基本的には流通チャネルに依存して決定される要素が大きいと考えている。一般的に伝統的マーケティングの手法の発展において中心的な役割をはたしてきた消費財メーカーの流通チャネルというのは、スーパーや百貨店、量販店やホームセンター、コンビニなどのいわゆるリテール・小売店が中心となる。一方で、私が経験してきた3社のビジネスモデルは扱う商品・サービスに、ECであったり、旅行や金融商品、ゲーム、人材サービスと違いがあれど、顧客の獲得から購入、利用継続までのプロセスを自社で把握できるダイレクト型のビジネスである。

まず、私の少ないゲームソフトのリテールビジネスの経験をもとに、リテールビジネスの成功の要因を考えてみたい。新しいゲームソフトを作る時の最初のステップは企画である。どのようなコンセプトのタイトルを作るのか、そのタイトルを作るのにどのくらいの費用と期間がかかるのか、そのコンセプトで商品を作るとターゲットのユーザー数はどの程度で、売上見込みはどのくらいなのか、その売上見込みを実現するためにはどのくらいの広告宣伝費が必要なのか?ちょっと思い返しただけでも、ゲームの企画を立ち上げる段階でこの程度のことは検討すると思う。もちろんすべての要素について、一つ一つ正確に予想することにより企画の成功確率は向上していく。最近の家庭用ゲームはグラフィックやCGが高度化し、ユーザーの要求レベルもどんどん高くなるため1タイトルを新規で作ろうとなると数千万円という制作費であることはほとんどなく、数億円から数十億円という規模の開発費をかけることになるため、如何に各要素の予想からリスクを排除できるかが会社の事業成績を左右することになる。

具体的には、市場の分析を行い、市場セグメントやターゲット顧客を明確化する、それを実現するための商品開発を行い、マーケティング・コミュニケーションの戦略を考える。まさに、コトラーの教科書通りの手法である。では、最終的に売上が計画通りになるかどうかというのは、どのように決まるのだろうか?

(もちろんゲームのようなエンターテイメント商品においては、「面白さ」という商品開発時のロジックとは異なる要素に左右される部分はある。いくらマーケティング的な分析を精緻にして、ビジネスプランの精度を上げたとしても、結果的にコンセプト通りかそれ以上の「面白さ」が実現するかどうかというのは出来てみないとと分からず、それが一番売上を左右したりする。しかし、ここではコンセプトの実装レベルは想定通りいく前提で話をする。)

その上で、最終的にその商品がどれだけ売れるかを最終的に左右するパラメーターが何かの議論に話を戻す。私はあえて一つに絞れと言われれば、それはリテールの店頭における棚取りで、どれだけ大きな面をどれだけ良い場所で確保し、顧客の目に触れ、手に取りやすい状態にできるかであると考える。なぜなら、どんなに利便性が高く、競合商品との差別化が明確で、マーケティングコミュニケーションが成功して話題になっていたとしても、店頭に商品が並んでいなければ商品の売上は上がらないからである。

大手ゲーム会社時代の私の部下の一人は前職で超有名アパレル流通企業でマーケティングをしていたのだが、その会社でマーケの担当者が社長から最も厳しく指摘を受ける状況は広告費を使っているのに生産量を読み違え、店頭で欠品が発生する状況だと話していた。この話など、正に棚取りが重要という典型だと思う。

という最終ゴールから逆算して考えると、競合分析をして、商品のポジショニングを決め、それにあった商品開発を行い、それを正しく伝え顧客に使ってみたい、買ってみたいと思わせるマーケティングコミュニケーションをするという行為は、商品が発売する前に、リテール企業の仕入れ担当者にどれだけその商品が売れそうかという期待感を説得するための材料であるといえる。

そして、ここで非常に重要なポイントは「発売する前に」ということでである。リテール流通を前提としたマーケティングは実は商品の発売前にプランを作成し、販売開始時に大規模な広告投資をすることが非常に多い。今では減ってきているのかもしれないが、5-6年くらい前であれば、リテールの仕入れ担当者にメーカーの営業担当者が、「この商品は当社としても社運をかけて発売する商品で、新商品発売開始時にTVCMを〇〇億円出稿するので、間違いなく話題になります」というような営業トークをするようなこともあるし、それに慣れたリテールの仕入れ担当者から「そもそもTVCMとかいくらくらいするの?」みたいな質問を受けてしまうようなこともある状態であった。

もちろん、発売開始時のマーケティングキャンペーンが成功し、実際に商品が売れたことによって、発売後にマーケティング予算が追加され、さらなる売上拡大を図るということは当然ある。ただ、私の経験上(特にパッケージのゲームはそうなのだが)、新商品発売時にコケた商品が、その後リカバリーして大ヒットするという例をほとんど知らない。なぜなら、多くの場合、新商品発売時に売れなかった商品はキャンペーンが終わるや否や急速に売り場スペースが縮小され、そもそも消費者の目に触れる機会が激減し、マーケティング費用も削減され、新商品発売時点よりあらゆる面での露出機会が減るからである。そのため、メーカーとしては、発売開始時に大規模なマーケティングキャンペーンを一度は実施せざるを得ないことが多いのである。

ただ、これはやったことがある人であれば同意していただけると思うが、どんなに綿密なリサーチをして、戦略を考え、コミュニケーションプランを策定しても、まだ1つも売れた実績のないものに大規模はマーケティング投資をするというのは非常に不安なものである。そして、伝統的なマーケティングの手法とは、マーケティングの担当者のこの不安を払拭するために作り上げられた手法であると言えると私は考えている。

デジタルマーケティング=発売前からPDCA

これに対して、私が主戦場としてきた、ダイレクト型のビジネスというのはリテール型のビジネスと比較してどのような違いがあるだろうか?

リテールをゲームソフトのパッケージで説明したので、ダイレクト型ビジネスもゲーム業界のモバイルアプリゲームで説明しよう。

まず商品の企画段階にほぼ違いはない。市場分析をして、ターゲットユーザーと商品ポジショニングを決め、制作費と売上見込みの予測を立てる。それが承認されたら実際の商品開発という感じである。

ただ、商品を市場に流通させる段階でのアプローチは全く異なる。

多くの場合、新しいゲームはアルファ版、ベータ版などの最終的な商品完成前の段階で市場テストを行う。もちろんリテール商品でも商品発売前に消費者テストを行うことも多いと思うが、一般的には実際に店頭に並べて広告宣伝も販売開始にと同様にして消費者に買ってもらうテストではなく、サンプル品を使ってフィードバックをもらうというタイプのテストであることが多い。モバイルゲームの場合は、そうではなく、通常の正式ローンチ時と同様に、Apple社のApp StoreやGoogle社のGoogle Playに商品を登録して、普通に商品を使ってもらい、場合によっては通常通りに課金もしてもらう。グローバルで展開する商品の場合などは、カナダやオーストラリアなど中規模程度の国で先行でリリースし、グローバルローンチ前に本番とほぼ同様の状態のテストをすることが一般的である。さらにこの時点で、マーケティングチームは、ある程度顧客獲得のための広告出稿のテストも行い、マーケティングのパフォーマンス予測のための基礎データを蓄積する。

このようなプロセスを通じて、商品の開発チームは、商品インストール後のユーザーの行動データを分析し、ゲームバランスやUIに問題はないか、何か致命的なボトルネックはないかなどを徹底的に分析し、正式ローンチまでに出来る限りブラッシュアップをして、より精度の高い商品を作り上げる。マーケティングチームも、顧客の獲得単価や、顧客の課金状況などの基礎データを分析して、正式ローンチ時の詳細なマーケティングプランを作成する。また、最悪な場合、このテスト時点で、商品に適切なコストでは改修できない問題があるとか、マーケティングプランが現実的にワークせず、ローンチしても顧客獲得を継続的に実施できる見込みがないなどの理由で商品開発を中止するケースもそれなりの確率で発生する。

デジタルマーケティングの鉄則として「小さな失敗を、早く、意図を持って行う」という話をしたが、ダイレクト型のビジネスにおいては、このような形で商品、サービスの開発段階でも同様のプロセスを走らせることが可能であるし、ある程度デジタルビジネスの経験値のある企業であれば、おそらく当然のこととしてやっている。

ここまでで、商品発売時までのプロセスを見てきたが、商品プランニングの段階はある程度共通点はあったが、商品開発の後半から商品発売直前のプロセスの時点でリテール型のビジネスとダイレクト型のビジネスには手法に大きな違いがあることはご理解いただけたと思う。ダイレクト型のビジネスは、小規模なテストを行う(場合によってはそのプロセスを何度も繰り返す)ことによって、市場での実データをもとにマーケティングプランの準備をすることが可能である。これが可能な理由は、1)広告費の調整などでテストの規模をコントロールしやすい、2)テストの実施を正式ローンチとほぼ同様の環境で小規模に再現することが可能、3)テストの結果が正式ローンチ時とほぼ同様の環境で正確に取得可能の3点が上げられる。この3つの条件がもしそろうのであれば、正直伝統的なマーケティング手法において開発されてきた予測精度を上げる様々な手法は必要ないと言える。なぜなら、予想する必要がなく、実際に実験して証明してしまえば良いだけだからである。

このようなプロセスを経ることで、ダイレクト型ビジネスにおいては、大規模な投資をしなければいけない商品ローンチ時のマーケティング活動を大きなリスクを負って実施しなければいけないという状況はほとんど発生しないということになる。私はこれまで、今回の例で説明したゲーム以外にも、楽天ポイントや楽天カード、楽天銀行などその後大きな成功を収める新規サービスの立上げのマーケティングを担当したり、サポートしたりしてきたが、どれも同じような感じである。

伝統的マーケティングの手法は発売後のDCAが弱い

では、商品発売後のマーケティングのアプローチには違いがあるだろうか?またゲームのパッケージソフトとアプリゲームの比較で話をする。なお、最近の家庭用ゲームの一部には購入後に追加課金でアイテムを購入させるダイレクト型とのハイブリッド型のものも存在するが、話が複雑になるため、今回は追加課金のないパッケージソフトを想定して話をする。

私の経験上、リテール型のビジネスとダイレクト型のビジネスの違いは、発売後の行程により強くでると考えている。その理由は、主に2点ある。一つ目は、これまで話してきたローンチ時のマーケティングに関係するが、リテール型のビジネスにおけるマーケティングはローンチ時編重であることが多いのに対して、ダイレクト型の商品サービスは、ローンチから時間が経過するごとにユーザー数が増加し、売上が拡大してくという成長過程をたどることが多いため、それに応じてマーケティングの規模が拡大していくことが多く、それに応じてマーケティングの規模も拡大していく。二つ目は、ダイレクト型においては、ユーザーの利用活動の状況のデータを企業側がトラッキング可能であることが殆どであるため、ユーザー数の拡大により、ユーザーのニーズ把握の精度が向上して商品・サービスの改善ポイントが明確になったり、ユーザーニーズの多様化に対応することで売上拡大の機会が発見されるなどして、商品・サービス自体がより高度なものになっていくことが多い。一方リテール型の商品においては、例えば、定番の食品など一つのブランドで長期間に渡って販売されるような商品は、時代の変化、ユーザーの変化に伴い、少しずつ改善されていったりすることもあるかもしれないが、ゲームのような商品については、商品発売後に商品自体が変化することは殆どない。

このような環境の違いは、当然マーケティング活動の違いに現れる。以前、私のマーケティングの経験において、PよりもDCAに使う時間の方が遥かに多いという話をしたが、その理由がこの環境の違いに起因している。ダイレクト型のマーケティングというのは、基本的には顧客獲得というバリューチェーンのスタート時点にあることが多いが、顧客獲得後のユーザーの利用状況を常に分析し続け、商品、サービスの改善を行い、それによって売上の拡大を実現し、新規顧客獲得のためのマーケティングコストを拡大したり、CRM活動により既存顧客からの利用拡大を図る。このため、サービスの開発・運用部門との相互作用に基づいたDCA活動が商品ライフサイクルの終了まで永遠と続くことになる。多くの商品、サービスは成功している場合、数年~数十年(楽天ポイントはすでに20年以上続いている)に渡るため、当然PよりもDCAにかける時間の方が遥かに長いということになる。しかしながら、伝統的なマーケティングの手法というのは、最も予算投下を行う商品発売時に焦点を当てて開発されているため、商品ローンチ後のDCAのサイクルの精度向上のための議論が、商品発売前の工程の議論に比べて格段に弱いというのが私の評価である。

ここまで述べてきたように、私はフィリップ・コトラーを中心とした伝統的マーケティングという手法は商品の企画、開発、~販売開始のフェーズに置けるリテール型ビジネスにおいては非常に力を発揮するが、デジタルマーケティングに大きな予算を出稿することが多いダイレクト型のビジネスを成功させるための手法としては、非常に限定的であると考えている。

もちろん、この2つの潮流の違いを理解し、両方の手法を柔軟に使い分けられる優秀な方もいらっしゃるが、私が経験した中では、伝統的マーケティングの成功体験が強すぎるあまり、ダイレクト型のビジネスに無理やり伝統的マーケティングの手法を適用しようとして失敗している方が、それなりにいるのではないかと自分のこれまでのキャリアを見ていると感じることが多い。

長くマーケティングのキャリアを積んで、プロのマーケターとして転職したはずなのになぜかうまくいかないなと思う方は、一度この二つの違いについて考えてみてはいかがだろうか?何かヒントがあるかもしれない。