AI機械学習の源流の理論を構築した日本人
最近のマイブームのExtreme Scienceから、もう一つ興味深かった先生のお話しをご紹介したい。今回取り上げるのは、情報幾何学という新しい数学の分野を構築された甘利俊一先生である。正直、大学受験以降は、経済学で利用する微分・積分くらいしかやっていないし、それも30年前に卒業してしまったので、はっきり言って、数理論的な内容からは先生の凄さは全く理解できない。
ただ、2024年のノーベル物理学賞が「人工ニューラルネットワークによる機械学習を可能にする基礎的な発見と発明」で2名の学者に授与されたそうなのだが、この二人の業績の基となるアイディアは、甘利先生が20年以上も前に発表したアイディアがベースとなっているそうで、いわば現在のAI、機械学習という最もHotな事業分野の基礎的な理論の構築者の重要な一人であるという凄い先生だそうである。ちなみに、インタビューアー役の茂木健一郎氏は、敬意を表して番組で初めてネクタイを締めて登場し、「天才」という言葉を随所に連発されていた。
というわけで、先生の専門分野の話は全く説明できないので、ご興味がある方はご自身で調べていただきたいと思うが、1時間強のお話を聞いて、このような究極のクリエイティビティを持つ人の話というのは、門外漢の人間にとっても、参考になる話が満載であったので、今回も2点ほど皆さんにご紹介したい。
クリエイティブなアイディアを産む3つのステップ
一つ目に、興味深く、ビジネスにもつながると思ったのは、先生の仕事のスタイルというか、新しいアイディア、概念を生み出すための方法についての話である。先生ご自身がまとめたのではなく、私が話を聞いて勝手に整理すると以下のようになると思う。
- 環境の整備
- ゼロいちを生み出す
- 詳細化・モデル化
環境の整備
まず、先生が重要だと仰っている1つ目のポイントは、仕事をする環境をどのように整えるのかということである。先生は、「自由闊達に、好きなことをやる」と表現されていたのだが、要するに何か新しいものを生み出すには当然相応のパワーが必要なのであるから、自分の時間なり、労力なりをそこに注ぎ込む価値があると自分で思える「好きなこと」をやるのがまず重要であるということである。別に、特に珍しい意見でもなんでもないが、やはり重要なことであると思う。
しかし、ここからが私が共感するところなのであるが、先生が強調されていたのが、「自由に好きなことをする環境を自分で作る」ことが重要であるということである。残念ながら人間は様々な意味で平等ではない。生まれ持った能力や、家庭環境や周囲の環境など、私たちの人生には自分のおかれる環境を定義する様々な所与の条件が存在するのは事実である。私個人は、自分が育った環境に大人になって改めて感謝をしているし、上を見ればきりがないが、どちらかといえば恵まれた環境でこれまで生きてこられたと感じている。
ただ、日々のニュースやSNSでの話題を見ていると、人間というのは現状の問題の原因を環境の要因とし、自分のコントロール外のものと定義して、自己の努力の範囲外のものとして客体化してしまうことが多いように思う。もちろん、すぐに変えられること、簡単には変えられないこと、一生変えられないことと問題は様々であるが、私が先生に共感し、重要だと思うのは、自分が望む環境は与えられるものではなく、自分で作る努力をする対象であると考えていることである。以前、人材育成のパートで、「楽しく働く」ことの重要性と、その環境を作るために私がこの25年間にやってきたことを書いたが、そのようなスタンスが重要であるということを先生は仰っているのだと思う。
日本もだんだんそのようになってきそうな感じがしているが、アメリカやヨーロッパの政治の2極化などを見ていると、極端な貧富の格差の拡大による環境の固定化、分かりやすく言えば富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる状況にはやはり問題があるのだろうし、個人の努力だけではどうしようもないことはあるのは事実であろう。でも、どんな状況におかれても、自分がおかれている環境というのは、自分で作るものだという意識は常に持っていることが大事なのではないかと改めて思う。
なお、この環境整備については、マネジメント側の視点では、どのように組織において個々のメンバーが好きなことを自由にできる環境を整備できるようにするのかに配慮することが重要であると思う。この点について、甘利先生と理化学研究所で一緒に仕事をした経験のある茂木氏の話が参考になる。先生は、チームメンバーの自由と個性を尊重するスタイルのチームマネジメントを重視されていたということである。もちろん企業という組織は収益をあげるため、また効率よく運用するためにルールと管理が必要なことは間違いない。ただ、管理と効率ではおそらく新しいアイディアは産まれてこない。そこには、各メンバーが自分で好きなことを考え、実践する環境がなければならない。要は、自由と個性という「遊び(余地)」が必要だということだ。企業によっては、〇%ルールみたいな形で、業務時間の一定割合を自己の好きなテーマの業務に使うことができるみたいなことをしている企業もあるが、そのような「遊び」をどのように企業に組み込んでいくのかというのは、大変難しいテーマである。「効率」と「遊び」のバランスをどのようにとるのかについて、是非考えていただければと思う。
ゼロいちを生み出す
環境を整えたら、次はいよいよ具体的なアイディアを考えるステージである。甘利先生は、この点について何段階のステップに分けて説明されている。
第一段階は、「大風呂敷を広げる」ところから始めるということである。先生の場合は、情報理論と幾何学を組み合わせると、情報の体系が構造化でき、脳科学、AIをはじめ様々な分野に応用できる理論体系が出来上がるのではないかといった壮大なアイディアをまず考えるところがスタート地点であったそうだ(素人理解なので、間違っているかもしれません)。このような考え方は実はGoogleなどでもよく言われることで、Googleが考える「イノベーションの9つの柱」というのがあるのだが、そのうちの一つに「10X」というものがある。分かりやすくいうと、10%改善するアイディアを考えてもイノベーションは産まれないが、今の事業を10倍にするようなアイディアを考えようとするとイノベーションは産まれやすいということだ。先生のいう大風呂敷というのは、まさに同じ考え方であると思う。
第二段階は、「構想を練る」である。大風呂敷に見合うアイディアを考えるためには、当然いきなりディテールに入ってしまっては上手くいきにくい。問題の難易度や、考える人間の能力に応じて思考の期間は異なると思われるが、この構想が纏まるまでには時間がかかる。大風呂敷を広げているので、その解決策が瞬時に思いつくようであれば、それは天才的に頭が良いか、運が良いか、誰にも注目されず手つかずのまま眠っていた簡単な問題かなど、かなり特殊な状況であろう。
という前提で、構想が纏まるまでには、時間がかかるわけであるが、先生がこの段階で重要だというのは、アイディアの「発酵」だそうである。分かりやすく言うと、一日のある程度の時間(1日中かもしれないが)、「こうやったらうまくいくのでは?」「こんなアイディアはどうだろう?」など様々な思考トライアルをする。でも上手くいかない。そんな時は、一旦問題を忘れて寝てしまう。要は、時間を置くのだという。そして翌日も同じように考えて、上手くいかない。一旦忘れて寝てしまう。この時間を置く期間が重要で、この仮定を先生は「発酵」と表現されているのである。この話はとても面白いと思う。誰でも経験があると思うが、何かに悩むとその解決法や原因の分析など様々なことが頭から離れにくくなる。でも、大抵の場合その思考というのは広がりが少なく、細かい場所で堂々巡りになっているケースが少なくない。そして、この堂々巡りになってしまうと、時間ばかりが過ぎていき、たいして良い解決策が出てくるわけではない。おそらく先生は、このような状況をずっと続けていても良いアイディアは思い浮かばないと経験的にご存じなのだと思う。そのため、一旦忘れて、寝てしまうと仰っているのだと思う。おそらく寝てしまうというのは比喩的な表現で、おそらく他のことをしたり、誰かと話したりという別の刺激を脳に与えているのだろうと思う。そしてまた翌日に考え直すと、脳には昨日とは違う刺激とか、情報が入ってきているので、もしかしたら違う角度から問題を考えられたりするかもしれない。みたいな話なのだと思う。とても興味深いやり方な気がする。
そしてこの「発酵」を繰り返すことによって、ある時「こうやったら上手くいくかもしれない」というアイディアが思い浮かび、それを手掛かりに構想全体を組み上げていく。先生は、研究者という仕事をしていて、この瞬間が最上の喜びであると仰っている。そして、このような新しい概念とか理論の構築という人間の最も楽しい行為を放棄してしまったら、仕事とか人生とかの楽しみが減ってしまうのではないかと仰っている。
AIの先駆者が話しているので猶更に含蓄があるが、いくら便利だからだといって、なんでもAIに質問して答えを教えてもらうということを繰り返していたら、人間は馬鹿になってしまうのではないかと仰っている。もしかしたら将来AIが新しい理論を創造できるようになる時が来るかもしれない。しかし、そのような思考は今のAIにはできない。つまり、理論創造とは、人間に残された、人間にしかできないことで、それをやめてしまったら、人間にどんな価値があるのかと仰りたいのではないだろうか。
詳細化・モデル化する
思考の「発酵」過程を経て、新しい構想が纏まったら、最後は仕上げの段階で詳細化・モデル化する工程である。この段階は、構想を他の人にも分かるように形として表現する、つまり視える化するという作業になる。先生のような数理学者の場合は、具体的に計算をして、構想を数式として組み上げて、それが正しかを確認するというのがおそらく最初のプロセスで、最終的には論文という形で纏めるということになるであろう。
当然、この作業は重要で、構想とかアイディアというのは、残念ながら思いついているだけでは全く無意味で、この詳細化、モデル化ができないとほぼ価値がない。よくビジネスで自分でも話していて無意味だと思う発言に、新しいスタートアップのサービスをみて、「このアイディアは自分も考えていた」というものがある。要は成功するビジネスアイディアを自分も思いついていたという自慢話のようなことであるが、この手の自慢話ははっきり言って価値が全くない。アイディアというのは、思いついただけでは、その人の成果として全く評価されない。人間の社会的な評価・価値というのは、残念ながら脳内で考えたかどうかで決まるのではなく、そのアウトプットによってなされるからである。
このBlogで使ってきた言葉でいえばExecutionということになり、これが面白いかどうかというのは人それぞれであると思うが、私個人でいえば、ビジネスにおいてはこのプロセスが最も面白いと考えている。
先生のようなノーベル賞級のインパクトのあるイノベーションを万人ができるとはなかなか言えないが、甘利先生が新しい理論を構築する時の3つのステップは、私たちの日々の仕事の中で参考にできることが多くあるのではないかと思った次第である。
成功のポイントとなるシンプルなロジックを理解する
2つ目の興味深かった話は、物事の本質をとらえることの重要性という話である。この話は、人間の脳を理解する難しさについて話していた時に仰っていた内容になる。先生曰く、人間の脳というのは、進化の過程において、一直線に効率的に進化してきたものではないそうだ。その過程をランダムサーチと表現されていたが、人類の歴史において様々な進化の方向性のトライ&エラーのようなものがあり、ある方向の強化をしてみたがそれは効率が良くなく、一旦立ち戻って別の方向に強化がなされて、それがよければ遺伝的にマジョリティとなっていくみたいなことの繰り返しで今の我々の脳は作られてきたということである。そしてもう一つの特徴は、その過去のトライ&エラーの一つ一つが捨てられておらず、脳の機能として残っているということである。その結果として、脳を生理科学的に分析すると、A→BのようなInputとOutputの関係性を思考するのに、シンプルで効率的にシステムが動かずに、複雑な動きをすることがあるらしい。これが人間の脳を科学的に理解することの難しさであるということであった。人間の凄さというのは、このように進化した脳を持っていることであるし、その存在自体は素晴らしいものだという。しかし、人間の脳が行う情報処理というのは、情報処理の原理から言えば効率的なものではなく、それは別の学問として理論化されるべきであり、その一つが情報幾何学であると仰っている。
この話は私が推奨しているPDCAの高速回転というデジタルマーケティングのマネジメント手法に対する重大な注意喚起になっていると思う。PDCAという行為は、甘利先生の話に出てくる脳の進化のプロセスと非常に似ている。論理的に行えればエラーの数が減らせる可能性があるが、PDCAの本質は小さな失敗を早く意図をもってであるので、失敗自体は許容することが重要である。また、この話は失敗に限定されるわけでもなく、成功についても、以前の成功法則Aよりもより改善インパクトが大きい成功法則Bが発見された時には、AはBに上書きされて過去のものになることもある。
このようにPDCAというのはどんどんアップデートされていくわけであるが、長年にわたってPDCAの繰り返しの中で出来上がった一連のプロセスが部分最適の積み上げになり、全体最適の観点からは複雑になり過ぎて最適化されていないというようなケースが存在する。さすがにビジネスの世界では一つ一つのサービス・システムに脳の情報処理における情報幾何学のような原理、理論を構築することは難しい。しかし、この問題意識にたいして、それぞれのサービス、システムの本質的な成功法則、最重要なコアKPIのようなものが何で、それはどのような仕組みで動いているのかを理解しておくことは重要であるとこの話を聞いて思うわけである。
ビジネスの世界でも「俯瞰的に見る」みたいなワードが出てくることがあるが、私はこのような視点は重要であると思う。そもそも自社のサービスが顧客に選ばれている本質的な理由は何か?競合と比較して、何が優れていて、何が劣後しているのか。そして、将来どのような方向にサービス全体を改善・進化させていくのか?このような視点を特に上位マネジメント層の人材は持ちながら、自社のPDCAの成果を定期的に確認することが必要であると思った。
以前、理論物理学のコラムでご紹介したカリフォルニア大学バークレー校の野村先生が仰っていたことに、天動説と地動説の話で、良い理論というのはシンプルなロジックで多くのことが説明できるものだという話をされていた。天動説で日々の星の動きを説明しようとすると一定の法則性は存在するため説明は可能である。しかし、その法則は非常に複雑なものである。しかし、地動説の視点で地球が動いているという前提に経てば、夜空の星の動きはほぼ一つのロジックで説明できてしまう。大抵このようなシンプルな理論のほうが正しいと仰っていた。
これはビジネスにおいても当てはまることの多い指摘だと思う。それぞれの会社が提供している商品・サービスが売上を上げ、利益をあげられている背景には、本質的でシンプルなロジックが多くの場合存在しているし、そのようなものがない事業というのは大抵の場合コモディティ化し、価格競争に巻き込まれ、利益を維持できなくなる。物事を複雑にとらえず、シンプルに理解できる本質をビジネスの世界でも大事にしなければいけないということを、脳の情報処理と情報幾何学の話を聞いて考えたわけである。
純度の高い理論科学の思考法をビジネスに活かす
今回は、情報幾何学という、Youtube動画を見る前は名前も知らなかった学術分野の大先生のインタビューからの気づきをネタに2点程考えてみた。以前はよく野球の動画をネタ元にしていたのだけれど、最近はScienceに急速に傾斜している。
ただ、この2つには実は共通点があると思っている。基礎科学研究も野球のようなスポーツも、非常に範囲を制限した、純度の高い世界で、究極のPDCAを回しているということだ。そして、勝敗とか、正否がはっきりと出たりするので、戦略やロジックも検証がしやすく、突き詰めやすい。このような、純度の高い世界には、戦略的な思考が純度が高く実践されているので、ビジネスの世界で曖昧にされているようなこ明確に表れやすい。甘利先生のじっくり考えることと「発酵」させることの繰り返しではないが、ビジネスのことだけ考えずに、外の世界からの刺激を入れてみることも重要だと強く思う非常にためになる動画であった。