売上最大化が唯一のゴールではない

データが存在するのは当然ではない

企業の事業活動の評価において、売上をあげること以上に重要な指標があるだろうか?この質問に対して、Noと応えるビジネスパーソンは非常に少ないと思うし、私自身も楽天で働いている時までは、ほとんど疑問に思うことはなかったような気がしている。しかし、ゲーム会社に入ってマーケティング活動をしながら、自分が当然と思っていたことが、ある前提条件の上に成り立っているということに少しずつ気が付き始めた。

私がゲーム業界に入った2010年代初頭のゲーム業界が置かれていた環境は、オフラインからオンラインへのシフトが急速に起こっている状況であった。具体的には、家庭用ゲーム機においてソフトがパッケージからデジタル配信へと置き換わりだし、それと並行してモバイルゲームの市場が急速に拡大して、こちらは初めからオンライン前提の市場であり、それまでフィジカルなパッケージソフトを売っていた会社が急速にデジタルでサービスを売る大きな転換をし始めた時期であった。もちろん私は楽天での経験を活かし、このデジタル化へのシフトを担うために入社したわけであったが、逆に言えば事業の中にオフラインの流通もまだ残っているという状況であった。

このような環境の中で、私が驚き、自分のビジネスの常識が特殊な環境を前提としていることに気が付かされたことがデータの量と正確性の問題である。楽天のビジネスは、今は少し違うのかもしれないが、2011年に退職した時点では、ほぼすべての事業において、顧客とインターネット上の接点が存在し、顧客のサービスの利用状況のデータは網羅的に、正確にとれている状況であった。つまり、顧客の行動を分析したいと思った時に、基本的にはデータを取得して分析するという行為ができる環境であった。

ところが、オフラインのビジネスというのは、今考えれば当然であるが、この情報というのが自動的にデータベースやWebのログとして残ることはなく、営業を中心とした市場との接点となっている組織が情報を収集して、エクセルなり、Salesforceなり、何らかの方法で社内にデータとして格納しないといけないという現実を始めて理解したわけである。

これまで一貫して議論してきたのは、デジタルマーケティングをデータドリブンに行うための手法や考え方であるが、その大前提はデータが取得され、利用可能な状態で格納されているということである。しかし、自社のビジネスにオフラインの要素が存在する場合、その大前提のデータが網羅的に、正確に取得出来ないという前提条件の崩壊が起こるリスクが存在するという分けである。この解決は、一言でいえば、オフラインの活動をしている企業内外の組織に対して、正確なデータを取得し、格納するように促すしかないわけであるが、多くの人が苦労していると思うが、これがなかなか難儀なのである。そこで、データドリブンなマーケティングを成功させる最後のピースとして、この問題の私なりの改善策(私も解決したと言い切れた事例を持っていないので、解決策とまでは言えない)を最後に紹介したい。

データ整備を阻害する売上重視の組織

私の経験上、現状を理解、把握するためにデータの収集を試み、それが見つからず、知っていそうな人に提供を依頼して、そんなものはないと言われたときに、その依頼先の人物から私の欲しているデータが無意味で、重要ではないと言われるケースはほとんどない。これはどういうことかといえば、少なくても真面目に仕事をして、事業に貢献しようと考えている人であれば、自社で行っている事業の状況を正確に把握することに否定的な人はほとんどいないということなのだと思う。

では、なぜ多くの人がそう思っているにもかかわらず、必要なデータを収集する仕組が出来ず、結果的に中途半端なデータしか入手出来ないのであろうか?私は、その理由を一言で言うとすれば、優先順位の問題なのだと考えている。

ゲーム会社の例でも少し触れたが、多くのオフラインビジネスの企業でマーケティング活動に必要な市場データ、商品・サービスの売れ行きのデータ、売上が上がるまでのプロセスを把握する活動データなどを収集、入力するのは、いわゆる営業部門であることが多い。少なくても私が経験した楽天以外の会社ではそうであった。では、営業部門のミッションとはなんであろうか?私は営業を1秒もしたことがないので、門外漢の推測の域を出ないが、多くの企業では、「売上最大化」なのではないだろうか?売上を多く上げる営業部員が評価される社員であり、賞賛されるのは売上目標をどれだけオーバーして達成できるかということなのではないだろうか?おそらく、この推論はそれほど的外れではないと思っているが、もしこの推論が正しいとして登場するのが、私が挙げた優先順位問題である。

多くの営業組織においての営業部員の優先順位、つまり人事評価の基準は、

  • 売上最大化 > データ収集

であるということになる。そうなると、私としてはデータの正確性と網羅性が実現出来ないのは、当然の帰結であると思えてならない。なぜなら、データ収集に時間を使うのであれば、売上の増大に時間を使った方が良いと考える営業部員が一定数発生してしまう可能性は相当高いと思われるからである。たとえそれが全員でなかったとしても、ある一定数存在するだけで、データの網羅性は実現出来ないことになる。

また、よく起こりがちなケースは、売上の最終成果、つまり売上高のデータは把握されているが、それを実現するための活動プロセスのデータの正確性が著しく低いということがある。これも、ちょっと考えれば簡単に理解できることで、営業部員は売上で評価されるのであれば、売上額をデータとして格納しないことはほぼあり得ないので、この数字はほとんどの企業で正確に取得可能である。しかし、その途中のプロセスのデータを収集・格納したところで、売上が増大することはないと考える人間もそれなりにいるので、きちんとデータを残すインセンティブが売上データと比較して非常に低いのである。

また、これも起こりがちであるが、売上を実現する活動プロセスのデータは実は売上を多く上げる優秀な営業部員ほど収集・格納しない傾向が高い。なぜなら、多くの企業において、営業部門内で上司が管理したいのは放っておいても売上を上げてくる優秀な営業部員ではなく、売上目標を達成できない社員だからである。私の経験上、優秀でない中間管理職程、売上をあげている社員の活動プロセスを見ずに、売上をあげていない社員の活動プロセスを管理しようとする。そうすると、売上を恒常的に挙げているような社員は、いちいち活動プロセスのデータを時間を使って入力する必要性を感じなくなる場合が多い。

これが私が何度も経験した、営業部門の売上最大化がデータドリブンなマーケティングをする上での弊害となる典型的なパターンである。

データ重視の経営(キーエンスのお話)

では、どうすればこの問題を解決できるのか?答えは簡単である。営業部門の活動の優先順位、人事評価基準を、

  • 売上最大化 = データ収集

とするのである。

この結論を聞くと、普通の反応はそんなことして大丈夫?売上が下がらないの?という疑問がわいてくるのではないか。その懸念はとても素直な反応だと思うし、実は少し前まで私もこれは極端過ぎて、現実味がなく、リスクが高すぎると思っていた。しかし、この考え方が正しいという後押しをしてもらえた機会があった。少し前に、取引先の紹介でキーエンスで長く重要なポジションを担っていらっしゃた方に話を伺う機会があった。そもそも、その方をご紹介いただいた理由が本項のお題のオフラインのデータの正確性と網羅性が確保できず非常に困っているという悩みを相談していたところ、一度キーエンスの話を聞いてみてはどうでしょうとセッティングしていただいたという経緯であった。

キーエンスについては、最近出身者の方が卒業後に多く活躍されており、その経験談や成功の秘密が少しづつ世に出始めているので、ご興味のある方は2時間程度話を聞いただけの私などではなく、一次情報を探してみて欲しい。

ただ、その時の話で、私が一番衝撃を受け、同時に、自分が間違っていないと勇気づけられた話を一つだけ紹介して、私の本項での提案が非現実的なものではないことの一つの事例をしたい。

キーエンスの凄さというのは、特に大きな差別化のないB2Bの製品を生産販売するメーカーであるにも関わらず、営業利益率50%を超える利益を出しつづけ、しかも、その社員の平均給与が1500万円を超えるという普通に考えるとあり得ない業績を出している会社である。話を聞く前、私は社員の給与が高いのは徹底した成果主義で営業社員の売上インセンティブが大きく、それにより好業績と高給与を実現しているのだと考えていた。しかし、話を聞いてみると売上連動の個人インセンティブはゼロであるという。ではなぜ奇跡のようなパフォーマンスを実現できるのか?私なりの解釈はこうである(正確な情報は繰り返すが1次情報を取ってほしい)。そもそもフィジカル商品の利益率を左右する最大の要因は在庫の回転率をどれだけ高められるかである。特にキーエンスは、直販と即納を売りにして差別化を図っているため、なおさら在庫問題は収益率に直結する。一般的に、この在庫リスクを最小化する方法として使われる手法は受注生産である。しかしそれでは、売上の機会を逃してしまうと彼らは考え、顧客の需要が発生した瞬間に顧客に商品を届けることで売上を最大化しようとしている。このようなビジネスモデルにおいて最も重要なのは、一人一人の営業部員が目標を大幅に超えた売上を挙げることではなく、顧客の正確な需要予測をして、その予測を最大化して生産量を増やし、同時に在庫を余らせないことである。この前提に基づくと、誰かが目標=予測より大幅に高い売上を上げることは必ずしも良い行為ということにはならない。なぜなら、在庫を極小化するようにしか生産していないとすれば、誰かが予想以上にある顧客に売ってしまうということは、別の顧客に売るはずの在庫がなくなってしまうということだからである。このような、ちょっと信じられないような精緻なオペレーションを行いながら継続的な好業績を維持しているというのは、心から凄いことだと感じた。

そして、この信じられないオペレーションを実現する大前提が、営業の仕事=正確な需要予測=市場のデータを正確に収集・分析するということであり、私の受け取った感覚的にはキーエンスにおいては、おそらく「売上最大化<データ収集」くらいの感覚なのだろうと話を聞いていて感じた。

中長期的な視点で考えれば、正確な営業プロセスの活動データが取得出来れば、営業の改善プロセスも適切に回るし、科学的な営業管理がよりできるようになるメリットもあるはずである。営業を外から見ることしかしたことのない人間が言っていることなので、自分でもどこまで正しいのか本項については自信があるわけではないが、少なくてもマーケティングの視点と、会社全体のデータドリブンを実現するという目的のために、特にオフラインの活動プロセスのデータが社内に適切に蓄積されているかという視点で自社の状況を見直してもらえればと思う。