矛盾とは何か?
ビジネスの意思決定をする際に立ちふさがる障害が「矛盾」である。矛盾を辞書で調べてみると、次のように定義されている。
矛盾(むじゅん)とは、二つ以上の事柄が一致しない状態、または、一つの事柄が自身の内部で一貫性を欠く状態を指す言葉である。矛盾は、論理学や哲学、数学などの分野で頻繁に用いられる。論理学では、矛盾する命題は同時に真であることができないとされる。これは「矛盾律」または「無矛盾律」と呼ばれ、論理的な推論を行う上で基本的な原則となる。 また、日常生活においても、人々の行動や意見、感情などが一貫性を欠いているときに「矛盾している」と表現されることがある。例えば、言動が一致しない場合や、自身の主張が以前の主張と食い違っている場合などがこれに該当する。このように、矛盾は様々な文脈で用いられ、その意味は文脈によって微妙に異なる。
出典:Weblio
要は、何かの決断をしなければいけないときに、明確な正解が見えず、ABどちらの選択しても、双方にデメリットがあり、一概にどちらが良いかと言えない状況になるケースである。
これと反対の状況というのが「白黒はっきりつける」というABどちらかの選択肢がある時に、論理的に考えてAまたはBのどちらか間違いなく正しいというようなケースである。
大学受験までの勉強というのは基本的には正解がある世界なので、問われる問題に矛盾点がないのが原則である。なぜなら、そうでなければ、客観的に採点が出来ず、公平な入学試験が実施できないからである。このため、ビジネス経験が浅い人の中には、ビジネスで直面する決断の場面において、選択肢のどちらかに正解があるのではないかと考えてしまう傾向が強い。
しかし、そもそもビジネスというのは、決断を迫られる状況における変数が複数あり、その変動が有機的に絡み合っているため、多くの意志決定のフェーズにおいてどちらかが絶対に正しいといえるような正解が明確なシチュエーションは、意外と少ない。つまり、白黒はっきりしないのである。
例えば、AとBの2つの選択肢があり、目標達成のためにAを選択し、結果的に目標達成ができたとする。ではAが正解であろうか?必ずしもそうとは言えない。なぜなら、Bを選択していた時に、Aを選択していた時よりも高いパフォーマンスを出せた可能性が否定できないからである。このようなケースで、Aを選択したことに対する私の評価は「不正解ではない」くらいであろう。
ビジネスには正解のない問題があふれている
この話をするときに私が思い出すのは、楽天時代に私にビジネスのいろはを教えてくれたある恩師の言葉である。彼は、
①ビジネスにおいて白黒はっきりさせられないような矛盾を孕む決断をしなければいけない状況は頻繁に発生すること。
②しかも、そのような状況は、責任ある立場(分かりやすく言えば組織のレイヤーが高くなる)ほど多くなり、しかも同時に解決しなければいけない矛盾の数が増えること。
③このため、ビジネスにおいて責任が重い、重要な決断を下すためには、複数の矛盾を抱える状況で、良い決断が下すための判断力を磨かなければいけないこと。
という3つのポイントをあげて、日々より良い決断を下し続けることが出来なければ、良いマネジメント人材になれないということを教えてくれた。この言葉は、私の心に非常に深く刻み込まれていて、様々な決断を下す際の拠り所となっている。
また、以前見たYoutubeの動画で脳科学者の茂木健一郎さんが言っていた言葉も、この話の流れに一致するものであった。彼は「本当に頭のいい人というのは答えがない問題を考え、正解を見つけられる人」であると言っていて、「正解がある問題に早くたくさん正解できること」が必ずしも頭の良い人の定義ではないという話をされていた。話しの文脈としては、日本の大学受験に依存する学歴による人の評価に意味はないという話題で出てきたのであるが、確かに、その定義であれば良い大学には入れたことが必ずしも頭が良いということに直結しないということになる。日本の大学で、最も偏差値が高いのは東京大学の理科三類といわれる東大医学部である。私の高校・浪人時代の成績を考えても、合格するイメージを持つことすらできないくらい高嶺の花であった。このため、間違っても私自身はそのようなことは言えないが、茂木さんの言葉を借りていえば、「医学」というのは、基本的に既存の研究で正解が分かっている事項を患者の状態に併せて治療方針として適用していくものであるため、前述の定義から考えれば、日本で一番成績が良い=勉強ができる人がワザワザやらなければいけない職業ではないのではないかと仰っていた。もちろん、医学にも未知の病気に対する新しい治療法を研究するという正解のない領域もあるので、この事例説明は、あくまでいち側面の議論であるとご本人も理解されていると思うが、日本で最も勉強ができて、頭が良い可能性が高い人を正解が決まっている臨床医にしてしまうのは、社会にとって損失なのではないかという問題提起なのであろうと思う(もちろん、最終的にどういう決断をするのかは個人の自由だが)。
矛盾を多く孕む問題の意思決定の仕方
と、ここまでで、ビジネスにおいては常に矛盾を孕む決断をしなければいけないこと。そしてその矛盾を同時に複数抱える問題に対する決断をより良く(正解がない以上、正しくではない)出来なければ、レベルの高いマネジメントができないということはなんとなくご理解いただけたかと思う。そのため、そのようなシチュエーションでどのように私たちが決断を下すのが良いのかの解決策を考える必要が出てくる。
もちろん、こちらも正解などないので、ここからの話しは私の実践方法についての、一事例の紹介だと思っていただければと思う。
私が、ビジネス上の意志決定を行う際に心がけているポイントは、整理すると下記の3点になる。
・一か八かの決断をしなければいけない状況をなるべく作らない
・大きな決断を下す前に、その判断に活用できる材料をなるべく多くそろえる
・事前に判断材料とする事例の背後にあるロジックを徹底的に考える
以下、一つずつ見ていくことにしよう。
一か八かの決断をしなければいけない状況をなるべく作らない
まず、一番重要なことは、可能な限り、一度に複数の矛盾を孕むような決断を一気に行わなければいけないようなシチュエーションを作らないようにするということである。もちろん、突発的なトラブルや、未知の問題が急に発生するなどの状況も無くはないが、25年の私のビジネス経験においても、本当にそのようなシチュエーションというのは、数回あるかないかという感じなので、基本的には、ある程度コントロール可能な問題であると思う。
そもそも、複数の矛盾を抱える複雑な問題というのは、その問題に絡む変数・パラメーターが複数存在し、それが複雑に絡み合っているために、ある変数を動かすと他の変数に影響して、予想外の問題を引き起こしてしまうという状況が発生する状況である。
これを上手く解決するためには、なるべく問題を単純化して、一つの施策の実行で一つのパラメータを動かしても、別の変数への影響が少ないように課題をブレイクダウンしていくのが最も素直なやり方である。楽天ではこれを「因数分解」と呼んでいいる。複雑な問題を因数分解することで、問題点の切り分けを行い問題をシンプル化して考えるということである
解決策として、そんなに特別なことではないが、これまでの経験上、やはりこのやり方が最も論理的に正しそうな決断をするのに有効であることは間違いない。
では、この因数分解を実行するために最も重要な要素はなんであろうか?私が最も重要だと思うのは「時間」である。一つの問題を因数分解して、一つ一つの要素を切り分けて考えるためには、当然時間がかかる。先ほど申し上げた、突発的なトラブルなどは、そもそも発生を予測することが難しいため、発生から決断までの時間が限られるため、複雑な問題を因数分解せずに一気に考え、決断しなければいけなくなるわけである。
このことを逆に考えれば、複雑な問題を一気に解決しなければいけない状況にしないために重要なことも自ずと分かってくる。つまり、問題解決の時間を事前にどれだけ長く確保しておけるのかということである。このために重要なのが、自分の関わる事業や企業の中長期的な問題点をどれだけ正確に分析・把握するということである。もしそれが正しくできていれば、あとはそれほど難しいことではなく、把握した問題点を正しく因数分解して、シンプル化された課題を一つ一つ解決していけばよい分けである。私は、これがマネジメントのレイヤーが高いポジション程、中長期視点、俯瞰的な視点で自社のビジネスを見ることが要求される理由であると考えている。自分が責任を持つ事業の中長期的な課題を正しく認識していれば、中長期の時間軸で課題解決の準備ができる。これが、上位マネジメント層の人間が、直近の目標達成にばかり目が行き、来月のことは来月考えればよい、来年のことは来年考えれば良い、3年後のことは3年後に考えればよいというスタンスで仕事をしていると、複雑な問題が突然発生し、その対応策を瞬時に、少ない材料で決断しなければいけないということになる。私は、このような決断を「ギャンブル」と呼んでいるが、常々自分の部下にも伝えているのが、日々の業務を一つ一つ積み上げ自分の業務からこのギャンブル的な要素を極力排除するということであり、また、そのような状況に陥らないように中長期的な視点で問題点の指摘をするように気を付けている。
どんなに優秀な人でも、あらゆることを予想することはできないし、天災や最近のトランプ関税のように(25年5月時点)予想を遥かに超えるビジネス環境の突発的な不確実性の増大など避けようのないものも存在するのは事実である。しかし、先にも述べたが、このような話しに対応するために、財務的な健全性を保つとか、バリューチェーンの分散化などのリスクマネジメントをしておく必要はあるが、完ぺきに回避することは不可能である。しかし、そのようなことは、10年に1回とかのタイミングくらいでしか起きない。私のビジネス人生でいえば、東北の大震災と新型コロナウィルスくらいであろう。
そのように考えれば、そもそも自分の事業や自分の会社が、頻繁にギャンブル的な決断を下さざるを得ない局面に直面しているとすれば、それはそもそも、中長期視点でのマネジメントができていない可能性が非常に高い。そして、申し訳ないが、そもそも中長期視点でのマネジメントをする能力がある人がいない職場において、より複雑で高度な問題点の解決を図れる能力がある人材がいる可能性は少ないと言わざるを得ない。
より良い意志決定をするためには、良い準備をしておくことが何よりも重要である。そのために最も重要な要素は「時間」である。このことを理解しておけば、マネジメントは、自分が動かせるリソースを、短中長期の視点で適切にアロケーションして、バランスをとるのかに、最も知恵を絞らなければいけないということが分かるのではないかと思う。
大きな決断を下す前に、その判断に活用できる材料をなるべく多くそろえる
ここまでで、複雑で、高度な問題に対する決断をするためには、因数分解をして、その問題をよりシンプルな問題へとブレイクダウンして考えることが重要だということがご理解いただけたと思う。そしてそのためには、準備をするための時間を確保するということが重要だという点も分かっていただけているはずである。
複数の矛盾を包含する複雑な問題を解決する上で重要な点は、自分が行った決断で、その問題が持つ各変数がどのように動き、トータルでどのような結果となるのかを、できるだけ正確に予測することである。この正確な予想をするために必要なのが、因数分解の結果シンプル化された課題への対応から得られるデータだ。例えば、Aという課題を因数分解すると、下記のように表せる問題があったとしよう。
A=B×C
B=D×E
C=F/(E+G)
この課題AはB×Cと因数分解することができるため、Aを増やそうと思うとBかCのどちらかを増やすことが必要になる。しかし、BとCを因数分解した式を見てみると、一つの矛盾が生じていることが分かる。Eの変数を見てみよう。BにおいてはEは掛け算の一変数であるため、Eが増加すればBは増加するという関係にある。一方CにおいてはEは分数の分母に含まれる変数であるため、Eの増加はCの減少の効果のある変数ということになる。
つまり、Aの問題の解決策として、例えばEの変数を動かそうとすると、Bにはプラスの効果があるが、Cにはマイナスの効果ががあり、解決策としては矛盾が生じるという結果が予想される。
例えば、Eの変数を動かす施策を行うときに、それ以外のD、F、Gの変数が不変であればEが1以上であればBの増分>Cの減分となるので、Aは増大することになる。このようなケースは一見、矛盾を孕んでいるようだが問題としては比較的シンプルに解決可能である。しかし、ビジネスにおける事象というのは、そのようにシンプルに進むことが少なく、Eの変数を動かしたときに、その影響でD、F、Gの変数が変動してしまうことがある。このため、シンプル化された改善策を行いながら、例えばEをどのように動かすと、それ以外の変数がどのように反応するのかというテストなど、D~Gの4つの変数を少しずつ動かしながら、どの変数をどの程度動かすと、それ以外の変数がどのように動くのかを把握しておく必要がある。その判断材料が十分に揃っていないと、Aの課題を解決する場合に、最終的にどの変数をどのくらい改善し、その結果発生する別の変数のデメリットをコントロールして、全体をプラスにするのかという論理的な判断が出来なくなってしまうのである。
逆に言えば、もし各変数の相互依存の関係が理解できていれば、矛盾する変数のプラスとマイナスを適切にコントロールすることによって、全体を改善の方向に持っていくことができるようになるわけである。
このプロセスを適切に行うためには、当然相当量のABテストを行う必要があり、それには時間がかかることは容易に予想できる。このため、どれだけ「時間」を確保できるかというのが問題になるわけである。
事前に判断材料とする事例の背後にあるロジックを徹底的に考える
ビジネスの環境は、自分たちで当初計画した通りのスピートで想定通り進むとは限らない。天災や、景気予測の変化、競合環境の変化など自社ではコントロールできない要因によって、計画と異なる状況に陥る。
そのような外部環境、外部変数の変化が自社のビジネスにプラスの要因となる場合は、当然大きな問題は発生しない。しかし、マイナスの要因が想定外に発生した場合は、問題になる。今回の文脈において、このような想定外の外部変数の変化で発生するマイナス要因の影響は、前2項で最も重要であると述べてきた「時間」について、想定よりも確保できる量が減ってしまうということで影響を及ぼす。前項の例を再度使えば、D~Gの変数の相互依存関係を適切に理解するために、ABテストを実施する期間が当初1年必要だと考えていたものが、外部環境の悪化で、計画達成のためには半年で改善を実現しなければならず、問題解決の決断を半年前倒する必要が出たとしよう。つまり、決断のための判断材料の収集期間が半減し、その結果意志決定に使える材料が半分になるということである。
このような状況においてマネジメントに求められるのは、当初想定よりも半分の判断材料で、如何にその倍の判断材料があった場合に出す結論に近い結論を導き出せるかの精度である。もちろん、理想を言えば当初想定していたすべての材料が揃っているに越したことはないが、中期経営計画実現のためには、その決断を半年前倒しせざるを得ないというようなケースに追い込まれることは珍しくない。
このような状況に対応するためには、何が必要であろうか?引き続き、前項の例で話を続けると、変数D~Gの相互依存の背景となるロジックを、ABテスト開始当初から注意深く観察し、可能な限り早期に理解できるようにしておくことが重要である。課題Aを解決するための変数D~Gの相互依存関係のテストを行う改善活動が1年間の期間で想定されている場合、そこから得られる情報量というのは私の経験上1年間均等配分で得られるわけではない。多くの場合、テストの初期の数カ月で基本的な動きの法則性のようなものは理解できることが多い。そして、その後の期間においては、変数の組み合わせをより複雑にすることによって、仮説として考える基本法則が正しいかどうか、想定していない依存関係がないかなどをチェックして、理解の精度をあげていく。つまり、結果的に半年後以降のテストで当初の仮説の間違いが発見され、半年間で得られた基本法則と異なる結論を1年後に出している可能性は否定できないが、当初の仮説が正しく、結果的に残り半年の精緻化をしなくても、1年後と同じ結論を半年間で出せる可能性もあるわけである。しかも、私の経験でいえば、その確率はそれほど低いわけではない(感覚的には50%以上の確率はある)。
ただし、実現するためには条件がある。それはマネジメントに責任を持つ人間がABテストの初期段階からプロジェクトの内容を正しく理解し、その結果を詳細に分析し、現場の担当者の報告だけでなく、その裏にあるロジック、法則性まで徹底的に考え抜くことに手抜きをしないということである。経験のあるマネジメントであれば、部下に提示した課題に対して、自己の過去の引き出しの類似事例からある程度の結果の予想はあってしかるべきで、テストの初期段階の進捗をみて、その仮説が正しいかどうかなどはある程度推測できるであろう。部下に対しては、自分の考えや予想をすべて話してしまっては学びが減ってしまうし、成長も遅くなるので言わなかったとしても、自分の頭の中では部下以上に様々なシミュレーションが動いていなければならない。そして、そのようなシミュレーションが動き、自分の想定とのズレが何処で、それがどのようなロジックで発生しているかを考えられれば、経験のあるマネジメント程、部下の報告内容以上に深い情報が自分の中にインプットされる。
以前に、チームのPDCAの精度を決めるのはチームのリーダーの経験値の上限であるという話を書いたが、チームをマネジメントするリーダーにチームで最も豊富な経験があれば、ここで話したように、「1を聞いて10を知る」ではないが、チームの誰よりも状況に対する深い理解ができていなければならないわけである。
お勉強ができるのと、ビジネスの問題解決は別次元の話
自分の学生時代を考えても、私自身はいわゆるお勉強ができる頭脳を持っているタイプでもなかったし、それを補う努力ができる性格でもなかった。このため、学生時代を通じて、明らかに自分より勉強ができる人は周りにたくさんいたし、話をしていて自分より頭の回転が早い人が確実いいるというのも感じていた。
しかし、25年ビジネスをしてきて思うのは、茂木先生の言葉ではないが、ビジネスでの意志決定というのは、必ずしも瞬間的な脳の回転の速さや、歴史の暗記問題のように、数字や、人の名前、歴史的な出来事の暗記量の違いで差が出るものではないというのは自信をもって言える。
ただし、今回説明したように、絶対的な脳の容量と回転スピードに対抗するためには、中長期的視点からのプランニング能力と、そこから逆算した事前の準備、そしてそれを可能にする自分の専門分野における経験値が必要である。この3つが揃っていて初めて、答えが存在しない、コントロールできない複数の変数が絡み合うビジネスの現実世界での、複数の矛盾を孕んだ複雑な問題により良い答えが出せるのである。そして、このどの能力も後天的に手に入れられるものであり、天才的な頭脳を持ち合わせていなくても実現できることだと思うわけである。というか、天才的な頭脳がない私は、そう信じている。