正しいニュースを見分けることが難しい
最近の私の悩みの一つは、インターネット、SNSを中心に莫大な量の情報が反乱する中で、何が真実で、何が真実でないのかが全く判断がつかないことが多いということである。一つの切っ掛けは、2015年にアメリカから帰国したときに日本ではそれまでとっていた新聞の購読をやめてしまったことなような気がしている。その時は、別に新聞にお金を出さなくても、ニュースはネットで見れば良いと軽い気持ちで決めたことであった。その後スマートニュースとGoogle Newsを主なニュースの情報源として、追加でSNSなんかも情報源として活用しながら生きてきた。日本に平均的に生きている日本人としては、特に代り映えのしない感じだと思う。
ところが、しばらくして気が付いたことなのだが、ネット上のニュースメディアというのはどんどんパーソナライズが進んでいるという事実である。私が読むニュースの内容に応じてどんどんパーソナライズされていくため、私としてはそんな期待はしていないのだが、私に配信されるニュースになんとなく偏りが出てくるようになってきた。SNSについては、私の過去の交友関係を基盤に、SNSで発信するのが好きな人がシェア、共有する情報に従って、情報がカスタマイズされるようになった。四半世紀以上デジタルサービスの提供側で生きてきたので、何故そのようなことになっていくのかという背景の理由は手に取るように分かるわけであるが、サービスを受ける側としては、ふと気が付くとひどく偏りのある情報ソースからの情報に自分の知識が偏ってしまっていることに気が付いた。
そう思ってTVのニュースなどを見てみたとしても、たいして重要と思わない内容に多大な時間が掛けられ、また、情報も表層的であることがほとんどなので、こちらも私の求めるものでもない。そう考えているうちに、そもそも昔読んでいた新聞もどこまで客観的であったのであろうと疑念も湧き始める。
このような状況になると、自分が生きている社会の情報で何が正しくて、何が正しくないのかという話が全く見えなくなってしまうわけである。最近の典型的な話題で、私が全く分からないのが兵庫県知事のパワハラ問題で、当初のマスコミの報道を見ていると到底再選などされないと思われた辞職した知事が、ネットにおけるマスメディアの報道とは全く異なる情報に押されて再選されたこと。そして、その後、県議会の公的な委員会において、結果的にパワハラが認定されたという報道が出てくること。でも知事は同じ問題で一度辞職し、再選されているので反省の弁は述べつつも、民意の支持を得て知事の仕事をし続けていること。そこまで興味もないので、私は事実を知らず、なんの政治的な意思もない前提で、いったい何が真実で、今の状況が正しいことなのか、誰かの嘘に先導されたあるべきでない状況なのかの判断が全くつかないわけである。ただ、この話で確かなことの一つは、TVをはじめとする(前述の通り新聞は私にとってはすでに存在しないメディアである)既存のマスメディアと言われているメディアに対して客観的な事実の報道をしていない可能性が高いのだろうという疑念を多くの人が抱き始めているということなのだと思う。
その極端な例が、アメリカの保守とリベラルの2極化である。日本人からするとトランプという全く下品な言葉使いの人物に過半数のアメリカ人が投票し、彼に言いなりの共和党議員に上院も下院も渡す投票行動を行ったのかが全く理解できない。しかし、その根底には、アメリカ特有のメディアが報道スタンスを明確にし、各メディアが正しいと考える立場で報道をおこなうというスタンスがある。メディアの立ち位置の表明がエスカレートして、「自分の価値観の会わないメディア(TVチャンネル)が報道していることは全てうそである」と理解されてしまったのだ。こうなると、あらゆるニュースが全賛同と全否定のセロサムゲームになってしまい、修復しがたい社会の2極化が進んでしまうという状況になってしまう分けである。
幸い、日本はまだそこまで酷いことにはならずに踏みとどまっているが、兵庫県知事選挙をみていると、多くの人がマスメディア自体への信頼をなくしている可能性が高い。そうなると、ネットメディアのパーソナライズのアルゴリズムにより偏ってしまった情報ソースへの依存度が高まり、思考が先鋭化してしまう。時期は分からないが、TVを代表とする既存メディア側が自分たちのあり方を抜本的に見直さないと、今のアメリカと似たような構造になってしまうのではないかと不安になる今日この頃である。
嘘の情報は生産コストが非常に低い
そんなことをモヤモヤ考えている時に見た、サピエンス全史の著者ユヴァル・ノア・ハラリ氏のインタビューがこの問題意識について参考になりそうな話をしていた。今回はそのインタビュー動画の内容から、深く同意し、私の専門分野のマーケティングにも役立つと思った話を紹介する。
その内容は、「情報」と「真実」の違いについての話である。ハラリ氏がインタビューで何度も言っていたのは、「情報」には多くのフィクション、嘘が含まれているという話である。この話は、前段の私の最近の悩みをお読みいただいた方には簡単にご理解いただけると思う。情報というのは、有象無象の内容が入り混じっており、必ずしも大量の情報を持っていることが良いことであるわけではないのである。しかし、問題はここからである。言われてみれば確かにそうなのであるが、ハラリ氏曰く、嘘の情報、フィクションというのは作るのが簡単であるのに対して、本当の情報というのは真実であることを証明するために多くのコストがかかるということである。
凄く分かりやすい例で考えてみよう。「私は1年で100億円稼げるビジネスモデルを考えた」という情報を誰かに話すケースを考えてみよう。まず、この話が嘘である場合のこの話の生産コストを考えてみよう。答えは限りなく「ゼロ」である。事実、私がこの嘘の情報を作ったのは、この文章を書きながらほんの10秒前に考えた話だからである。一方、私が1年で100億円を稼げるビジネスモデルを本当に思いつくためには様々な市場調査や、競合調査、さらにそれを実現するための人集めや資金集めの方法に至るまで様々なよりブレイクダウンされた情報を集約しなければならない。さらに、それらの情報を強固なロジックで構造化し、疑問点を指摘された時には論理的に反論できるだけの準備が必要である。
ニュースなどの情報についても同様で、嘘か本当か分からない「情報」を手にしたジャーナリストは、その情報が真実であるかどうかのファクトチェックをするための裏付け取材をしなければ、その情報が真実だと信じて報道することはできない。しかし、最近は、その裏付け調査などでもネット情報が活用されるので、「嘘の情報の裏付け情報として、嘘の情報を使う」みたいな話が現実問題多くの報道の現場で起きていたりするのではないだろうか?しかし、そのような情報をきちんと精査し、真実を見分ける客観的な確信を得るためには、ネットで簡単に見つかる2次情報に当たるだけでなく、時間とコストをかけて、批判的な意見も含めて様々な角度から情報を検証し、真意を確かめる作業が必要になるわけである。
嘘の情報が拡散するロジックとは?
というわけで、第1に「嘘の情報」は低コストで生産でき、「真実」にはコストがかかるということまではご理解いただけたであろうか?ここまで同意していただいたとして、この性質は次の問題を引き起こす。それは、生産コストが安い嘘の情報というのは、大量に生産され、どんどん人に魅力的に写るものへと変容していくのである。これも少し考えれば想像できるであろう。生産コストが安くなれば、人はどんどん情報を拡大再生産してしまう。そして、せっかく生産するのであれば、その情報は人に興味を引いてもらえる魅力的なものである方がよい。分かりやすい例は、自分の過去の体験談などを他人に話すときに、面白おかしく伝えるために少し「盛る」ことがないであろうか?私自身もあまりないようにしつつも、時に誘惑に負けてしまうことがないとは言えない。本人は悪気なく少し「盛った」だけのつもりかもしれないが、こういう話というのは伝言ゲームで人から人に伝達される過程で、少しずつの「盛り」が重なることで、何ステップか先では全く原型をとどめない、とても魅力的な嘘の体験談になったりしてしまう分けである。この例ではそれほど悪意はないかもしれないが、嘘の情報にこのような性質があることをが理解できれば、悪意をもって嘘を拡散しようとする人にとっては、嘘の生産と拡散というのは容易な作業であるということが想像できるであろう。
ここまでの話しは、人類が言語を話し始めた時から基本的には変わらない真実であるような気がする。しかし、この「嘘の情報」と「真実」の違いが、原題のネット、AI社会になることによって、私たち人類が体験したことがないリスクを生み出しつつある。
多くのネットメディアというのは基本的に情報を「嘘か真実か」という視点で良し悪しの判断をしているのではなく、「多くの人に賛同されているか否か」で判断していることが多い。多くのネットメディアというのは、広告収入で収益を得ている。そのこと自体は、消費者が便利なサービスをネット上で無料で使えるという利便性を得られているという事実を考えれば一概に悪いことではない。しかし、このメディアの性質が、先ほど説明した良い情報の判断基準をあまり良くない方向に変えてしまう。
オールドメディアのTVの視聴率も同じ側面があるが、広告収入を基盤とするネットメディアが売上を増やそうと思った時に最も重要な指標は、ユーザーのサイト滞在時間を最大化するということである。ユーザーが高頻度でサイトにアクセスし、一回当たりの滞在時間も大きくなれば、当然それだけ広告を販売できる枠数が増えて収益が増大するからである。この基本ロジックを理解すると、先ほど申し上げた「多くの人に賛同されているか否か」が情報の良し悪しの判断基準になることも理解できるであろう。多くの人が面白い、興味深いと考えている情報というのは他の人にも賛同してもらえる可能性が高いので良い情報ということになるわけである。さらに、今のネットメディアというのは誰がどの情報を見たかどうかという行動データが蓄積されているので、この情報を良いと言っている人は別のどの情報に興味を示しやすいも類推できることが多く、この情報がどんどん蓄積されると、一人一人にかなり正確なパーソナライズができてしまう。ここに、前段で述べた「嘘は低コストで魅力的な情報を拡大再生産できる」が合わさると最悪な事態が起こるわけである。当然人に魅力的に写る情報は、メディア上で高く評価され、賛同を得る可能性が高い。そうすると、魅力的な嘘の情報というのはネットメディアにおいては、高く評価され、アルゴリズム上どんどん拡散されてしまう可能性が高いのである。そして、それが拡散され続けると、多くの人が事実と誤認してしまい、いつの間にか嘘の情報が真実であるかのように人々に広まってしまうのである。
ビジネスで正しい情報を見分ける方法を考える
ハラリ氏のインタビューを見るまで、情報の生産コストという視点を深く考えていなかったため、整理が甘かった部分はある。しかし、長くネットビジネスをしてきて、その危険性はずっと感じていたため、私自身はSNSという媒体をパーソナルにはほとんど使わなくなってしまって久しい。但し、個人の生活においてはそれで問題ないとしても、マーケターとしてはそうもいっていられないわけである。最後に、この情報に多くの「真実でない情報」が混在している社会の中で、マーケターとして情報=データとどのように付き合っていかなくてはいけないかについて考えたいと思う。
私が、ビジネスにおいてデータを扱う際に気を付けているポイントは以下の通りである。
- データの定義を明確にする
- KPIツリーを作ることによって、一つ一つのKPIの関連性を理解する
- データの変化を確認する場合は、一段下のKPIツリーのレイヤーに要素を切り分け(因数分解)、各パラメータ毎の変化の状況を確認する
- 過去のトレンドを見て、一定期間の変化のボラティリティの範囲を理解し、変化がその範囲内に収まるかどうかを判断する
の4点くらいに大きく分けると集約される。それぞれ個別に見ていこう。
データの定義を明確にする
まず、データを見るときに最も重要なのは、そのデータの定義を正しく理解することである。これは、余りに当然の話しで、あえて説明するようなことでもないと思われるかもしれないが、ビジネスの現場で議論をしていると、同じワードを使っていたとしても、会社毎、部署ごとにその言葉の定義が異なっていたりする。このため、議論するデータについては、最初にその定義を必ず確認することは必須である。
そのデータはA×B、A/Bなど、どのような算式により計算されたものなのか。計算に利用されるA、Bなどの構成要素はどのような期間、どのような取得方法で得られたデータであるのか。そもそもそのデータの取得方法は統計的に信用しても問題ない情報源であるのか。などを正しく理解することで、そのデータが真剣に分析する価値のあるものなのか、それに値しないのかなどが理解できるようになるであろう。
KPIツリーを作ることによって、一つ一つのKPIの関連性を理解する
ビジネスのデータを見るとき、特に重要なのは、そのビジネスの基本構造を理解するための、一つ一つのKPIの関係性を正しく理解することである。情報・データに関するよくある誤解は、情報、データはたくさんあればあるほど良いと考えるスタンスである。これまで経験した多くのビジネスにおいての見てきた情報整理、データ分析においての失敗要因は、データはあればあるほど良いという前提のもと、データをとにかく大量に集めて、その構造を深く考えずにディテールの分析をしてしまうというパターンである。前段で述べたデータには真実とフィクションがあるという話しに関連するが、大量のデータからいきなりディテールの分析に入るというスタンスでデータに向き合うと、重要でないかもしれないパラメータの変化を課題に評価してしまったり、一般性のない結論を一般的なロジックと勘違いしてしまうなどのトラップにはまってしまう危険性が高まる。
このようなトラップを踏まないためには、一つの会社や事業を理解するためのビジネスの基本構造をKPIのツリーを使って一つずつ因数分解して、情報の重要度を階層分けしていくことが欠かせない。
この構造化ができると、組織の階層ごとにそれぞれどのレイヤーのデータまでは定常的にチェックし、それ以下のレイヤーのデータの変動にはなるべく口を出さない(権限移譲する)などのマネジメント上の責任分担の切り分けなどもしやすくなり、社内のコミュニケーションがスムーズになり、現場の創意工夫の権限の範囲も計画になったりもする。
データの変化を確認する場合は、一段下のKPIツリーのレイヤーに要素を切り分け(因数分解)、各パラメータ毎の変化の状況を確認する
データの定義とKPIツリーができれば、いよいよ定常的にデータを見ながら、必要に応じて分析を行うという段階に移行する。この時に最も重要なのは、数値の変化の理由を常に理解するというスタンスである。よくある意味のないデータへの向き合い方が、目標KPIの達成率を毎日見ながらその良し悪しに一喜一憂するというものである。気持ちは分からないでもないが、はっきり言ってこれだけをして、良ければ部下や代理店と喜び、悪ければ文句を言って改善策を出させるという人は私からすれば百害あって一理もないタイプの人材である。
KPIを正しく作れば、目標とするKPIが変化すれば、必ず因数分解したパラメータの何が動いて、何が動いていないのかなどの理由が分かるはずである。例えばA×Bで構成されるKPIが上昇した場合に考えられるバターンは、AとBの両方が増えた場合、Aの上昇率がBの下落率より大きかった場合、Bの上昇率がAの下落率よりも大きかった場合の3つのパターンが考えられる。つまり、AとBが両方とも増えているケースは問題ないのかもしれないが、残りの2パターンはどちらかの要素は改善しているが、もう一方の要素は悪化しており、KPIの改善を手放しで喜んではいけないのかもしれない。この例は非常に単純だが、一つのKPIを単体で見ること自体に対した意味がないことはご理解いただけると思う。
データというのは単純に豊富な種類の情報があれば良いわけではないのは前述の通りだが、最重要KPIを単体でみることにも同様に意味がない。数字の動きの背景にあるロジックを常に意識しながら見ることが非常に重要である。
過去のトレンドを見て、一定期間の変化のボラティリティの範囲を理解し、変化がその範囲内に収まるかどうかを判断する
データの変化についてはもう一点考慮すべきポイントがある。重要KPIと因数分解したパラメータを見る場合に、それぞれの数値がどの程度のボラティリティがあるのかという時系列のトレンドをきちんと把握して、その範囲内であれば余り大騒ぎせずに、立ち止まって見守る勇気を持つべきであるということである。
ビジネス上のKPIの数値にボラティリティが出る理由は様々である。例えば、事業規模が小さかったり、プロジェクトの予算規模が小さい場合、統計的に月次の数値は一定のレンジで安定してオペレーションすることができてもそれを日次の数字に細分化すると、良い日もあれば悪い日もあるというように、平均的なパフォーマンスを出せないケースがあったりする。このようなケースのほとんどは日次ベースでは統計的に十分な母数がないために、パフォーマンスに差が出てしまうことが原因である。若しくは、ビジネスサイクルとして、1カ月間の間に、月初、中旬、月末のような活動のトレンドがあり、1か月分の成果の30分の1が安定して日次の数字にならないというケースもあるかもしれない。
重要なのは、数値の変化を見るときに、今自分が見ているメッシュの数値のトレンドを把握したうえで変化をみるということである。
この視点で考えるときに最もよくない行動は、一日の好不調に一喜一憂するだけならまだしも、悪い時にいちいち反応して、不要な改善策を無理やり考えて実行してしまうことである。PDCAの高速回転が重要だという話をすると、たまに勘違いしてとにかく短い時間単位で対策をすることが重要だと勘違いする人がいるが、正しいPDCAとは、統計的に信頼できる分析結果に応じて改善策を検討することが大前提であるため、前述の例のように、トレンド上避けられないパフォーマンスのボラティリティに無用に反応して根拠のないPlanを立てて実行してしまうというのは、精度の低いPDCAになってしまうと考えてほしい。
以上、データを見るときに考慮すべき4つのポイントについて見た来たが、特に特別なことは言っていない思う方が多くいらっしゃると思う。私も書いていてそう思う。至極当然のことを言っているだけである。しかし、私が経験した多くのビジネスの現場でこの4点が徹底されてオペレーション、PDCAが管理されている現場というのは残念ながら意外と少ない。その理由は、前段で紹介したハラリ氏の「真実でない情報」の魅力の話を考えた後では、読者の方にもご理解いただけると思う。
データに向き合う悪い2つの典型例
情報やデータに向き合う際に、最も良くない態度は、いわゆるCherry Pick・いいとこどりと、都合の悪いことに見て見ぬふりをすることである。このような態度は、例え利用している情報が「真実・事実」だとしても、ビジネスの構造全体の中での正しい関係性の中で数字を見られていないという意味で、残念ながら「真実でない情報」を利用してビジネスを進めているのと何ら変わらない。
もう一つの良くない態度の事例は、特に計画通りに事業が進捗していないときによくあるが、無理やり上手くいっていない理由を作り出すことである。これば、特に「数値にこだわる」というような言葉で、目標達成、厳しい数値管理をする会社や組織の悪いパターンとして表出することが多い。このような会社では、事業進捗が悪いと厳しい追及を社内で受けることが多い。そのような場合に、ある部署の責任者は上席者に対してパフォーマンスが不調な理由を何らか説明せざるを得ない状況に追い込まれる。この時に、理由が分からなければ、「分からない」と報告する勇気があればよいのであるが、過去に上席者がそのような報告を許さないような態度をとってしまったりすると、その配下の人間はなんでも良いので報告できる問題点を無理やり探すという行動に出やすい。そして、それを原因と言ってしまった都合上、それに対する対応策も報告せざるを得なくなる。そうすると、嘘かほんとかわからない問題点に対する対応策をチームみんなで実行せざるを得ない。このような話しは第3者的に見ていると馬鹿らしい話しに聞こえるが、厳しくマネジメントされている会社においてはよく見るケースである。このケースで最も重要なことはビジネスでは情報を集め、データを分析しても「分からない」ことは少なからずあるということだ。これを報告を受ける側もする側もきちんと認識しないと、組織は「真実でない情報」でいつの間にか運用されてしまうことになる。
情報・データから正しい情報を得るためには基本を忘れてはいけない
もちろん、大規模なデータを取り扱うにはそれなりのスキルが必要である。しかし、それにはたくさんの良いツールがあるので、それは勉強すれば解決する問題である。しかし、ここまで見てきたように、最も重要なのは、言われてみれば誰でも分かるような情報やデータをみる基本的なスタンスをどれだけ忠実に守り、正しい視点で分析することを突き通せるかという個人の意思とか、マネジメントの態度であるということが分かっていただけると思う。
情報と真実には大きな差がある。そして、「真実ではない情報」ほど魅力的で、拡散されやすいというハラリ氏の分析は非常に的を得ている指摘である。この金言は、私たちがビジネスを進めていくうえでも、深く心に刻んでおかなければいけない「真実」であると思う。