海外で活躍する日本のミュージシャンを見て考える最新のグローバルマーケティング

日本の音楽の海外での成功の背景を考える

最近はJazz以外の音楽もいろいろ聞くようにしているが、私が日本の音楽業界を見ていて面白いな、昔と違うなと感じる点が2つある(別に網羅的、体系的に見ているわけではないので、それ以外のポイントもたくさんがると思うが)。一つ目は、この10年近く続いているムーブメントで1970-80年代くらいの、日本の当時ニューミュージックと分類されていたような音楽が、City Popと呼ばれて海外の若いリスナーが多くついている、所謂シティーポップブームである。二つ目は、YoasobiとかADOなどのミュージシャンのグローバルでの評価と、彼らが作る音楽のクオリティの高さについてである。

シティポップブームが起こった理由

まず、前者についていえば、なぜ今更50年近く前の日本の音楽が海外の若者に受けているのかといえば、要因はこんな感じらしい。

  • そもそも音楽としてのクオリティが非常に高い
  • 日本独特の歌謡曲的な要素と、アメリカやイギリスを中心とした洋楽の要素の独特のミックスにオリジナリティがある。一方で、洋楽の要素も入っているため、全く見知らぬ音楽でもなく、耳なじみが良い。
  • 歌詞の一部に英語のフレーズが混ざっている事が多いので、その部分だけなんとなく一緒に歌えて、盛り上がれる。
  • 日本国内でしか殆ど聞かれてこなかったので、そもそもこれまで聞いたことがない。

この4点くらいがよく言われていることらしい。このシティポップブームの象徴的な存在が、私の世代の人間からすれば、中学生くらいの頃に聞いていた山下達郎さんであり、その夫人でもある竹内まりやさんである。シティポップブームの中でその界隈のファンであれば誰でも知っている代表曲が、日本でそれ程ヒットした分けではおそらくない竹内まりあさんのプラスティックラブである。ここ何年か、非常に幸運にも山下達郎さんのコンサートに何度か伺う機会があり、MCで山下さんが話していたのであるが、数十年前に日本で出したLPレコードが海外の中古マーケット市場でびっくりするような値段で取引されており、それは本意ではないと過去の作品のLPリマスター版を発売すれば、その年に最も売れたLPレコードになってしまうという、本人も不思議な現象になっているそうである。(シティポップについてもっと詳しく知りたい方はこちら

シティポップが海外でこれだけ人気になっている理由については、私のどこかで読んだ仮説が正しかったとして、重要な点は①クオリティが高い、②ユニーク・オリジナリティがある、③親しみが持てる、④新しいの4点が要素としてピックアップできると思う。この4つの要素はどれがかけても現在のシティポップ的なブームにはならないであろう。例えば、どんなに②~④の要素が整っていたとしても、①のクオリティが無ければ高い評価を得ることは難しいであろうし、①~③の要素が揃っていたとしても、昔から知っている音楽であれば「懐メロ」的な扱いになってしまう。そして、今回のシティポップブームで最も重要な点は、④で、日本人にとっては「懐メロ」的にどこかで聞いたことがある(カラオケでおじさま、おばさまが歌っていたとか)音楽が、海外のリスナーに取っては全く交わることが無かった未知のものであったというのが理由であるのだと思う。

最新のJ-Popが海外で人気な理由

時代は流れて、70年代から一気に現在の日本の音楽シーン(の一部)に目を向けると、先に挙げたYoasobiであるとか、ADO、藤井風などの日本のミュージシャンの音楽が世界中で高い支持を得ている。オジサンが重い腰を上げて彼らの音楽を聞いてみると、びっくりするほどミュージシャンとしての技術も高いし、作る音楽のクオリティも非常に高いものがある。

では、なぜ彼らの音楽は、日本のみならず海外でも高く評価されるのであろうか?私の考えはこんな感じである。

  • そもそも、音楽としてのクオリティが非常に高い
  • 日本のポップミュージックの歴史に根ざした部分も多分にあり、海外の音楽とは異なるオリジナリティがある
  • 動画配信サービスなどで、日本のアニメが世界中で視聴されており、その主題歌などで使われることで、広いオーディエンスにアクセスすることが出来る
  • そもそも、音楽活動がボーカロイド作品や、カバー配信(歌ってみたコンテンツのYoutube配信等)から始まっているケースが多く、そもそも音楽活動のターゲットを国内向けと最初から考えていない

などが上げられるのではないかと思う。これが正しいのかどうかは分からないが、いろいろなものを読んだり、Yotubeとかの動画のコメントを見たり、海外のリアクション動画を見ていたりすると、おそらくそれ程的外れな分析ではないと思う。

シティポップの時とは違い、ここで紹介した4要素がすべて揃わないと、海外で評価されないという分けではなく、この内2-3個揃えばイケそうな気がするが、日本の若い才能がどんどん日本の枠を飛び越えて、グローバルに活躍する場を得ていることに対しては、本当に素晴らしいことだと思い、ビジネス界も遅れを取らずにキャッチアップしていかなければいけないと思う今日この頃である。

日本のミュージシャンが海外で評価されるロジックから、日本企業のグローバルマーケティングを考える

と、長々と、私が気になっている日本のミュージックシーンの現象について書いてきたのには、実はこの動きの中に、現代のマーケティングの非常に重要な教訓がいくつも含まれていると思うからである。

もっと思いつくかもしれないが、現段階で、我々マーケターがこの2つの現象から学ぶことが出来ると私が思うポイントは次の3点である。

  • グローバル
  • オリジナリティ
  • スクリーニング

グローバル市場の規模では日本のニッチも巨大になる

まず、絶対に間違いないと思うポイントは、グローバルで評価されることによるマーケットの拡大のインパクトである。ここで重要なのは、日本のこれらの音楽がK-Popのように必ずしも海外のメインストリームの音楽業界でヒットチャートのトップの常連として位置付けられているわけではなく、少し変わった音楽を聞きたいというマニアや、日本のアニメが好きというようなファン層というある意味ニッチ(ニッチというには日本のアニメは大きすぎるのかもしれないが)マーケットに支持されていることである。K-PopのBTSやBlack Pinkなどのように、米国の若者に聞けばほぼ知らない人はいないという状況とはちょっと異なる位置づけであろうと思われる。

しかし、Youtubeの再生回数などを見る限り、そんなニッチマーケットであっても、ターゲット市場を日本のみからGlobalに広げた瞬間にそのマーケットの規模は巨大になる。例えば、人口の1%に指示されるようなニッチコンテンツでもそのターゲットを1億人の日本にするのか、70億人のグローバルマーケットにするのかで、70倍も市場規模は大きくなるという単純計算になるからである。もちろん実際には、ターゲットが70倍になったからと言って、70億人に同等の購買力があるわけではないので、金額的な市場規模が70倍になるわけではないが。

以前に、ゲーム業界の話で、日本企業の多くは日本でヒットしたタイトルを海外展開するという順番で考えるのに対して、中国、韓国という一部の例外を除いて、それ以外の国の企業は最初からグローバル展開前提で商品開発をしているという話をした。なぜなら、その方が市場規模が大きいのが明らかだし、日本は一応世界第3~5位の経済規模を誇る国内市場を持っているのに対して、特にヨーロッパの小国などでは、国内市場が小さすぎて、国内向けのビジネスなど考えるのが困難である。その意味で日本は中途半端に大きな国内市場を持っていることが足かせになっていると私は思っているが、その枠を取っ払ってしまうことのインパクトというのは、論理的に考えれば分かることだし、その成功例として若い日本の音楽家や、結果的に海外のユーザーに発見されたシティポップ系のミュージシャンをとらえることができると思う。

どんなにニッチなニーズであっても、視点をグローバルに向けることさえできれば、展望が開ける可能性が高くなるのである。

オリジナリティのない商品は継続的なユーザー評価は得られない

コンテンツがサブスクリプション課金になり、アニメや漫画なども昔のように週1回の最新話の更新を楽しみに気長に待つなどという悠長な消費のされ方ではなく、多くのコンテンツが一気見されて、大量のコンテンツが消費されるようになってしまったり、ゲームのようにFree to Playが主流になり、とりあえずゲームを無料でインストールしてもらって、ユーザーは大量のゲームの中から面白いと思ったもののみ長くPlayして、課金もするというように、昔と違って、多くのビジネスにおいて大量に試して、良いもののみにお金を払うという世界が、あらゆるビジネスシーンで一般的になってきている。

さらには、レビューサイトや、SNS等でユーザー発信の情報は世の中に一気に共有、拡散されるため、良いものと悪いもの、面白いものと面白くないものの選別が物凄いスピードで広まっていく状況も日に日に強くなっていっているように思う。

このように世の中あらゆるものが大量のお試しと良いものだけに課金という世界に急速になっていっている分けであるが、このようなビジネス環境で生き残っていけるものとはどのようなものなのであろうか?

そもそも、インターネットがこれほど発展していなかった世界において成り立っていたビジネスチャンスで、いま急速に衰退しているお金の儲け方が、サービス・商品の提供側と購入者との間の情報の非対称性を利用した方法である。情報の非対称性というのは分かりやすく言えば、売り手と買い手の間の情報格差、GAPを活用したビジネスである。

ゲームビジネスの家庭用ゲーム機のゲームソフトのマーケティングを例に考えてみよう。インターネット登場前にユーザーがどのゲームソフトを購入する際の判断基準というのは、主にゲーム雑誌の記事と口コミであった。日本でいえばゲーム雑誌の代表格は「ファミ通」であり、口コミの代表格は学校で友達が面白いと言っているかどうかみたいな話である。まず、ゲーム雑誌についていえば、そもそも数が限られているので、ゲーム会社のマーケターやPR担当者とゲーム雑誌の記者というのは、人間的なリレーションがあり、その関係性の中である程度情報をコントロールすることが、完全とはいえないが、多少は可能であることが多かった(もちろん、単純にお金で買収するというような話ではない)。

一方、口コミについては、ゲーム会社が内容をコントロールすることは出来ないが、〇〇小学校でつまらないと広まってしまったゲームの情報が、隣町の□□小学校にまで伝達されるスピードというのは現代に比べれば格段に遅かった。

その様な状況の中で、万が一どう見てもつまらないゲームを売らなければいけなくなってしまったマーケティングの担当者が考える戦術とはどのようなものであろうか?ハッキリ言ってしまえば、つまらないという評判が広がりきる前に売れるだけ売ってしまおうという事であろう。なぜなら、ゲームソフトというのは、商品を購入して、家に持って帰って遊んでみるまでは、どれだけパッケージをじっくり見ても面白いかどうかが分からないからである。つまり、売り手側の企業はつまらないゲームだと知っているが、買い手のユーザーは購入前にはそれがわからないという情報の格差があり、それを利用して収益の機会を得ようとするわけである(ちなみに、この例は理論上の話をしているのであって、私が所属していた会社がこのような事ばかり考えている分けではないので、誤解なきよう)。

昔のゲームソフトの例を現代の若い読者の方は、「そんな平和な時代があったのか!」と驚くであろうが、まさしくその通りで、現在のビジネス環境では、このような情報GAPでお金を儲けるなどというアイディアはは到底成立しないか、少なくても長続きはしない。なぜなら、多くのものが「お試し」できる環境にあるし、それが無かったとしても、ネットで探せば商品、サービスを利用した人の評判・レビューの情報がたちどころに探せるからである。

では、このようなビジネス環境において、商品・サービスに求められることとは何であろうか?それが私は「オリジナリティ」であると思っている。先のシティポップと、現在のJ Popの音楽でいえば、双方とも西洋や他のアジアとは異なる、ある意味日本語という閉じた文化圏の島国として他の文化世界との障壁が高かった日本というある意味特殊な文化圏の閉じた世界において育まれたバックグラウンドが、他の国の音楽にはないオリジナリティとして捉えられているのである。

ニッチかもしれないが、日本が世界的にポジションを持っているアニメコンテンツなども、おそらく先に挙げた音楽の2つの例と似たような状況にあるのであろう。

これをビジネスの世界に置き換えれば、オリジナリティ=差別化ということになる。現代のビジネス環境において、本質的に商品・サービスの購入者に価値を評価してもらえないものというのは基本的には長期的に利益を上げることは出来ない。なぜなら、誰でも提供出来るようなコモディティ商品は確実に評価が共有され、価格競争に巻き込まれ、利益幅を削り続けなければ売上を確保出来ないからである。若しくは、他に良い商品・サービスが存在しているのであれば、より良いものに乗り換えられてしまうであろう。

これが対象とする市場がグローバルともなれば、当然競合企業の数も市場規模の大きさ同様に増えてくるのでよほど考えないと差別化出来るような商品・サービスにならない。商品・サービスの提供側はこの点をより深く、シビアに考えなければ、事業の成功などありえないのである。

プロの目によるスクリーニングが多くの可能性を摘んでいるかもしれない

最後のポイントはスクリーニングである。といっても、分かりにくいと思うので、もう少し詳しく説明しよう。シティポップとYoasobiの中心人物のAyase氏やADOのようなミュージシャンの共通点というのは、誰かがプロデュースしたり、売り込んだしして世に出たのではなく、Youtube やニコニコ動画のような動画コミュニティの中で、ユーザーにいつの間にか発見され、それに賛同する人が自然発生的に増えたことによって、世に出てきた、認知されてきたという側面が強い。

映像コンテンツでいえば、この対局にあるのが、平成時代までの映像ビジネスの代表格であるTVと映画である。YoutubeとTV・映画の間にあるのがNetflixなどのような動画のサブスクリプションサービスであろう。

では、Yotube→Netflix→TV・映画の順番で変化するものとは何であろう。私は「スクリーニング」という概念であると考えている。まず、Youtube&Netflixとテレビ・映画で異なる点とは何であろう?それは「枠の数」である。TVというのは基本的に1チャンネル分の放送電波枠を国等から委託され、その枠の24時間という有限資源にどのようなコンテンツのラインナップを並べるのかというのを考えるのが最大の仕事である。これに対して、Netflixのようなサブスクリプション動画配信サービスというのは、この24時間という放送枠の制限がない。このため、コンテンツの量は理論上どれだけ増やしても、ユーザーがどのコンテンツを視聴するのかはユーザー側の選択に依存することになる。この意味ではTVとは全く異なると言える。一方で、共通しているのは、コンテンツのラインナップとして何を並べるのかの意思決定はサービスの提供者側が決定しているという点である。

これに対して、Youtubeというのは、TV、Netflixに存在した2つの制限が完全に取り払われたプラットフォームである。つまり、放送枠のようなコンテンツ数の制限はほぼ無限にあり、さらにどのようなコンテンツをのせるかはYoutubeの規約に反しない限りどんなものでもコンテンツクリエーターが決定し、自己の費用で制作し掲載することが出来る。つまり、サービスの提供者は掲載するコンテンツの内容やクオリティに対して基本的に何らかの意図を働かせることは非常に少ない。

つまり、Youtubeというプラットフォームは、枠が無限であることと、そこに掲載するコンテンツの制作・買い付けに関わらないことという2つの条件が揃ったことによって、あらゆるコンテンツを選択することなく掲載する場になっているわけである。私はこれを「スクリーニング」と読んでいる。

Youtube以前のコンテンツビジネスというのは、消費者に届く前のどこかの段階で、必ず誰かの目や耳でスクリーニングが行われていた。それが音楽レーベルのプロデューサーを始めた制作メンバーであったり、番組の編成や制作チームに属するTV局の関係者であったり、Netflixのようなサブスクリプション動画配信サービスのコンテンツ制作・買い付け担当者であったりと可能性は様々である。しかし、間違いないのは、どこかの誰かが、「これは良い。これは悪い。」「これは放送・掲載・販売する。これはしない。」というような意思決定をされたうえで、世の中に届くような仕組みであった。もちろん、プロフェッショナルとして仕事をしている人たちがその様な価値判断をしているので、判断基準であるとか、クオリティ評価の確度などは素人が行うよりも確かであるのかもしれない。その意味では、有象無象の中から良いものを選ぶガイドとしての役割としては価値があるのかもしれない。しかし同時にそれは、そのスクリーニングを行う人のお眼鏡にかなうものである必要があるのも事実であり、その評価が100%正しいとも限らないし、世の中のニーズに合致しているとも限らない。また、リソースの制約があるため、網羅性もない。

しかし、Youtubeのようなプラットフォームが出現したことによって、どこかのプロフェッショナルによるスクリーニングを経ることなくコンテンツが制作者・発信者からダイレクトに消費者に届けられるというルートが出てきてしまった。もちろん、大量のコンテンツの中から、コンテンツが発見されるかどうかのハードルはどんどん高くなっている。しかし、Youtubeのようなプロットフォームには何十億人というユーザーがいるため、どんなにニッチなニーズのコンテンツであっても、求めているユーザーがいる可能性が高く、そのニッチな市場の中で相対的に高いクオリティのコンテンツはかなりの確率で発見され、その界隈で評価され、さらにニーズを取り込んで視聴者を獲得していくというサイクルに乗ることができるような仕組みになっている。シティポップとか、Yoasobi、ADOのような音楽はこのようなサイクルの中でグローバル規模で視聴者・ファンを獲得していったのである。

私はこのサイクルは非常にインターネット的で、面白いと思っている。そして、このようなサイクルはビジネス、マーケティングの世界にも応用すべきポイントであると思う。このような視点で考えれば、これまで培われてきたビジネスの手法、特に伝統的なマーケティングの手法というのは、消費者の目に触れる前にどれだけ正しく、精度高くスクリーニングをするのかという技術を構築してきたのだと思う。経営学などでも「選択と集中」みたいなことがよく言われるように、無駄なこと、やるべきでないこと、儲からないことをどれだけ排除していくのかに重点が置かれてきた。

しかし、インターネットの世界の前提というのは、それを決めるのは企業ではなくて、ユーザーであるという事である。どんなに綿密りリサーチしてもユーザーの正しいニーズを隅々まで理解することは不可能である。寧ろ、ニッチなニーズというのは、真面目にリサーチをすると市場が小さなものと判断され、やるべきではないもの、撤退すべきものと判断されてしまいがちである。もちろん、これまでの伝統的なマーケティング手法で培われてきた方法論を使えば、市場が大きなビジネスチャンスをつかむことは出来るかもしれない。しかし。それではおそらくシティポップとか、日本のミュージシャンのグローバル進出などは起こらなかった可能性は非常に高い。おそらく、現在の状況になる以前はニーズ自体が顕在化していなかったため、リサーチしてもニーズを発見できていなかった可能性が高いからである。このように考えると、スクリーニングというプロセスは、いろいろなものの可能性の芽を積んでしまっているプロセスであると言い換えることが出来るのではないかと思っている。何と勿体ないことなのだろうかと思わずにはいられないわけである。

マーケティングのグローバル展開の根本的な考え方を変えるべきなのでは?

このように現在のコンテンツビジネスを見ていると、インターネットやSNS、Youtubeのようなユーザー発信のコンテンツプラットフォームが広がる現在のビジネス環境において、それ以前の環境でビジネスをしてきた30代以上のビジネスパーソンが学生時代や仕事をし始めて学んできた常識が本当に通じるのかというのは結構疑わしい。グローバル・オリジナリティ、スクリーニング(なし)のキーワードにそぐわないビジネスというのは今後どんどん拡大のチャンスを失っていくのではないかと思われる。もちろん一次的にこの3つの要素が完全に機能する前段階の過渡期的なビジネスとして収益を得られる可能性はある。日本のネットビジネスのタイムマシーン戦略(米国等で流行ったビジネスモデルを海外企業が日本進出前に日本国内向けに展開する)など、日本と海外市場の情報GAPを活用した典型的な事例である。しかし、このようなビジネス手法はビジネスのグローバル競争化とそれに付随する規模の経済性の前に遅かれ早かれポジションを失う可能性が著しく高い。GAFAの企業群と、日本のネットビジネス企業の時価総額の違いを見てもその事はどう考えても明らかである。

このように考えれば、やはり特に日本企業で働いている多くの人は、ビジネスに対する考え方を根本的に変えていく必要があるのではないか?日本市場向けに、日本の消費者が好みそうなものを目利きする技術など、遅かれ早かれ技術として陳腐化していくことは目に見えている。日本の若者が世界に羽ばたいているのをみて、そして、そのプロセスに私のような世代のオジサンのスキルが殆ど関与出来ていなさそうなことを見ていて、つくづくその様に思う今日この頃である。

正しい自己分析と課題の優先順位付け

自社のマーケティングのレベル感を理解できていない会社が多い

私は酷い人見知りで、知らない人に自分から話しかけるということが非常に苦手な性格なので、基本業界団体の集まりとか、異業種交流会とか、ネットワークを広げるような場に参加することを25年の社会人人生で殆ど行ってこなかったし、逃げ回ってきた。実はそれは、これまでマーケティングという自分からものを売るのではなく、お金を払ってサービスを買うという立場をずっと続けられてきたから出来たことであり、自分でその様な会社・ポジションを選んできたという背景もあり、特に不自由なくサラリーマンをしてきた感じである。しかし、50歳を前にして無謀にも独立してみると、そもそも自分でお客さんを見つけないとお金が稼げないという現実に直面し(別に凄く困っている分けではないが)、これまで逃げ続けてきた、自分の会社外の人と積極的にお付き合いをして、ネットワークを広げないといけないなと少しだけ思うようになってきた。

という理由もあって、先日とあるマーケターばかり200人集まるイベントに参加して、2日間に渡り100人近くの企業マーケターやマーケティングサービスの提供事業者の方とお話する機会があったのだが、そこで大小様々な規模の会社のマーケターと話しながら改めて思ったことを今回は議論したいと思う。

それは、「自分の置かれている状況を正しく理解する」ことの重要性についてである。

相変わらず、物凄く当然のことを言い出したと思われるかもしれないが、今回いろいろな事業会社のマーケターの方と話していて、この当然重要だと思っている話を、正しく実行する事が意外と難しいということが理解できた。話を聞いて私が感じた理由の主なものは、下記のような感じである。

  • 自分の会社に関する情報しか持っていない
  • 社内に専門性の高いマーケターがおらす、そもそもどのように自己評価してよいかが分からない
  • スキルの低いマーケターを教育する仕組みが社内になく、社内でも孤立している

自分の会社に関する情報しか持っていない

まず、私がもっとも多く耳にしたのは、自己を正しく評価するための相対的な評価軸が存在していないという状況に陥っている企業が相当多いということである。これは、問題意識を持って外部の情報を入手する方法を考えないと、日々の業務の中で得られるデータは基本自社のもののみなので、自動的にこの状況に陥る。もちろん、それぞれの事業会社は営業機密の関係で外部の方とすべてのデータを共有する事は出来ないため、外部の会社の詳細な情報を入手することは出来ないが、工夫次第では自社と他社の状況を相対的に比較し、自分の現在の立ち位置を確認することは可能である。幸い、私がお話しした方々はこの点に問題意識を持ち勉強に来られた方がほとんどであったと思うが、意図的にそのような機会を創出することは重要であるとあたらめて感じた。

社内に専門性の高いマーケターがおらす、そもそもどのように自己評価してよいかが分からない

勉強熱心であったり、ネットワーキング好きなマーケターだったり、理由は様々だが、 情報の重要性は理解して一所懸命情報収集して、実は相対的に自己評価する情報は持っているのに、自社の立ち位置が理解出来ていなさそうな会社も結構な割合でいることが分かった。その様な会社のマーケターと話していて分かるのは、多くの場合、残念ながら情報が宝の持ち腐れになってしまっていて、その情報を正しく活用して自己診断を行えるスキルがないと思われるケースが多いように感じるということである。自分・自社にスキルが足りないことが分かっているから、情報収集の場に参加して、勉強しようとしているのであるが、大抵の場合、その様な場で共有される美しい成功事例と自社の現状の間にどのような差異があるのかを理解できず、自分たちのレベルが低いという事実以上の自己評価が出来ない状態で立ち止まってしまっているように話をしていて感じた。

スキルの低いマーケターを教育する仕組みが社内になく、社内でも孤立している

社内にスキルの高いマーケターがいないことに起因するのであるが、より根本的な問題は、そもそもスキルの高いマーケターがいないだけでなく、その状況を改善するためのマーケター育成の仕組みも存在しないため、情報があっても自己評価出来ない状況が完全に固定化してしまっているケースも多く見受けられる。典型的な例が、「普段は営業をしているが、マーケティングもしなければいけないという話になり上司に指名されて、営業と兼務しながらマーケティングも担当している。」みたいなパターンで、話を聞く限り、おそらく社内で〇〇さんにマーケティングをお願いしていると丸投げされたうえに、誰も助けてもくれず、孤立していそうな雰囲気なかたに、それなりの数お会いした。

正しい自己評価が施策の優先順位付けを正しく行うスタートライン

いずれのケースにおいても、「自分の立ち位置」が分からないと、例えば外部のカンファレンスで発表されているような成功事例の華やかな話ばかり聞かされると、「あれも出来ていない、これも出来ていない」という感じで、自分が出来ていない事ばかりが目についてばかりで、自信をどんどん失っていくということになってしまう。

しかし、よくよく話してみると、例えば、リアル商品をリテール経由で販売しているメーカーのマーケターの人と話していて、デジタルマーケティングの効果検証が出来ていないから自分たちは全然出来ていないみたいな悩みを聞かされたりする。そのリアクションとして、私から「いやいや、それは御社は確かにマーケティングのスキルレベルに改善する余地は大きくあるかもしれないが、いま仰った悩みは、マーケティングで有名な外資系のグローバル企業だって出来ずに悩んでいるんですよ!」と返答したりすると、暗かった顔が一気に明るく、勇気づけられたように変化したりするのである。

この事例で分かることは、そもそも現在の技術で実現可能なことと、自分たちのスキルが低くて実現できていないことの切り分けが出来ていないことが仕分け出来ていないという事である。これが出来ないと、そもそも技術的に不可能なことまで自分たちがちゃんとで出来ていないと不要な自信喪失状態に陥ってしまい、現状の何が問題で、どこから手を付けると現状から右肩上がりに改善していけるのかが分からなくなってしまうのである。

自分の立ち位置を理解できるマーケティング体制整備と情報収集

という悲しい話にならないために、「自分の現状の立ち位置を正しく理解する」ための阻害要因をどのように排除していくのかを考えてみたいと思う。

まず、大前提として、マーケティングのスキルと知識が足りていないのであれば、外部のコンサルティングでも良いし、広告代理店でも良いし、先生役になってくれる人を探すというのが大前提である。何度も申し上げているが、マーケティングという専門性の高い領域の業務を独力で身に着けられる(それはなんとなく出来るではなく、トップレベルのパフォーマンスを出すという意味で)と考えるのは、非常に成功確率の低い選択であると言わなければならない。私の感覚では、1/30~1/20程度の確率である。これを避けるためには「教えなければ人は育たない」でも述べたように、OJTでマーケティング業務を整える方法を考えなければいけない。この文章を読まれている方が、マーケティング組織を構築する責任を持つマネジメントの方であれば、現場で孤立している社員を育成する環境を作ることは当然の義務であるし、現場で苦しんでいる現場の方であれば率直に一人では限界であることを告白すべきだと思う(後者については、人間関係にもよるので、個々で判断してもらいたいが)。

個人的には、特にコンシューマー向けのビジネスを拡大するにあたって、マーケティングの機能が一定以上のレベルで社内に存在しないことはリスクでしかないと思うので、営業マンを一人減らしてでもミドルマネジメント/プレイングマネージャーレベルで良い人材を採用すべきだと考えるが、最初から1人月分の業務量が出せないというのであれば、骨格作りの間だけ、外部の経験者のサポートを得ることなどを考えてみても良いと思う。いずれにしろ、社内に自社のマーケティングの現状と課題を分析できるだけののスキルと知識を持たないと、どの方向に進んでいけば良いのかの認識が出来ないので、コストをある程度捻出してでも、環境の整備は行うべきであると考える。

この環境が出来たら、いよいよ外部からの情報収集と、その情報と自社の現状を比較することによって、自社の立ち位置を把握するステップへと進む。ただ、注意しなければいけないのは、外部の話を聞きに行く前に絶対に行わなければいけないのは、自社のマーケティングにおける課題の深堀分析である。「売上が目標に達していないのであれば、それは認知度が足りないのか、商品・サービスの理解の浸透が足りないのか、購入・利用を後押しする販促が足りないのか?」のようなFull Funnel的な視点で考えたり、一歩進んで、「認知が足りないことは分かっているので、認知向上の施策を行ってみたが、その費用対効果が把握出来ずに困っている。少なくても売上の推移を見る限り効果があるようには思えない。今のまま続けていてもよいのか?」みたいな具体的に現状行っていることに関する疑念であったり、問題・課題だと思っていることは思いつく限り書き出してみるのが良いと思う。このアウトプットの作業は、自分が考えていることを視える化して、整理するために非常に重要な準備である。

ここまで準備が出来たら、満を持して外に目を向けてみよう。事前に準備した課題リストは、例えば、多くのセッションがあるようなカンファレンスであれば、自分の課題の答えが見つかりそうなセッションを選択するのでもよいし、ネットワーキングの場であれば、会話する相手に質問するリストとして活用してみるのでもよい。

この3ステップを正しく行えば、少しずつ自分、自社の課題が鮮明になり、それを解決するためのヒントをもらうこと、もしくは自分がダメなのではなく、現時点のテクニカルな限界であることを理解して、他の課題の解決にリソースを割くことが正しい優先順位付けであると理解できるようになるであろう。

普段の業務の中で外部情報を収集するアイディア

参考までにここで私のこれまでの現場での実践法、つまり、どのような方法で、外部の情報を入手していたかをいくつか紹介してみたい。

一つ目は、結構誰にでも出来る方法であるが、中途採用の面接の場を使うことにしている。採用したいポジションに関する課題について、面接を受けに来た人とディスカッションをするのである。もちろん面接なので、第1の目的は面接相手のスキルの把握であるが、自社が抱えている問題に対するソリューションの提案内容などを聞き比べて、「業界でトップクラスの代理店でも、実はこのレベルのことに同様に悩んでいるのか?」とか「マーケティングのトップ企業であると世の中で認識されている〇〇という会社でも、この課題の答えは持っていないいんだ」とか面接相手のキャリアとその受け答えの内容から、自社の課題が世の中的に解決済みの話なのか、または、マーケティングのトップ企業でも同じく抱えている課題なのかが分かったりする。

二つ目の方法は、王道ではあるが、外部の代理店やGlobalのメディア企業の担当者と現状の課題をディスカッションして、彼らの最新の情報をフィードバックとして入手するという方法である。このプロセスにおいても、1つ目の面接の話で得られる情報と同様、自分たちの課題について情報が集積している企業において解決済みの課題なのか、継続的に模索している課題なのかの分類が出来るようになる。

この2つの方法で良い成果を出すためには、事前準備で触れた、自社の課題の洗い出しと整理が必須であることはお判りいただけるであろう。自己の課題をどれだけクリアに把握し、それがなぜ課題となっているのかの背景まで理解したうえで、ディスカッションの相手と話すことによって、モヤっとした返答ではなく、自己の課題に対する明確な返答を得ることができ、自分の立ち位置も分かるという分けである。逆に言えば、深く考えていない、「なんか最近集客量が減っちゃって困っているんですよね・・・」のような、何の分析も加えられていないような課題認識では、まともな情報は得られないと考えたほうがよい。

三つ目方法は、部下がいる場合は、部下に積極的に外部の情報収集の機会を提供し、そのリターンとして、上司向けでなく他のチームメンバー向けの意味も含めてレポートを書かせて、カンファレンスなどにいかなくても情報が集まってくるようにする仕組みを作ることである。特に、ある程度の組織をマネジメントするポジションになると、1日とか半日とかをつぶして外部のカンファレンスに行ったりするのは効率が悪かったりするので、組織の仕組みとして外部情報の収集メソッドを確立出来ると、自分自身のUpdateを継続するのに大いに役立つ。

自社の課題を世の中の成功事例と比較して整理する

このように、深い自己の課題分析と外部情報の収集を組み合わせられると、自社の課題リストを次のように整理することが出来る。

①短期的に解決すべき課題

世の中的に解決方法が提示されており、自社で実践されていない課題である。つまり、他社の事例を正しく模倣出来れば解決できる可能性が高い課題である。短期的に成果が出やすい可能性が高いので、この象限に含まれる課題はROIの期待値順に並べ替えて順番に課題解決に取り組むべきである。

②PDCAによる精度向上

世の中、自社の双方で大きな課題として認識されていないということなので、オペレーション精度の向上に焦点が当たる領域であるといえる。ただ、皆さんご存じのように、PDACの高速回転こそが中長期的な自社の強みの源泉であるため、この領域を間違っても軽視してはいけない。

③発見されていない課題

世の中的に解決されていない課題と認識されていて、自社で問題になっていないのであれば、それは自社の課題洗い出しが不十分か、まだその課題にぶつかるレベルまで到達していないかのどちらかである可能性が高い。稀に、奇跡的に無意識に解決できているということもあるかもしれないが、本当に稀だと思う。課題として認識されると、④に自動的に移動する

④長期的に解決すべき課題

世の中的にも解決方法が定まっていない課題であるため、①の課題が山積しているのであれば、ひとまずは棚ざらしにしておいて、優先順位を下げておくべき課題である。ここにチャレンジすることに大きなリソースを割いてよいのは、①のリストが一掃され、②に特化出来ている企業である。

このように整理が出来ると、例えば以前例示した「リテール流通中心のメーカーが自社のデジタル広告と商品売上の関連性が把握できない」という悩みは、私の認識では④に分類されるため、この点で悩んだり、自信を喪失する必要は必ずしもないということがお判りいただけるのではないか。

それよりも、このような企業のマーケターは、同種のリテール商材メーカーのトップマーケティング企業がかつて①でどのような課題にぶつかり、現状で解決して②のPDCAサイクルを回しているのかまずは必死に学んで実践する方が圧倒的に効率が良いということになる。

このBlogにおいて、私はデジタルマーケティングの成功法則の大前提はPDCAの高速回転であると繰り返し申し上げていて、その考えを変えるつもりは全くないのであるが、この手法のおそらく最大の問題点は、本当にそれだけをやり過ぎてしまうと、思考がどんどんミクロになってしまい、俯瞰的な視点で自社の課題を見られなくなるという事である。

ビジネス用語ではベストプラクティスといい、日本の古典芸能では守破離というが、そもそも成功している人のマネをすることは、成功への近道であることは間違いないので、人の苦労は上手く利用するのがいいと思っている。それを上手に行うためには、まず自己を知り、世の中の先達の苦労を学び、自分に上手く転用することが何よりも大切である。それを上手に行うためには、今回ご提案した4象限に自社の抱える課題を一度整理してみるのは有効だと思う。そして、実践するためには、内に内に深堀する思考をたまには解放して、外に目を向けてみることも重要である。個人的には内9:外1位のバランスで良いと思うが、この1の余地を残しておくことは非常に重要である。

そんな気付きを一気に100人位のマーケターと2日間で一気に話をするという機会から得られたのは、私にとっての大きな収穫であった。

凡事徹底とPDCAの違い

何でもないことを徹底すること

このブログで私はPDCAの高速回転の重要性を嫌になるくらい繰り返して来た。実はそれと似たような言葉でビジネスの成功法則的な話でよく使われるワードに「凡事徹底」という言葉がある。辞書で凡事徹底を引いてみると次のような感じである。

”なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと、または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さないことなどを意味する四字熟語。”

出典Weblio

最近は大谷選手のパフォーマンスが振り切れ過ぎているので、若干印象が薄くなっているが、大谷選手が登場するまでMLBで最もインパクトのある成績を残した日本人選手であるイチロー選手が座右の銘にしていたらしく、それでも有名になった言葉でもある。日々行う一つ一つのことはそれ程特別な事ではなく、それを徹底的に行い、他人の追随を許さないという意味では、私の大好きなPDCAと似ているのであるが、個人的には余り好きな言葉でなかったりする。ちなみに、私自身は部下に話すときに口にしたことはおそらくない。

では、凡事徹底とPDCAの違いは何であろうか?それは、徹底する対象の「何を」を選ぶプロセスが、凡事徹底というスタンスには存在していない事なのではないかと思っている。そして、この「何を」を正しく選べないと、この凡事徹底という仕事に対するスタンスは、上手くいかないだけでなく、障害となったりするケースまである。

PDCAというのは、Plan→Do→Check→Actionの4つのステップで構成されるわけであるが、凡事徹底というのは、Doにフォーカスして、Doの精度を徹底的に極めようという事であると私は理解している。もちろん、PDCAを回す際に、Doをいい加減にやってしまうと、CheckとActionの精度も当然落ちるので、PDCAの高速回転による改善活動のスピードが落ちることになる。しかし、PDCAで重要なことは、4つの段階のそれぞれの精度をあげることで、対象の課題を改善、解決していくことであるので、Doの部分だけ精度向上する事だけではそれ程意味がないということになる。

凡事徹底が成功する2つのパターン

では、なぜ「凡事徹底」という言葉がもてはやされるのであろうか?可能性は2つのパターンであると思っている。①凡事徹底といっている人がそれなりに優秀で意識/無意識に関わらずP・C・Aも正しく行っており正しく「何」を選択出来ているパターン。②企業や部署のオペレーションが長い年月のPDCAの末に確立しており、P・C・Aに改善の余地が少なくDの精度を徹底的にあげることが成果に直結する可能性が高いパターン。私は、「凡事徹底」というスタンスを組織に強固に浸透させ(それが徹底出来ない人はそもそも凡事徹底などと部下に言う資格がない)、高い業績をあげているパーンは、この2つのパターンのいずれかであると思う。

まず、①の実はPDCAをやっていますというパターンについて見てみよう。おそらく、冒頭で例にあげたイチロー選手などはほぼ間違いなくこちらのパターンに属する凡事徹底であると思う。なぜなら、若いころからP・C・Aもなく、Doだけ極めた人が、誰もマネできないような振り子打法などというユニークなバッティングフォームになるわけがない。必ず、PDCAの限りない繰り返しの中で、誰も到達しえなかった技術の領域に達し、日米通算4367安打という前人未踏の記録を実現したはずである。もし、彼が凡事徹底が重要といって、チームに決められた練習メニューを誰よりも精度高く愚直に行っただけでは、絶対にあのような成績を残すことは出来なかったと思う。このようなスタンスの人が凡事徹底を協調する場合は、D以外のP・C・Aは通常レベル以上に精度高く高速で回転させている前提で、その中でもDの精度を徹底的にあげることが、超一流の世界の競争において差を分けるということを言っていると理解すべきであろうと思う。

一方で、②の長年のオペレーション経験において、PDCAによる改善余地が少ないケースというのは、当然新規事業などではなく、歴史と実績のある事業などで見受けられるケースであるといえる。このケースにおいては、競合との差別化要因はDoの精度であることが当然多くなるので、Doに特化した「凡事徹底」が強調されるという分けである。ぱっと思いつく例としては、私はやったことがないが、大手ハンバーガーショップの店舗オペレーションの話をメディア等で見ると、おそらくDoの徹底的な精度向上による生産性Upが店舗のサービスクオリティを決定する重要要因であるため、実際に言われているかどうかは知らないが「凡事徹底」系の現場であるのだろうと想定される。

間違った凡事徹底

ここまでで、「正しい」凡事徹底の理解と、事業現場への適用方法を見てきたが、私がこの言葉を重視せず、PDCAという言葉を重視する理由は、この「正しい」理解の基に運用されずに、間違った凡事徹底が行われる現場を多く目にするからである。

「正しい」凡事徹底を理解いただけている読者の方にはすでに予想できると思うが、凡事徹底が上手くパフォーマンスしないケースというのは、Doしか現場もマネジメントも見ておらず、P・C・Aの状況を正しく評価・分析出来ていない時に発生をする。

上手くいかない時に発生しがちな失敗は、凡事徹底するDoの実施中にPDCAがきちんと回っていないために、そもそも現場に何故そのDoの徹底を行い、どの方向で精度向上を図っていけばよいのかが理解されていなかったり、正しくディレクションがされていなかったりする事である。

例えば、次のような話を身近で効いたことはないであろうか?

ある営業部門が営業人員一人当たりの売上額の最大化を行うためにデータを分析したとする。その結果、一人当たり売上高が高い上位〇%の人材のデータから、一人当たり売上高と一人当たり月次のアポイントメント件数の間に相関関係があることが分かった。このため、この営業部門は、各営業人員に月次のアポイントメント件数の目標値を設定し、その達成を重要KPIとして定めることとした。

 ここまでは、あくまで架空の事例なので、データ分析の精度は大雑把であるが、ロジックとしてはそんなに変なことはしていないような気がする。では、少し時が経って、それから2年後の同じ営業部門である。

 この営業部門は、非常に「数字にこだわる」チームで、部署で決められたKPIの達成を重視して部署運営がなされている。重要KPIは一人当たり売上額とそれを実現するための一人当たりの月次アポイントメント数の目標達成である。この2年間の経験から、月次アポイント数を達成するためには、徹底して顧客リストに対して架電をすることが重要だということが分かっている。このため、営業スタッフ、特に、一人当たり売上高が未達成の人員には徹底してアポイント獲得の架電数を増やすように指導している。この2年間で架電数は倍に増えており、アポイント件数も20%増大した。しかし、一人当たり売上高の改善はわずか3%で計画値を大幅に下回っている。

この事例において、何が問題なのであろうか?まず、2年前に一人当たり売上高とアポイントメント件数の連動性をデータ分析の結果発見して、重要KPIとして設定したところまでは、それ程おかしなことではなかった。しかし、この2年間で行ってきたことを見てみると、その成果は思った通りに上がっておらず、計画から改善幅は大幅に下回っている状況である。では、何が問題であろうか?

この2年間で起こったことは、アポイント件数というKPIを達成するために、それを増大させるサブKPIとして営業人員の架電数という行動KPIを分析の結果設定した。そして、そのサブKPIをKPI管理し、架電数を2年間で倍に増やすことに成功した。しかし、アポイント数は20%増にとどまり、一人当たり売上高は3%増にとどまっている。つまり、何が起こっているかといえば、架電あたりのアポイント獲得件数は大幅に悪化し、アポイント当たりの売上高も大幅に悪化しているという事である。

凡事のシンプル化と行動量管理

このような話を文章で論理的に書いて説明すると、一定レベルの論理的思考力がある人であれば、こんな稚拙なオペレーションの会社があるのだろうかと思ってしまうかもしれないが、私が知る限り、このような話に似た状況に陥っている企業や部署は意外と多いと思っている。そして、その最大の原因が「間違った」凡事徹底にあることが多い。

今回のケースで、当初凡事徹底の対象となるKPIは月次のアポイント件数最大化であった。その指標が一人当たりの売上高と連動性があるという統計データがあったため、この判断自体には問題はおそらくないと思う。

しかし、2年間運用する中で2つの変化が起こっている。一つ目の変化は、架電数というサブKPIが現場において設定されたこと。二つ目の変化は、アポイント件数と一人当たり売上高の相関性が低くなったことである。

まず1つ目の架電数というサブKPIについて考えてみよう。発想として、ひとつのKPIを実現するために、要素を因数分解して、サブ的なKPIを設定すること自体は全く間違っておらず、寧ろロジカルな話である。この場合は、アポ件数=架電数×アポ獲得率という因数分解を行い、架電数をサブKPIとしたわけである。ただ、架電数を目標値として設定する場合、因数分解の数式を見れば一目瞭然な大前提がある。アポ件数と架電数が連動して増えるためにはアポ獲得率が一定でなければいけない。しかし、今回のケースでサブKPIとして設定されているのは、架電数のみである。実はここに凡事徹底の罠がある。凡事徹底という言葉が好きな人にありがちなのであるが、凡事を非常にシンプル化・簡略化しようとする傾向にある。また、凡事の結果を簡単に計測しやすいものにしたがる傾向も強い。そこで出てくるKPIが組織の構成員の行動量をカウントする行動KPIである。この場合は、架電数が行動KPIである。この思考プロセスをたどると、組織において、KPI(アポ件数)=サブKPI(架電数)という間違った方程式が出来上がり、より現場マネジメントがコントロールしやすい行動KPIである架電数の方を凡事と定義し、コントロールするようになるわけである。多くの場合、固定値として暗黙的に見過ごされたアポ獲得率は短期的に大きく変動することはないので、アポ件数と架電数の連動はある時期までは連動することも少なくない。このため、架電数を増大させるようなマネジメントをすることが正しいと考えるようになる。結果的に電話をかけるという誰でも出来る「凡事」を愚直にやれば売上が上がるというような間違ったロジックが組織に浸透してしまうわけである。

連続した微細な変化に気が付けない

そして、このような状況が常態化してしまう理由が、2つ目の変化であるアポイント件数と一人当たり売上の相関性の悪化が見過ごされてしまう事である。

この文章では、2年間の間を端折って見ているので、この変化量は明らかであるが、例えば2年間24か月分の変化を24分の1ずつ前月比とかで見ていると、ひと月当たりの変化量が小さいので、そこまで大きな変化として認識されず、事業管理のロジックに問題があるのではなく、日々の現場のオペレーションに問題があると誤解されてしまったりすることも少なくない。よく経営会議などで、「目標達成に向けた現場の粘り強さが足りませんでした」みたいな精神論が語られたりするのを聞いたことがないだろうか?私の経験上、前月と今月のパフォーマンスの違いで、今回でいえばアポイント→売上の相関係数の変化が明確に認識されることは難しかったりする。なぜなら、それが日々のオペレーションの精度の悪化による変化なのか、そもそも長期的なトレンドとしての変化なのかが、直近の数字だけをみているとわかりにくいからである。そうするとロジカルな改善ポイントが見つからないので、精神論か、現場のオペレーションを原因にするしかなくなるわけである。そうするとまたやってくるのが凡事徹底である。数字にこだわり、当たり前のことを当たり前にすれば、今月目標に未達であった数%の売上は実現できたはずであるとなるわけである。

P・C・Aを組み合わせプロセス全体の健全性を確保する

このように見てくると、PDCAに比べて、凡事徹底というのは誤解を生みやすい、間違った運用になりやすい言葉であることがお判りいただけるのではないだろうか?Doに集中しすぎることによって、Doが当初の想定とずれてきたり、機能しなくなったときに修正が効かなくなるリスクが高くなるのである。私はこれを「凡事徹底による思考停止」と読んでいる。上で述べたような架空の事例における2年間は、正に凡事=架電数最大化を愚直に信じてしまった思考停止が産んだ悲惨な状況である。

こうならないためには、常にP・C・Aをセットで行い、今行っているDoが当初の想定通りWorkしているのか、もし、想定通りに事が運んでいないのであれば、何が原因でどのように改善しなければいけないのかを考えることが重要なわけだ。

凡事徹底という姿勢は、Doのパートの精度向上という意味では素晴らしい金言である。同じような言葉に、「神は細部に宿る」とか「Devil is in the detalis」のような言葉もあるが、要は、一つ一つ丁寧にやるみたいな視線を美徳とする感覚が結構もてはやされがちである。しかし、イチロー選手の例でも述べたが、ほぼ確実に成功している人というのは、Doの精度の向上と同時に、P・C・Aのサイクルも必ず同時に行っている。この点を理解せずに、凡事徹底という美しい言葉を真に受けると、長い時間軸で俯瞰してみると、今回ご紹介したストリーのような状況に陥るわけである。

繰り返すが、言葉には罪はないし、その姿勢にも全く誤りはない。しかし、必ずその凡事がPDCAサイクルのいちパートであるということは忘れないでもらえればと思う。

自由とクリエイティビティ

コロナ禍でなくなってしまった生活習慣

どうしても大型犬が飼いたくて、マンションでは無理なので一軒家に引っ越して犬を飼いだしたのが2020年12月であったが、その決断をしたのはその一年前であるので、家を探し始めた時はまだコロナ禍は始まっていなかった。このため、原因が犬を飼い始めた事なのか、コロナ禍のためなのかは切り分けられない(というかダブルだと思う)のだが、この2020年以降の4年間で私の生活で最も変わったことのひとつが、学生時代からの最大の楽しみであり、ほぼ唯一の趣味的なものであったJazzのライブに行かなくなってしまった事である。

切っ掛けは高校のバンドをやっている友達の一人が、よりテクニックのあるベーシストを追い求めたら1980年代に流行ったFusionというジャンルのジャズにたどり着いてしまい、その影響を受けて聴き出したのだが、大学生の時などは使えるお金の殆どをタバコ代かJazzのCD代に使ってしまうような感じで、1940年代以降のあらゆるJazzを聞きまくるという30年間位を過ごしてきた。そのため、海外旅行の行先といえばNew Yorkばかりになってしまい、長い休みが取れればNYに行って、昼間は美術館とかをぶらぶらしながら、夜は毎晩NY中のライブハウスの出演者情報を見比べて、今日はここ、明日はあちらみたいな感じで、ライブを見まくるみたいな事ばかりしていた。結婚してからも、最初は興味がなかった奥さんを無理やり教育してJazz鑑賞に付き合ってもらえるようにして、月に数回は日本でもアメリカに住んでいた時にもライブを聴きに行くという生活をしていた。

それが、コロナ禍になって、そもそもライブという形態のエンターテイメントが一次的になくなってしまい、復活後もなかなか海外の有名ミュージシャンが来日できないという状況になり、数少ない楽しみを味わえない3年間位の期間を過ごしたら、すっかりJazzのライブに行くという生活習慣がなくなってしまった。

Jazzってこんな音楽

という、私のどうでもよい生活の変化の話は本題ではない。今回の話は、Jazzという音楽を切っ掛けにして、クリエイティブなものを作ることについて考えてみようということである。

漫画の「Blue Giant」などを通じて、最近は若い人も少しJazzに興味を持ってもらえるようになって、うれしい限りであるが、それ程詳しくないかたもいると思うし、そもそもJazzって小難しい音楽だと思っている人もいると思うので、超簡単にJazzという音楽がどういうものなのか説明する(詳しく知りたい方はこちら

Jazzが、ロックやポップスなどの音楽と最も異なる点はアドリブ/即興演奏が重視されている点である。演奏をするにあたって、譜面にかかれている決まったパートは演奏の最初と最後の一部分のみであり、間の大半の部分はバンドメンバーが順番にアドリブで演奏して、ひとつの曲の演奏を完成させる。そして、このアドリブ演奏にプレイヤー一人一人の個性が表現され、クリエイティビティが発揮されるのである。このため、所謂スタンダートと呼ばれる、多くのミュージシャンが演奏するような定番の楽曲であったとしても、プレイヤー、バンド毎に全く異なる曲といっても良いほど違う演奏になる。

超簡単に説明するとこんな感じでJazz愛好家は、様々なミュージシャンの即興演奏を聞き比べながら、この人は好き、この人は凄いなどなど思いながら自分の好みのミュージシャンを決めて追っかけたりするわけであるが、私はJazzを聞きながら考えることのひとつが自由とクリエイティビティの関係である。

クリエイティブを発揮する方向性

一般的にクリエイティブな事を考えてくださいと言われると、自由であれば自由であるほどクリエイティビティが高いものが生まれると考えられがちである。Jazzであれば、それを追求して行きついてしまったFree JazzというタイプのJazzが存在するのであるが、このタイプの音楽というは確かに自由ではあるが、少なくても私のような音楽の素人にとっては、何をやっているのか理解出来ず、本当にクリエイティビティが高いのかというと個人的には疑問である(例えば、こういうもの)。もちろん、クリエイティビティが高いかどうかという評価には個々人の価値観や趣味趣向が関わるため、絶対はない。事実、リンクを張ったアルバート・アイラ―というミュージシャンは、私のようなド素人にはほぼ理解不能であるが、Jazzの歴史において最高峰のサックス奏者であるジョン・コルトレーンが非常に高く評価していたミュージシャンである事で知られている。ただ、これはほぼ間違いないと思うのであるが、常人が理解するには余りに抽象化されすぎているので、そのクリエイティビティを多くの聴衆に理解してもらうことは難しい種類のものになってしまっているということである。

ではなぜ、自由度が高すぎると、クリエイティビティを発揮することが難しくなるのであろうか?私はそれはクリエイティビティを発揮するディレクションの選択肢が多くなりすぎて、どの方向にクリエイティビティを伸ばしていけば良いのかという尖がるポイントが決められなくなってしまうからだと思う。例えば音楽でいえば、メロディとハーモニーとリズムが主要な3要素であるが、Jazzの即興演奏というのは、ハーモニーとリズムは約束事として事前にある程度決めておいて、メロディの部分で自由度を発揮して、そこを突き詰めるというクリエイティビティを伸ばす方向性が決められているのが一般的である。このため、他のバンドメンバーも即興演奏しているプレーヤーの演奏に破綻せずに反応し、音楽を形作れるし、聞いている聴衆も、バンドの音楽としての心地よさみたいなものをベースに感じながら、アドリブ演奏にある程度集中して耳を傾けることが出来る。しかし、先ほどのFree Jazzの場合は、ハーモニーとリズムの約束事も取っ払ってしまっているので、少なくても私のような素人には、いったい何を聞けばよいのかが全く理解できないのである。また、この状況が正しいのであれば、聞き手として理解できる人が限られてしまうということは、その様なタイプの音楽の作り手になりえる人間も相当に限定されてしまうということを意味するので、どんなに素晴らしいものであっても、非常にニッチなものから抜け出せない可能性が高くなるということである。

知識、経験があるから新しいものが考えられる

と、大半の人が興味がないであろうJazzのお話をなぜ永遠としてきたのかといえば、この話って、マーケティングとかビジネスの現場でも同じようなことが言えるのではないかという事である。

例えば、私が今年の4月からサラリーマンをやめて新しいビジネスを作ろうと考えた時に、論理的には私には無限の選択肢が広がっている。別にデジタルビジネスでなく、マーケティングでないものを選択しても全く問題はない。例えば、それこそ今年からミュージシャンを目指したって全く問題はないはずだ。しかし、可能性としては否定しないが、それなりに成果を出したいと考えればおのずと選択肢は狭まってくる。なぜなら、周りの競合者たちとの相対的比較において、ゼロからのスタートではなく、選択肢を間違えると大幅なマイナスからのスタートになってしまうし、そもそも現時点での差をこれから数年で埋めること自体が不可能な可能性が多分にあるからである。

と考えると、私が20数年関わってきた、デジタルビジネスであったり、マーケティングという領域で何かをやろうという話になるわけであるが、では、私が自分がこれからやることをデジタルビジネス・マーケティングに絞った瞬間にクリエイティビティを開拓する余地などなくなってしまうのであろうか?

私は答えはNoだと思っている(そう信じている)。もちろん、単純に既存の広告代理店などと同じサービスを行おうと思うのであれば、よほど独自の手法を考えつかない限り、クリエイティビティの領域よりも、オペレーションの精度のような部分での競争をしなければいけなくなる可能性が高い。特にパフォーマンスマーケティングの領域においては、AI化がどんどん進んでおり、人間が介在できる領域がどんどん小さくなっていっているため、ちょっと工夫するくらいでは、クリエイティビティを発揮できる余地は本当に小さくなっている。もし、このようなエリアに新規参入して成功しようと思う場合は、おそらくクリエイティビティの発揮というよりは、オペレーションの精度をどれだけ上げられるかの方が競合企業との差別化をするポイントとなってくる。やるかやらないかは別にして、もちろんその領域で勝負しようと思えば私にも可能であるかもしれない。

ただ、あらゆるアイディアが、オペレーション精度のみで勝負しなければいけないのかと言われれば、私はそうではないと思っている。デジタルのサービスはこの20数年間で目まぐるしいスピードで発展してきたが、世の中のあらゆる問題を完璧に解決したわけではない。もちろんそんな状況になることはおそらく永遠にあり得ない。詳しくは申し上げられないが、いろいろな人とお話をしたり、世の中で成功しているサービスを見たりしながら、自分のやりたい様々なアイディアが浮かんできたりする。もし、私がデジタルビジネスのアイディアを考える事が、他の人よりも得意であるとすれば、おそらくそれは20数年に渡り、相当な幅のデジタルサービスの開発や運営に直接、間接を問わず関わってきたという蓄積がそれなりにあるからだと思っている。そのビジネスの領域を知っていればこそ、これまでの歴史的変遷や、成功したものだけでなく、失敗して消えていったサービスの事例、反省などを土台にして、新しいアイディアを考えることが出来るのだと思っている。

逆に、新規事業の検討をするために、例えば未経験の業界のリサーチをして、その過程でいろいろアイディアを考えていると、最初のころは大抵は、「こんなアイディアどうだろう?」と提案すると、大抵の場合は「そういうサービスはすでにあります」とか「そのアイディアは〇〇社がすでにトライして失敗しました」みたいな話になることが多くなる。つまり、素人の浅知恵的なものというのは大抵の場合、本人は凄い良いアイディアだと思っても、多くの先人が通った道であることが多いのだ。つまり、何かを新しく生み出すということは、ある程度、土台となる知識とかスキル、経験のようなものが必要であるという点だ。もし、その様なことを学ばずに、自分で思いついたことをクリエイティブだと信じて全部試していたら、おそらく時間がかかりすぎて、成功にたどり着く前に歳を取ってしまうか、会社であれば資金が足りなくなって、事業をやめなければならなくなってしまう。

イノベーションを起こす方法

つまり、何かを新しく生み出そうとするときに、考える範囲を限定するという事には意味があるということになる。そして、その理由を考えることは、どうすればクリエイティブに新しいものを生み出す、ビジネスで言えばイノベーションを起こすことを可能にするのかのヒントになるはずである。

この辺の話はイノベーションマネジメントという経営学の分野で研究されている領域なので、興味のある方はその辺も調べてみたら良いと思うが(私の知識は大学院生であった25年前位でとまっている)、ここでは、私なりの仮説をご紹介できればと思う。

①考えるべきフレームワークが存在する

一つ目は、考えるフレームワークを明確にしやすいという事である。先ほどの素人の浅知恵の話ではないが、どの業界にもその業界の問題点を解決して業界をよくしようであるとか、もっと下世話に、一儲けしてやろうとか考えている人はいるものなので、それなりに歴史のある産業、業界であれば、業界内の問題点はある程度明示され、その解決の方法などは、歴史の中である程度は検討されているものである。このため、その業界をより大きく発展させるアイディアというのは、普通に考えればその延長戦上にある可能性が高い。例えば、良くある話であるが、ある業界のビジネスが成り立つ要素がA、B、Cの3つがあるとして、既存企業の改善の方向性が、AとBを所与の条件として固定し、Cの効率性を改善する事に集中していたとする。そんな時に、業界の新参者が、いやAをこう変えててしまったら、そもそもCももっと改善するのではみたいなアイディアを言い始める。それが大成功して、老舗の産業でスタートアップが大きく成長する例などはデジタルビジネスの世界で多く見てきた。Jazzの話であれば、コードとリズムを固定してメロディをアドリブで工夫することに全力を注いでいるところに、誰かが「いや、リズムを変えてしまう方が個性が出しやすくない?」みたいな話を言い出したりすることである。事実、Jazzの歴史においては、ブラジル音楽のリズムを取り入れることでボサノバが生まれ、ロックのリズムを取り入れることでフュージョンというジャンルが発展した歴史があったりする。

いずれにしても、重要なのはコード、リズム、メロディではないが、考えるうえでのフレームワークがある程度定まっていることで、考えるべき要素の整理が出来、そのどの要素を動かし、どの要素を変えるのかというように、深堀して考える方向性を明確に出来ることが、新しいものを生み出すうえで非常に重要だと思われる。これが、先に挙げたフリージャズではないが、3つの要素のすべてを自由にしてしまうと、フレームワークがなくなり、進むべき方向性が見出せなくなってしまうのである。

②範囲を決めることで、内と外の境界を明確化出来る

2つ目のポイントは、考えるべき範囲を限定することで、内と外の境界を明確化出来るということである。表現が抽象的な感じがするかもしれないが、具体例を考えれば直ぐに分かる話な気がする。例えば、書店員であるAさんがAmazon.comが生まれる以前に、インターネットで本が売れるのではないかと考えたと仮定しよう。普通の人がネットで本を売ろうと考えて、それが良いアイディアかどうかを判断するときに比較するべきは、既存のリアルな書店との比較であろう。このため、書店ビジネスの特徴をまず考えてみよう。本という商材の最も特徴的な点は、商材の点数が異常に多いという事である。どこで読んだのか定かでないので正しいかどうか分からないが、地球上で本より種類の多いものは昆虫しか存在しないそうである。この商材の種類が多いという点に着目すると、リアルな書店ビジネスというのは、次のような問題に直面する。それは、店舗の規模である。当然物理的に多くの書籍を直ぐ売れるような店舗を作ろうと思うと店舗の敷地面積は大きいほどよいということになる。品揃えがよい書店を作ろうと思えば、店舗はどんどん大規模になる。しかし、当然規模の大きな店舗を作ろうと思えば当然その店舗を維持するためには、家賃も高くなるであろうし、店舗をメンテナンス、オペレーションするための人員の確保も必要である。つまり、規模の大きな書店の運営には当然大きなコストがかかるわけである。

大きなコストがかかるということは、当然その店舗を維持して利益を出していくためには、大きな売上が必要だということになる。そして大きな売上を上げるためには、当然その売上分の商品を購入してくれる顧客数が必要であるということになる。

このように考えると、書店ビジネスというのは、出店するエリアの商圏規模と店舗規模をバランスさせることが重要であるということが分かる。例えば私が住んでいる新宿には紀伊国屋書店という大きな書店が2店舗存在するが、おそらくあの規模の書店が維持できるのは新宿という日本で最も乗降客数が多いターミナル駅の商圏内にあるからであろう。

同じ規模の店舗を、郊外の住宅エリアの駅前に立てたとしても、幾ら抜群の品揃えで他の店舗と差別化出来ても、おそらく市場規模的に同様の売上・利益を上げられる可能性は著しく低いと考えざるを得ない。

ここにインターネットという新しいソリューションが登場する。その誕生とともに、インターネット通販というのもが流行り出したらしいという噂が聞こえてきた。インターネット通販というのは、物理的な店舗は必要なく、パソコンの画面上にカタログのように商品一覧を作ることができる。そして、パソコン上で注文が入ったら、倉庫から宅配便で注文者の指定した住所に商品を送るという仕組らしい。

それまで、書店ビジネスの莫大な商材数と店舗規模のバランスに大きな問題意識を持っていた書店員Aさんは、インターネット通販の仕組を聞いて、これは面白いかもしれないと思い始める。なぜなら、ネット上のカタログはどんなに商材数を増やしても家賃が増えることはないので、ある意味無尽蔵に増やすことが可能である。また、商品は全国どこから注文されても宅配便で倉庫から送るだけなので、町中のお店ではなく、家賃の安い郊外に倉庫が1か所あればよい。しかも、インターネットの電子カタログというのは、欲しい本の名前をいれてボタンを押せば、その本をコンピューターが直ぐに探してくれるので、物理的な店舗で本を探すよりも簡単に欲しい本を探せるという。何て便利なのだろう。。。

ジェフ・ベゾスがどう考えてAmazonを始めたのかは話したことがないので知らないが、おそらくこんな話のスーパー精緻化バージョンだと思う。そして、ここで、重要なのは、内と外の境界である。この例で言えば内はリアルな書店ビジネスであり、外は新しく勃興したインターネット通販ビジネスである。まず、ここで重要なのは、書店Aさんが自分が働く書店ビジネスである「内」について、その構造を客観的に分析して、ビジネス上の問題点を整理・理解しているという事である。自分が問題解決をしたり、イノベーションを起こそうとしている分野を内として定め、その分野の問題点・課題を構造的に理解するということが、イノベーションの出発点になるはずである。

それに対して、外であるネット通販についても、そのアイディアが自己の内の改善に役立つかどうかを検討するためには、内の客観分析に基づいた整理・理解と同じフレームワークで、外の分野についての整理・理解をする必要があるし、内の分析をきちんとしていれば、それはある程度可能になる。そして、その外の分析により、外のアイディアが内の課題解決の可能性があるかどうかの検証が可能になるわけである。

イノベーションという言葉を経済用語として提唱したヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションを生み出す手法を「新結合」と言ったが、新しいビジネスのアイディアというのは、大抵「内」の問題を解決するアイディアが、「外」の別の業界、産業にあって、それを「内」に取り込むことによって起こると考えられている。こちろんこの考え方は、学問の世界の机上の空論ではなく、現実のビジネスの世界でも当てはまると思っている。

しかし、それを上手くやるためには、「内」と「外」の境界を明確にし、まず「内」の深い理解を行い、その土台の上で「外」の世界を見ることが必須である。この意味で、物事を考える枠組みである「内」の限定は非常に重要だというわけである。

自由な発想は枠組みを作るところから

最初は音楽の話を始めたので、お読みになった方は何のことかと思われたかと思うが、クリエイティビティという側面で考えるとき、Jazzというのは即興演奏が重視されているという自由度があるからこそ(その辺がクラシックとは違うのかな?と)、ビジネスと対比して分かりやすい事例だと思って、趣味の話をちょっとさせていただいた。

何の枠組みもなく、自由な発想で、なんでも好きに考えてよいことが、クリエイティビティを高めたり、イノベーションを起こしたりするわけではないと思っている。たまにいる天才的な人を除いて、普通の脳みその持ち主にとっては「確率を上げたい」のであれば、寧ろまず、どのエリアでクリエーションするのかという枠組みを設定することをお勧めする。それにより、考える方向が定まり、対する対象の分析も精緻になるわけである。

知識創造企業 ~野中郁次郎先生の功績~

野中先生の業績

私の知る限り、おそらく日本人の経営の学者で世界で最も高い評価を得ていた方の一人(というか、おそらくダントツ)である野中郁次郎先生が25年1月にお亡くなりになった。(本当に、心からご冥福をお祈り申し上げます。)

野中先生は、私が大学・大学院と通った一橋大学で長く教鞭をとられていたが、大変残念ながら私の在学時には退官されていたため、直接講義をお伺いする機会には恵まれなかったので、この点は大変残念であったが、幸い野中先生と長く研究やお仕事をされていた米倉誠一郎先生や竹内弘高先生の講義を受けることができたので、お二人の先生を通じて野中先生のお話を何度もお伺いする機会もあったし、その影響で主要な著書も読ませていただいた。

野中先生は著書も膨大であるが、最も有名な業績は2つであろう。一つ目は、100万部以上の販売実績がある「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」である。第2次世界大戦の戦時史研究をベースに組織論的な視点から旧日本軍がなぜ敗れるに至ったか(ちなみに、本書ではそもそも第2次世界大戦への日本の参戦は勝てない戦争であったという前提にたっているが)が詳細に論じられている。

もう一つは、今回の表題にもした「The Knowledge Creating Company(邦題 知識創造企業)」においてナレッジマネジメントという経営学の新しい潮流を生み出したことだとである。日本国内においては本の販売数を見ても、野中先生といえば失敗の本質だと思うが、グローバルの視点でいえばナレッジマネジメントという経営学の一分野の生みの親的な位置づけで、圧倒的に後者のほうが有名であろう。ちなみに、このBlogを読んでいる方にはIT系のビジネスにかかわっている方も多いと思うので、そこにかかわる話でいえば、ITソフトウェア開発の主流プロジェクトマネジメント手法であるアジャイル開発におけるスクラムの概念なども野中先生と竹内先生のナレッジマネジメントのもとになった論文で紹介された日本企業の製品開発の事例研究からアイディアを得ていたりする。

と、野中先生の凄すぎる業績を書き出せばきりがないし、その内容を私のような学者でもない素人が解説するのは僭越すぎるし、ちゃんと理解できている自信もないので、野中先生の考え方の変遷とか、今考えていることなどを米倉先生と一緒に話している、対談のYoutube動画でお話ししている内容をもとに、考えたこと、刺激をいただいたことを書いてみたい(1時間ちょっとなので、是非動画も見ていただければと思います)。

情報処理委理論から知識創造へ

まず、私などは大学院生になるちょっと前に出た1995年に出版されたThe Knowledge Creating Companyから野中先生の本を読んだので、そこに至る詳細な変遷を正しく理解していなかったのであるが、野中先生がKnowledge Managementと言い始める以前の組織論の研究というのは、如何に効率的に情報を処理するのかというのが議論の主眼であったということである。当初は、決まった情報を如何に素早く処理して組織を円滑に回すのかということが主眼であったが、そもそも企業が処理すべき情報というのは企業が直面する環境の変化により処理する情報の種類・内容が異なってくるということで、コンティンジェンシー理論(contingency=偶発性、偶然性、不確実性)というものに発展してきたそうである。野中先生はこの最新のコンティンジェンシー理論をカリフォルニア大学バークレー校(サンフランシスコの郊外にある素晴らしく格好いい大学)で学び、日本に持ち帰っていらっしゃった。ちなみに、この博士論文は帰国後に日本語に翻訳して出版され、日経・経済図書文化賞をいきなり受賞されたということだ。

しかし、野中先生はこのコンティンジェンシー理論を研究している最中から一つの疑問を持っていたそうだ。それは何かといえば、情報を受動的に効率的に処理するだけでは、イノベーションを企業がどのように起こすのかということが説明できないということだ。ものすごくドライな言い方をすると、情報処理の理論において前提としている人間というのは、働きアリのような存在で、目の前に大きな石があればよけて迂回するというように、目の前に起こった事象に対して受動的に反応することはできるが、自分の意思を持って能動的に行動することを全く前提としていないということであった。しかし、イノベーションというのはもっと人間的な活動で、「こうしたい」「こういう問題を解決したい」という欲求のようなものが原動力になり生み出されるものなのではないかと考えるに至り、様々な人との議論を経て、知識が産まれるプロセスを体系化することを考えることになったそうだ。イノベーションというのは、人間の意思、主観、経験のようなものが組み合わされた、より人間的な活動で、アリが荷物を運ぶような営みではないはずだというわけだ。

こんな話は、言われてみれば至極当たり前の話であるような気がする。ただ、実際に会社で仕事をしたことがない純粋な学者の人にはなかなかわかりにくいのかもしれないが、9年間の事業会社でのビジネスマン経験があった野中先生のような方からすれば、学術界で議論されている話が、ご自身の経験にそぐわないということで、ずっと違和感を持たれていたのだと思う。

私の経験に照らしても、私がどれだけ優れたマネジメントができているのかは自分ではわからないが、それなりにイケていると仮定して、これまで自分が見てきた部下のマネジメント手法を見てみると、組織のマネジメントがうまくできない人というのは、頭が悪くて考えが足りないというケースは少なく(私の部署で高く評価して、マネジメントを任せるような人材は基本的に論理的思考力が足りないというケースは稀であるというのもあるのかもしれないが)、むしろ論理的に考えすぎて、こうやったほうが効率的だとか、こうするのが最もロジカルだからという手法や仕事の進め方をやり切ってしまうということが多い気がする。

しかし、以前にも「ロジックを超えたもの」というコラムでも書いたのだけれども、人間が集まった組織というのは、客観的なロジックだけではうまく回らない。以前のコラムでは「愛」という言葉を使ったが、人の思いとか、欲望とか、意思とか、論理的に説明できない何者かは必ず存在していて、それを無視してしまっては多くの場合、組織はうまく回らなくなったり、メンバーが活き活きと働けなくなったりすると思う。

別の動画で、楠木先生が仰っていた野中先生の一言がこの話を凄く的確に表現していると思うが、野中先生は情報処理をベースにした理論を「暗い」と表現し、経営学というのは「明るくないとダメだから、情報処理の理論は捨てる」と学生の前で宣言したそうである。私はこの話を聞いて、強い共感を覚えた。25年のビジネスマン人生を振り返っても、周りの人から見れば、私のしてきた仕事というのは、長時間労働で、様々な人から無理難題を押し付けられ、板挟みにあい、とても楽しそうには見えなかったかもしれない。ただ、もちろん一瞬一瞬でつらいな、面倒だなと思うことはあっても、私の性格なのか基本的には様々な課題をどのように解決するかをチームのメンバーと話し合い、PDCAという名の試行錯誤を繰り返し、新しい発見を喜ぶという日々の繰り返しを辛いとか、つまらないと思い悩んだ記憶がほとんどないし、もしそのような状況になりそうになった場合は、自ら新たな課題(欲求)を設定して、面白いと思えるサイクルを自ら作り出すように心がけてきた。

私が25年間でどれだけのイノベーションといえるものを生み出せたのかはよくわからないが、ビジネスというのはそのように人間的で、明るく、楽しいものでなければいけないのではないかと強く思っている。

知性同士の真剣勝負(知的コンバット)とは?

ただ、野中先生がこの対談の中で協調されていることは、その人間的なプロセスは、単に明るく楽しいものではダメで、ある目的に向かって人と人が繰り返す考えをぶつけ合う真剣勝負、戦いでなければならないとも強く仰っている(知的コンバット)。そして、今の日本企業に足りていないものこそ、この真剣勝負の戦いなのだと仰っている。

この点についても、私は強く共感する。私は自分のビジネスマン人生を楽しいものであったと表現したが、その楽しいの意味は「レクリエーション」的な楽しさではなく、間違いなく「知的好奇心」や「知的発見」のような楽しさであるということである。そして、知的な楽しさを得るためには、ぼんやりと考えるだけでは全く不十分で、目の前にある困難な課題や、その実現を難しくする環境や、対峙する競合企業と真剣に向き合い、突き詰めて考える必要があるのだと思っている。

野中先生は、そもそもイノベーションを起こすということは並大抵のことではないのだと仰る。真剣勝負の中で、変わりゆく環境・状況の変化の中で、その瞬間・その瞬間に何が正しく、何が間違っているのかを考え続けなければいけない。そして、それは単に個人で考えるのではなく、会社という組織において、一緒に仕事をする同じチームのメンバーと自分の経験に基づく暗黙知同士をぶつけ合い、共感して、形式知として形にしていくという人と人との真剣な議論により初めて実現するのだと仰っているのだ。

また、PCDAに話を戻そう。この話を改めて聞いて、考えらせられたのは、知的創造企業を読み、SECIモデルという暗黙知と形式知の転換の繰り返しだという理論的なサイクルは理解していたが、そもそもこのSECIモデルの現実世界の運用の現場が、野中先生がお話しされているような熱量のものを表現されているのだということまで、書籍を読んだだけでは理解していなかったということである。しかし、一度この点を理解したとき、私が、デジタルマーケティングで最も重要であると考え続けているPDCAサイクルの徹底した高速回転という考え方、それを競合企業よりも遥かに高速に、精度高く行うというコンセプトは、SECIモデルの高速回転に立脚した行動であったのだと、改めて認識するに至ったわけである。

Over Planning、 Over Analysis、 Over Compliance

この話の中で、同じく野中先生が仰っているのは、現在の日本企業の問題は、Over Planning、 Over Analysis、 Over Complianceであるということであり、このような一見スマートで、プロフェッショナルな仕事の仕方には、その人の人間的な欲求や、思い、志のようなものが含まれていないのだと仰っている。しかし、イノベーションというのは、人間が行う行為であるので、初めに人ありき、思いありきでなければ、始まらないのだと仰っている。もちろん正しく分析をして、計画を作れば、それっぽい組織のディレクションを提示することはできるであろう。しかし、そこに発案者のなぜその問題を解決したいのか、それによりどのような世界を実現できるのかという思いがなければ、その計画にイノベーションを起こすほどの推進力は産まれないのだということだと思う。先生は、このような思いを持つ人を、「知的野蛮人」という言葉を使って表現されているが、単純に言えば、何かを生み出すためには、何が何でもやり遂げるんだという強い意志のようなものは必ず必要なんだと改めて思うわけである(という話を書いていると、最も鮮明に顔が思い浮かぶのは、20代半ば~30代半ばという自分のビジネスパーソンとしての人格を形成する最重要期に傍で仕事をさせていただいた三木谷さんの顔だったりして、改めて、楽天という会社があそこまで成長でき、社会にインパクトを残せた理由も、なんとなく実感値として理解できるような気がする)。

私が昨今の日本社会をみて心配になるのは、お行儀よく、スマートに立ち回ることが良いことであるという理解がステレオタイプに浸透しすぎていることであると思う。もちろん、私の若いころにたまにいた、やたら高圧的に人を叱責したり、異性の尊厳を傷つけるような行動は言語同断である。ワークライフバランスが叫ばれる背景として、精神的な健康を維持したり、男女が均等の負担で家庭の運営を行うべきなど、私が若いころから改善すべき点があることも理解する。しかし、今の日本社会というのは、そのような流れに過剰に適応してしまってはいないであろうか?例えば「ワークライフバランス=長時間労働が悪」なのであろうか?少なくても、私は自分の仕事よりワクワクできるような趣味を持ち合わせていないので、ワークの時間が長くなったからと言ってライフを犠牲にしているとは思わない人間である。すべての人に同意してほしいとは全く思わないが、少なくても私個人は25年そう生きてきたし、仕事をしていない時間も、仕事のアイディアを考えたり、他社のマーケティング施策を生活の中で分析したりすることに頭を働かせていることが楽しいので、仕事に近いことを余暇の時間も行っていたりする。しかし、私が知る限りの一般的な事業会社において、若者に対して、一律に長く働くことが悪だと教えているのではないだろうか?

米国の企業で高い給与水準で仕事をしているような、いわゆるエリートといわれる層のビジネスパーソンにもこれまで多くあってきたが、彼らの多くは、日本人よりも遥かにハードワーカーである。特にグローバルに活動している企業においては、時差のある顧客や社内組織との仕事をしなければいけなかったりするので、この人いつ休んでいるんだろうと思うくらい、常に動き回っている人も結構いたりする。しかし、今の日本社会において、若者にそんなことをさせたら、すぐにブラック企業のレッテルを張られてしまいそうである。

如何にイノベーションを起こせる人材を育てるか?

もちろん社員に対して、嘘をついて入社をさせ、長時間労働を強要することは問題である。それは個人に選択権を与えていないからである。しかし、自分の働き方・ワークライフバランスを自分で決める自由はもっとあっても良いのではないかと思う。自分の仕事を通じてイノベーションを起こして、社会を変えたいと思ったとき、寝食を忘れて没頭することも時には必要であるのではないか?体が元気で、無理が効く若い時期に仕事に没頭して、自分の経験値を一気に積み上げるという選択肢を選ぶことができても良いのではないか?もちろんそれは、日本人の大多数の人が喜んで選択する選択肢ではないかもしれない。つまり「普通」ではないかもしれない。しかし、日本人の全員が、「普通」になってしまったら、日本経済はイノベーションを起こして、海外の企業に打ち勝って行くことができるのであろうか?

少なくても、私が日米欧で仕事をしてきて思うのは、よく言われる日本人の生産性が低いこと、特に、ホワイトカラーの生産性が低いことに対して、日本人は長時間ダラダラ仕事をしているからだという議論が正しいと実感として思ったことはほとんどない。もしかしたら、働かないおじさんがたくさんいるような職場というのがあるのかもしれないが、少なくても私はそのような会社で仕事をしたことはない。では、なぜ日本社会のホワイトカラーの生産性が低いのかといえば、個々の会社がイノベーションを起こせず、収益性の低い状態で多くの人を雇い、仕事をし続けているからであろうと思う。

野中先生の無茶苦茶熱い思いの詰まったお話を聞いたとき、改めて思ったことはこんな感じである。イノベーションを起こすということを野中先生は経営学という世界で、ご自身が実践されてきたのだと思う。Knowledge Creatingに最も重要なことが、経験に基づいた暗黙知から出る思いなのであれば、野中先生ご自身が新しい理論を創造する仮定こそが、Knowledge Creatingそのものの体験であり、暗黙知の発露であったのではないだろうか?

その偉大な業績と、熱いお話を効く限り、なかなかこういう人はこれから出てこないのだろうなと残念に思ってしまう。心からご冥福をお祈りしたいと思う。

一人で考えるということ

会社員をやめて一人で仕事を始めて思うこと

16歳で東大に合格し、日本政府から天才と認定された(そんなことがあるんだ!)カリスという青年がいる。現在は、医療AIの研究者で医療AIのスタートアップ企業を立ち上げている。以前、スマートニュースかGoogle Newsで何気なく記事を探していた時にふと目にした下記の文章「16歳で東大に合格した男が「必要以上に群れたがる日本人」に思うこと」に共感、納得したことが多かったので、今日は、この文章を切っ掛けに一人で考えるということについて議論してみたいと思う。

25年間のサラリーマン人生をやめて、一人で独立して改めて考えることは、まず第一に「孤独」であるという事である。独立して自分の会社を作るときに、事前に顧客のあてがあって始められる人もいるのかもしれないが、私の場合は特にそのあてもなく、完全にゼロからのスタートだったので、最初の数カ月は同じ家に家族と愛犬はいるとしても、仕事を探して、お金を稼ぐという視点では、孤独な状況でのスタートであった。

幸いにも、これまで一緒にお仕事をさせていただいた方や、そのお知り合いの方などを通じて、お仕事をご紹介いただける機会もあり、少しずつお仕事を頂戴出来るようになってきて、少しずつ形が出来つつあるが、いろいろな人に心配する必要はないと言われつつも、正直最初は結構不安であった。

ただ、一人になってみて、良かったこと、変わったことというのも少なからずあった。まずひとつは、25年間、会社にという組織に所属し、そのうち23年間位は部下がいて、自分だけでなく組織をマネジメントして、自分がマネジメントする組織や所属する企業のパフォーマンスをあげることに一日の大半の時間を費やしてきたときとは比べ物にならないくらい、時間が出来たことである。

その余裕が生まれた時間を使って始めたのが、25年間自分がやってきたマーケティングに関する考えや、ビジネスに対する考えを纏めて見ようと思って書き出したこのBlogである。そもそも、会社員をやっている時は、纏まった時間を取ることが頑張れば捻出出来たかもしれないが、残念ながら全く自分にストイックになれない人間であるため、今回のような切っ掛けがなければ、到底無理なことであった。

そして、このBlogを書くという行為に付随して実施出来たことが、「考える」「自分の頭を整理する」という事であった。まずBlogを書き始めるに当たってやったことは目次を作る作業であった。書きたいテーマ、書けるテーマをリストアップして、それをドリルダウンしたサブテーマを書き出して、全体の章立て、構成を考えることをまずやってみた。この作業は意外と簡単で、数時間で100弱の項目をリストアップ出来た。

その次の作業として、今度は一つ一つのテーマについて文章を書きだしたのであるが、リストアップした段階で「このテーマではこの内容で書こう」みたいなアイディアは当然持っていたが、実際に書き出してみると、最初に頭で思いついたことだけでは分かりやすい文章にならず、文章を書いているうちに、自分の頭の中で考えていることが、どんどん整理され、体系化(という程のものでもない気がするが)されて文章化されていくという体験をした。

どの内容についても、これまで所属した会社において同僚やチームのメンバーと話しながら、体験したこと、考えたこと、議論したことが土台になっていた。しかし、おそらくこの10数年間は、私自身は自分で資料を作ったり、データをエクセルでいじったりという作業は殆ど行わないという業務スタイルを取っていたので、そのやり方は、チームのメンバーが作った資料やデータ、口頭での報告というインプットに対する、自分の脳内の思考と、口頭での議論がベースになっており、じっくり時間を使って一人で考えるというスタイルで構築されたものではなかった。つまり、誰かは決まっていなかったが、殆どの事が他の人との共同作業によって行われてきたものであった。もちろんそれは、この20年間位で、勉強嫌いな私が編み出した私なりの最も効率的な勉強法であるので、その当時に私には最も自分を成長させる有効な方法であった分けであるが。

しかし、その様な25年分の大量の思考結果を一人で文章としてOutputするという段階になると、文章化するというより強固な論理展開が要求されるというシチュエーションと、その論理展開を一人でより深く追求するというプロセスを経ることによって、自分の思考がより精緻化され、自分でも予想していなかった整理が出来たという体験をした。

一人でないと深い思考は出来ない

このような実体験から得た教訓は、一人で考える時間の重要性である。人間が何か物事を考えることにまず重要なのは、Inputであろう。どんなに頭の良い人でも、何から何まで自分でゼロから考えられるという人は殆どいないであろう。それが部下であり、同僚であり、メディアであり、書籍であり、カンファレンスであり、商談でありと方法は様々であっても、人間が物事を考えるうえでは、間違いなく考える基盤や、切っ掛けとなるInputは必要である。私の場合は、25年間のサラリーマン生活は、デジタルマーケティングのInputという視点では非常に恵まれており、世界最高レベルの環境を整える努力をしてきたし、少なくても日本最高レベルの環境を作ることが出来ていたと自負している。

ただ、この半年の経験で分かったのは、どんなに良いInputを出来たとしても、他人との共同作業によるOutputだけでは、思考の深度に限界があるということである。会議におけるディスカッションによる新しいアイディアの発見などは、この考え方によると思考の深化ではなく、おそらく、Inputの連続という刺激から生まれる浅い思考の結果から生まれるOutputである。もちろん、それ自体に価値がないわけでは全くない。但し、その浅い思考の結果には、深い思考の結果に裏付けされたロジックが必要であるということだ。

このように考えると、私がデジタルマーケティングで重視するPDCAという手法は、この浅い思考のOutputであるアイディアをアイディアで終わらせず、深化させるプロセスを組織的に行うための仕組化の手法であると言える。

しかし、今回分かったのは、ここに一人で考えるというプロセスが加わると、思考はより深化するということだ。これは私には非常に重要な発見であった。

人と違うことをしなければ違う結果は得られない

ということで、一人で考える事の重要性の一端についてはなんとなく理解できたとして、次に重要なのは、「一人になる」ことへの勇気を持てるかということな気がする。

この点、おそらく私自身は相当な変わり者なので、ステレオタイプ的な日本人とは少し違っている気がしている。冒頭に紹介した記事の最初にも、日本人は不安遺伝子の保有率が8割となっており、世界で最も不安を感じやすい民族らしく、そのせいか「孤独」に対する恐怖感が強い(著者は群れたがると表現しているが)らしい。私は、調べたことはないが、おそらく、その不安遺伝子なるものを持っていない2割に属するような気がしていて、不安やプレッシャー的なものに相当鈍感で、意外と一人になることに違和感がない。デジタルマーケターという職種上全く使わない分けにも行かないので、SNSなどもサービスが普及し始めた当初から使ってはみるが、正直個人の欲求として使いたいと思うことは、ハッキリ言って全くない。また、自分の友達が私といない間に何をしているかについても殆ど興味もないし、他人が何をしているかを自分と比較して、自分の生活を考える(優越感に浸ったり、劣等感に苛まれたりする)ことも殆どない。そもそも、友達は多い方が良いとも思っていないので、本当に一緒にいたいと思えるような友人としかプライベートの時間では殆どお付き合いもしない(という生活が、独立してみると良くないような気もするが)。

ただ、物事を深く考え、他の人が思いつかないことを考え、何か新しいものを生み出すために「一人になること」「一人で考えること」が必要なのであれば、あえて、自分を孤独な状態にすることは必要である。そして、この自分を孤独にするために、一番障害となることが「人と違うことをするのが怖い」という発想なのではないかと思う。コロナ禍において良く言われた言葉に「同調圧力」という言葉があった。日米におけるマスクをすることに対する考え方の違いなどで話題になった言葉であるが、おそらく日本社会というのはこの同調圧力というのが強いのであろう。つまり、人と違うことをすると、変な目で見られたり、仲間外れにされたり、疎外感を感じたりする人が多いようである。学校などにおける「いじめ」の問題もおそらくこの辺の風土に起因しているのかもしれない。

もちろん、子供のころ酷いいじめにあったトラウマがあるなどの経験がある人がどのように対処すべきかなど素人の私がいうべきではないので、その様なケースは専門家の意見にしたがって欲しい。しかし、私は、人と違った成果を出したいのであれば、どこかで人と違うことをしなければいけないと考えている。また、結果的に、そのような選択をする方が、人より成果を出せる可能性も高くなる。つまり仲間外れにされるリスクはどこかで取らなければいけないのであろうと思うのだ。

「狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い、違う結果を期待すること」(アルベルト・アインシュタイン)

冒頭のカリス氏の記事には、様々な心に染みる言葉が出てくるが(読書をしない私は、こういう気の利いた教養がないのが我ながら大変残念で、くやしい。。。)、その中で一番私が気に入ったのが、ここであげたアインシュタインの言葉である。正にその通りだと思う。人と同じことをやっていて、人と違う成果をあげることなど出来ないのだ。

「仲間」を作る

と思って、私の社会人生を振り返ってみると、実はどんな規模の会社であっても、自分と同じ仕事をしている人間が会社内にいたという経験をしたことが実は一度もない。それは、楽天においても、ゲーム会社においても、人材紹介会社においても全く変わらない。これがどういう事かというと、同じ土俵で同僚と売上目標やノルマ達成みたいな話で競争した経験が1度もないのである。それぞれの会社で誰もやっていないことを一人で始め、それを仕組みとして拡大させるという事ばかりやってきた。

その結果私自身の人生が成功であったのかどうかは私自身が評価するものでもないが、私個人としては、日本で最高水準のマーケティングを体験し続けられたと自負しているし、その成果に大きな不満はない。でも、それが出来たのも、おそらく社会人人生の最初から幸か不幸か、「孤独なポジション」ばかりやってきたことのおかげであることは間違いないと思う。私の場合は、それが25年間普通であったので、特に辛く、苦しく、不安になったことなども殆ど記憶にないのであるが。

ただ、ひとつ間違えてはいけないと思うのは、孤独であるということと、誰も手を差し伸べてくれないことは違うということだ。ここまで述べてきたように、これまで誰もやっていないアイディアを考え、その骨格を形作っていくという作業においては、私たちは一人になる時間を作り、孤独に深く思考することが必ず必要であると思う。しかし、その次のステップとして、実行、ビジネスでいえばこのBlogでこれまで重要性を強調してきたExecutionのフェースになってくれば、多くの場合、なかなか一人では行えなくなる。この時には誰かに協力を求めなければいけない。カリス氏はこの協力者を「仲間」と表現し、「友達」と分けて考えている。ちなみに、カリス氏がここでいう仲間というのは「共通目的を達成するために集まった人」と定義されている。このように考えると、私の社会人生においても仲間と言えるような人たちはどの会社での業務を思い返しても多くの顔が思い浮かぶ。では、どのようにすれば仲間は集まるのであろうか?今回の仲間の定義に従えば、まず大前提は「共通目的」があることである。どのような課題を解決するのか、社会的意義があるのか、さらに、ビジネスとして下世話に言えば、儲かりそうかなど、様々な要素が検討されたうえで目的は形作られる。その目的を魅力的にするためには、最終的には発案者の孤独な深い思考が不可欠である。その目的が魅力的であるほど素晴らしい仲間が集まる可能性は高まるのであろう。逆に、誰かの考えた素晴らしい目的に仲間として参加したい場合はどうであろうか?この場合は、今度は仲間になって、目的達成のために自分がどのような貢献が出来るのか重要になる。そうなると、重要なのは、スキルとか知識である。素晴らしい目的、今風にいうとパーパス、を持つ、大変人気のある企業に就職しようと思えば、それ相応のキャリア=スキルと知識を面接で問われることを考えれば理解できるであろう。では、そのスキルと知識を得るためには、これまで述べてきた様々な人材育成の方法や、スキルアップの方法を実践することが必要であるが、今回のテーマに照らし合わせて考えると、そのプロセスにおいては、必ず深く考えるという孤独な思考のプロセスが必要である。一人になって、他の人が考えないことを考える。このプロセスがなければ、アインシュタインがいうように、他の人と同じこと繰り返して、他の人よりも良い結果を得ようとする狂気を実現しようとしてしまうことになるわけだ。

孤独になる勇気を持つ

ちなみに、仲間と似ているようでいて対比される概念が「友達」という存在だ。人付き合いが悪いので、残念ながら友達が少ないと思っている私のような人間の負け惜しみ的な言葉と割り引いて読んでいただければと思うが、共通目的を共有する仲間との対比で考えると、友達とは共通の価値観で繋がるものである気がする。もしそれが正しいのであれば、友達というのは、一緒にいながら自己の存在意義を高めるために孤独な状況を作り、ほかの仲間と違うことをする、考えるという仲間同士の関係性とは異なるものとなる。価値観が共通するということは、どちらかといえば役割分担をして孤独に突き詰める時間とは逆で、同じことをする時間を共有する方向に働きやすいと考えられるからだ。気の合う友達と食事をする時間が楽しいのは、価値観の合う人と同じテーブルを囲み、話をするという共通の時間を過ごすことであるからだ。と考えれば、友達を増やすために、価値観の合わない人と無理に話題を合わせて時間を過ごすことにどのような意味があるのであろう?そもそも、そのような人は友達なのであろうか?おそらく、その人は今回の定義でいえば、友達ではなく「知り合い」程度の関係であろう。自分の成長とか、共通の目標とか、利害関係のない友達というのは、本当に重要であると思う。でも、そう考えれば、おそらく友達というのは多さではなく、価値観の共有の度合いの方が遥かに重要である気がする。私自身に、本当に相互にそう思ってくれている「友達」がいるのかどうかはちょっと自信がないが。。。

それこそ価値観は人それぞれなので、すべての人が孤独の中で人とは違う価値を生み出し、何かを成し遂げることを人生における重要事項と位置付けているわけではないであろう。寧ろ、気の合う友達や愛する家族と可能な限り長い時間をともに過ごすことに価値を置く人もいるであろう。もちろんそれは自分で決めれば良いことなので、正解など存在しない。ただ、このBlogは、いかにビジネスにおいて成功するのか、マーケティングのスキルを高めるのかに焦点を当てているので、その目的を最大化するのであれば、今回の孤独になって、一人で深く思考するというプロセスは必ず必要であるし、大変参考になる指摘であると思った次第である。

というわけで、カリス氏の記事でも最後に紹介され、私自身も著書を読んだり、多くのドキュメンタリーを見たりして、日本の究極の頭脳だと思っている羽生善治氏の言葉を引用して終わることにしたい。

「運命は勇者に微笑む」(羽生善治)

良いマーケターに選んでもらえる職場作り2

マーケティング部門のみで行える採用力強化

前回は、良い人材を採用するために企業として評価されるポイントを纏めてみたが、その項目はその企業全体の在り方や企業カルチャーや事業戦略と密接に関わっているため、残念ながらマーケティング部門の責任者レイヤーでは、改善、変更出来ないような項目が多くなってしまう。

しかし、もしそうであったとしても、マーケティング部門のマネジメントチームは自チームによい人材を採用出来ないと諦めてしまう必要は必ずしもないと思う。

事実、私自身が普通の人が敬遠しがちな形が整っていない発展途上の組織や、改善が必要な組織での仕事に魅力を感じて飛び込んでしまうという性分であることに起因するのかもしれないが、大きな声では言えないが、これまで働いてきた会社が転職市場で会社としての採用ポテンシャルが高く、良い人材が会社の名前だけでたくさん集められるという環境になかったことが多い。つまり、会社名に胡坐をかいて良い人材を楽しく選ぶという恵まれた経験をしたことがない。一方で、マーケティング部門をしばらくマネジメントしてマーケティング施策のレベルが上がり、人材の育成も進んでくると、新規で採用したい人材に求めるスキル・経験・ポテンシャルのレベルも上がってこざるを得ない。そうすると、企業の採用ポテンシャルを越えて良い人材を何とか集めなければいけないということを常に考えざるを得ない状況で組織作りをしなければいけないことが多かったということだ。

そのために必要な事は、一言でいうと「自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力」を可能な限り高めることであると思う。一言でいえば、マーケターが働きやすく、レベルの高いマーケティングを行い、さらにその組織に所属することでマーケター個人として成長できるような組織を作るということである。

具体的にどうすればその様な組織になるかという点については、レベルの高いマーケティングをするという事でいえば、このBlogで議論してきたことを可能な限り漏れなく実践してくださいというのが答えになるので当然一朝一夕にはいかない。マーケターが働きやすい環境については後述したい。そしてマーケターが成長できる環境というのはまだお読みでない方はこちらをじっくり読んでいただき、実践していただければと思う。

と、魅力的なマーケティング組織を作る方法というのは採用パートで簡単で説明出来る話ではないので、ここでは述べないが、今回は、以下の2点について話をしてみたい。

  • マーケターが働きやすい環境とは?
  • マーケティング部署のマーケティング

マーケターが働きやすい環境とは?

もちろん、マーケターが働きやすい環境を構成する要素にも様々なものがあるため、これから話すポイントが必ずしも唯一の正解であるとは思っていないが、私が重要な要素であると思っていることを議論出来ればと思う。

では、どのような環境がマーケターが働きやすい環境なのであろうか?私は、

「マーケターがマーケティングのロジックでマーケティングを行うこと(正しいマーケティングを行うこと)に集中できる環境」

であると思っている。

これも、言われてみれば、当たり前のことを言っているように感じられるかもしれない。しかし、これまで見てきたたくさんのマーケティング組織の多くが、実はこの余りに当然と思われる事が出来ずに、マーケターがモチベーション高く仕事が出来なくなってしまっていたりする。おそらく、マーケターが一言でいうと「正しいマーケティング」が出来ない悪い例をお話しするとご理解いただけると思うので、具体的にイメージ出来るように説明してみよう。

マーケティング部門が正しいマーケティングを行えなくなる要因の代表例は下記のものが挙げられる。

  • 上位経営層、他部署からの意見
  • マーケティング責任者の知識不足
  • データ分析環境の不備

上位経営層、他部署からの意見

意見といえば聞こえは良いが、分かりやすく言うとマーケティングの知識がない外部からの口出しにより、やりたいマーケティングが出来ない状況であると理解してもらえればよいと思う。

データドリブンを阻害する要因の代表例において「誰が正しいパターン」として紹介したが、データ分析や、マーケティングのロジックとは全く関係ないどこかの「偉い人」が「俺はこう思う!」とそれっぽい主張をして、その意見に負けて、マーケティング部門が考える方針を貫けなくなる状況である。

また、ヒエラルキーの上下はないフラットな関係にある部門の意見であっても、例えば、ゲーム会社などで、豊富なヒットコンテンツの制作実績のある大物プロデューサーが作った商品のマーケティング施策の構築の段階において、マーケティングチームの意見が全く通らずに、プロデューサーの意見を優先しないとプロジェクトが進まない、社内コンセンサスが取れないなどの理由で、他部署の意見が優先されてしまうということが事例として想定される。

それなりの規模の組織であれば、当然組織内の意見の調整をすることも発生するため、常にマーケティング部門が自分たちのやりたい通りになんでもできるというわけではないが、このようなことが常態化、高頻度化しているようなマーケティング部門は、マーケターに取って働きやすい組織であるとは言い難い。

この状況を避ける最も良い方法は、マーケティング部門の責任者であるCMOやマーケティング部長のポジションを担う人物が、なるべく自部門の主張が社内で進められるような説明、調整を行い、自分が部下と考え、正しいと考えた内容を、会社全体の意見として集約する力を持つことが最も重要である。

そのためには、マーケティング部門が、他の部署から「あのチームは全員がプロフェッショナルで、素人が中途半端な意見をいって考えているようなことは当然部内で検討したうえでこの意見を言っている。だから一旦彼らの意見の通りにやってみよう。」と思ってもらえるような論理的な説明と、継続的な高パフォーマンスの実績を積み重ねることが不可欠である。

マネジメントメンバー教育はCMO・マーケ部門責任者の最も重要な仕事

私は常々、CMOの最も重要な役割のひとつは、マーケティング外の重要関係部署の責任者レイヤーにマーケティング部門が行っている活動や、短中長期の課題や、それに対応する世の中のマーケティングトレンドなどを素人でも分かるように説明し理解を得る、中長期的には教育していく努力を継続的に行うことであると思っている。

このような活動の結果、関係部署の責任者レイヤーの人たちが、自社の置かれているマーケティング状況や、パフォーマンスの良し悪しの背景にある原因、問題点などを正しく理解してくれるようになる。そうすると、日々の細かいマーケティング部門の意思決定に外部から細かく口出しされることもないし、もしされたとしても、ロジカルにディスカッションをして、双方が納得できる合意点を見つけることができるようになると考えている。

逆に、このような活動をマーケティング部門の責任者が怠っていると、細かいマーケティング的な意思決定事項の度に、背景情報をゼロから説明して理解を得なければいけないため、説明の準備段階に無意味な工数がかかったりする。

この状況のさらに悪いパターンとして、他部署への理解が浸透していない段階で、マーケティング部門のKPIの達成出が悪いなどパフォーマンスの低下が発生してしまった場合は、「ここが悪いのでは?」「こうしてみてはどうか?」などなど、素人の思い付きを、思いつくままに言われ、マーケティング部門としては正しいと思えない意見についても、部署のパフォーマンスが悪い負い目から、聞き入れざるを得ないという状況が多発したりする。

このようなシチュエーションが最悪な理由は、通常マーケティング部門のパフォーマンスが悪いだけでも部署のモチベーションレベルは低下しがちであるにも関わらず、それに追い打ちをかけるように部署外からの口出しが増え、その意見が取り入れられ、さらにパフォーマンスが悪くなるという負のスパイラルが永遠に続いてしまうようになるケースも少なくないことである。

このため、マーケティング部門の責任者はパフォーマンスが良い時こそ、何故現状が上手くいっており、将来的にどのようなリスクがあり、その対応として現状どのような仕込みをして対策の準備をしているのかというロジカルな説明を行っておくべきである。これにより、専門職であるマーケティング部門の業務に対して外部から非論理的な口出しをされ、マーケターのモチベーションが下がるような業務環境が醸成されてしまうことを防止できるのである。

マーケティング責任者の知識不足

マーケティング部門外からの口出しによるマーケティング業務環境の悪化は、マーケティング外との関係性の問題であったが、さらに深刻な問題が発生するのが、マーケティング部門の責任者にマーケティングの知識・経験が不足している場合である。これまで私のBlogを読んでくれている方であれば、ご理解いただけると思うが、初めて読む方からすれば、そんなことがあり得るのかと思われるかもしれない。しかし、様々な企業をこれまで見てきたが、結論から言うと実際には大半の日本企業において、マーケティング部門の責任者にその職責相応のマーケティングの知識と経験があることは非常に少ないのが現実である。なぜそうなるのかの理由はこちらをお読みいただければご理解いただけると思う。

基本的に、マーケティング能力のない人物がマーケティング部門の責任者になる企業というのは、そもそもマーケティングをプロフェッショナルなファンクションと認めておらず、誰でもちょっと勉強すれば出来るものだと思っているので、殆どの場合、マーケティング部門責任者の能力不足と部門外からの口出しは同時並行で発生する。

この状況が悲惨な理由は、マーケティング部門のスタッフは、まず部署内の承認をもらうために、素人責任者にプロフェッショナルな相手であれば必要ない基本的な事から事細かに説明して理解を得たうえで、本題であるマーケティングとしてのハイレベルな意思決定でも承認を得なければいけないという感じで、単純な手間が増える。さらに、その結果として得られる合意や、指示事項が的外れであったりすることも少なくないため、それを正しい方向に軌道修正して、説得するためにさらに無駄な手間が発生する。というように、プロフェッショナルな責任者がいれば簡単に済むはずの業務に数倍の時間を要することになる。

しかし、これは一つ目の関門を越えただけに過ぎず、次のステップとして、同じ作業を場合によってはもう一レイヤー上の階層のマネジメントに行わなければいけない。しかも、さんざん苦労して部門内で承認を出した部門責任者は所詮素人で、その人物自身は部門で出した結論の正しさを別の素人に説明して、説得できるほどの理解も出来ていないため、何か想定外の質問や意見を投げかけられると、反論も出来ずに折れてしまうということになりかねない。そもそも、知識も経験もない人物をマーケティング部門の責任者にしている時点で、その上位レイヤーのマネジメントはマーケ部門の責任者にプロフェッショナルとしての意見を期待していないので、酷いケースになると、「いいから俺の言うとおりにやれ」とか言われて、反論も出来ずにその通りにやらなければいけなくなってしまう。

ここでの事例は、相当悲惨なケースを想定しているが、程度の差こそあれ、似たような状況に置かれているマーケティング部門は日本企業の中で多くの人が想像しているよりも多いのが現実である。

逆に言えば、プロフェッショナルなCMOがいて、社内できちんとした発言力を持っているような企業のマーケティング部門というのは、実はそれだけで魅力的であったりするとも言えるのである。

データ分析環境の不備

実はマーケティングの経験と知識がマーケティング部門の責任者に十分無かったとしても、ひとつだけ補完可能なソリューションがある。それは、徹底的なデータ分析の結果に基づいて、簡単には反論出来ないようなロジックを組み上げてしまい、そのロジックを武器に部門外の関係者を説得するという方法である。

この方法であれば、マーケティングの経験が無くても、データを論理的に分析、理解できる能力のある人材であればある程度上手く立ち回ることが出来る可能性がある。

但し、これを実現するためには、絶対的な条件がある。それはきちんとしたデータ分析を行えるだけの環境とその分析作業を行える能力のある分析チームがいることが必要である。これも物凄く当然なことをいっているように聞こえるかもしれないが、多くの企業がこの基本中の基本とも思える当然の環境を実現しているかといえば、Noと言わざるを得ない。納得いかず、未読な方は是非こちらをご一読いただきたい。使える情報が、過不足なく、使える状態で整備されていることの重要性がご理解いただけると思う。

マーケティング部門に十分なデータ分析環境がない場合の問題点として、よくある例は、社内のバリューチェーンの状況がデータとして集約、分析がされていないことで、そもそもマーケティング活動の効果検証が出来ておらず、PDCAが回り難い状況になってしまっていることである。このような状況になると、そもそもマーケティング部門の活動自体がロジカルでなくなるため、部門外の説得や、せめてデータのロジックでマーケティング活動の良し悪しを判断したいと考えている頭は良いがマーケティング知識のないCMOの理解促進のハードルも高くなってしまうのである。

 一言で行ってしまえばデータドリブンでなくなってしまうわけであるが、このような環境に置かれているマーケティング部門というのは往々にして、社内でのポジションが確立されておらず、発言力も弱いため、現場にいるマーケターも高いモチベーションで仕事をすることが難しくなるわけである。

普通に正しいマーケティング部門を作るだけでも日本では差別化要因

日本企業のマーケティングの実情を知らない方や、逆にイケてないマーケティング部門しか見ておらず、マーケティングってあんなものと思っている経営者の方からすると、結構驚かれるかもしれないが、多くの日本企業のマーケティング部門の実態はこのような感じである。

ということは、ここで述べた3つのある種当然と思えるようなことに本気で取り組み、改善することをマーケティング部門の責任者が行うことが出来れば、自分の部署がマーケターにとって十分に魅力的な職場であると自信を持って言えるということである。

マーケティング部署のマーケティング

マーケティング組織をマーケターにとって働きやすい職場にするために、マーケティング部門の責任者が取り組み可能なポイントをここまでで説明してきたが、次のステップとして、自社のマーケティング組織が魅力的な職場であることを外部にどのように伝えるのかという点も簡単に考えてみよう。つまりマーケティング部署のマーケティング戦略を考えるということである。簡単に言えば、自部署のポジショニングを明確にして、その内容を外部にどうやってコミュニケーションしていくのかということである。具体的には以下の3点について考える。

  • 自社のマーケ組織の差別化ポイントを明確にする
  • 外部に自部署の先進的な成果を積極的に発信する
  • 面接の場での受験者への印象を良くする

自社のマーケ組織の差別化ポイントを明確にする

マーケティング戦略の基本中の基本であるが、採用について本気で考え、自分がマネジメントするマーケティング組織を世の中に数多あるマーケティング組織との相対的な比較の中でどのように位置づけ、どのように差別化していくのかを真剣に考えている人がどのくらいいるであろうか?私自身も元々その様なことを真剣に考えていたわけではないが、良い人材を自部署に確保するために、多くの面接を行い、一緒に仕事をしたいと思った人材に自社を選んでもらうことを真剣に考える過程で、自分がマネジメントしている組織をどのように見せるべきか、何を売りにするべきかということを自然と深く考えるようになった。

例えばこんな感じである

  • 自分の自己紹介 →プロフェッショナルなCMOがマネジメントをしているマーケ組織であること
  • マーケティングの規模など言える範囲で →予算規模があるから出来ることがある
  • 先進的なマーケティング事例 →知識があれば、こんなことまで考えてやっていると分かってもらえるような最新の事例
  • メンバーの質 →一緒に働くメンバーのスキルも高く切磋琢磨できる環境であること
  • 外部リレーション →予算規模が大きいから得られる代理店やメディア企業との特別なリレーションから得られる最新の情報と手厚いサポート
  • データ分析環境 →本当のデジタルマーケティングが出来る業務基盤が整っていること

このくらいの話をして、自分たちの部署が今働いている企業、今受けている併願企業と比較して、どのくらい良い環境であるかというのを説明するようにしている。この内容を纏めること自体はそれ程難しい事ではないが、魅力ある内容にまとめあげるためには、当然自分の組織の実態を差別化できるように育成・強化するという中長期的な取り組みが必要である。

よく人材採用が上手くいかないと、給与水準に問題があるとか、前回述べた企業としての採用ポテンシャルを原因として言い訳する人を多く見かけるが、私としてはそれ以前に今回述べたような自部署の本質的な改善を行い、その結果として、魅力的な職場として外部にアピール出来るようにすることをすることの方が、優先順位が高いと思っている。

外部に自部署の先進的な成果を積極的に発信する

外部にアピール出来るような先進的なマーケティング活動を行えるように自組織がなったら、その成果を積極的に外部にアピール出来るようにすることも必要だと思う。よく他部署から、その様な情報を外部に出したらノウハウが外部に流出するのではないかと心配の声が挙がったりするが、私の立場からすれば、具体的なKPIの絶対数など営業機密に当たるような数字を出したり、業務マニュアル的な詳細な資料を丸々外部に提供するような事をしなければ、ノウハウが流出するというような事態にはならない。

そもそも、デジタルマーケティングというのは、何をやるかではなく、それをどれだけ精度高くやるかというオペレーション精度の勝負であることが多いので、そもそも何をやったかが外部にばれたくらいで自社の競争優位性がなくなるレベルのマーケティングオペレーションは、差別化と呼べるほどのノウハウとは言えないというのが私の見解である。分かりやすく言えば、「マネできるものならどうぞマネしてください。マネできたころには私たちはもっと先に行っているので。」という感じである。

ということで、中途半端に情報を隠してイケてないマーケ組織だと誤解されるくらいあれば、自組織を良い職場としてアピールするために、自部署の成果は積極的に外部に展開していくべきであると考えている。

具体的には、社外の勉強会等での事例発表、カンファレンス等への登壇、専門誌の取材、大手メディアの成功事例への積極的な協力などである。

個人的には、外部へのアピール材料として、大手メディアの先進事例として紹介されることなどは、分かりやすくイケてるマーケティングチームをアピールする良い媒体であると思っている。

この辺も、会社によっては社内理解を得る必要があるので、マーケティング部門の責任者は自組織マーケティングの手段として中長期視点で取り組むべき課題である。

面接の場での受験者への印象を良くする

私がもう一つ重要視しているのは、個々の面接において受験者向けに、魅力的なマーケティング組織であることを伝えるということである。これはもちろん、採用したい応募者向けには当然であるが、実は不合格にする受験者に対しても手を抜かずに行うことが重要であると思っている。

理由は、人材紹介会社の営業、キャリアアドバイザー向けに、あの会社のマーケティング組織は先進的な環境で、良いマーケターに魅力的な職場であるという事実を伝えることは重要であるからである。そして、その伝達のためには採用企業の人事部門が紹介会社の営業に1人称で話すよりも、合格不合格に関わらず、受験者からキャリアアドバイザーに伝えてもらう方が伝わりやすいからである。

これは人材紹介会社という逆の立場で仕事をしたから分かったのであるが、出来るキャリアアドバイザーであれば、紹介した人材に合否に関わらず面接した会社の感想はヒアリングするものであるし、その感想を通してそれぞれの会社の評判を肌感覚として把握するものである。ハッキリ言って採用Webサイトにどのように説明されているかとか、募集要項にどのように書いてあるかよりもよほど重要な生の声である。

私の部署の採用は、殆どの場合、10-20人に一人程度しか内定を出さないし、正直内定を出してお断りされることは少ないため、実は自部署のマーケティングという観点でいえば、圧倒的に人数の多い不合格者経由での情報拡散量の方が数倍のインパクトがある。このため、例え不合格を出すと内心決めていたとしても、丁寧な対応をして、自部署の魅力を伝えておくことは重要であると考えている。

結果として、すべてその様に上手くかは分からないが、不合格になった人が、「あの会社のマーケティング部門は非常にレベルが高いことはよくわかった。今の自分のスキルでは不合格になっても仕方がない。」と思ってもらい、キャリアアドバイザーにその様に伝えてもらえれば、キャリアアドバイザーにもその様な情報は伝わるし、紹介してくる人材の質も上がってくるし、次に紹介する人に、あの会社のマーケ部門は評判が良いという話もしてもらえるであろう。

以前にブランド戦略のパートでも話したが、ブランドポジショニングというのは、実態の反映であって、実態とかけ離れた脚色をしても意味がない。このため、マーケティング組織マーケティングにおいても、一番重要なのはその前に説明したマーケティング組織自体を本質的に魅力的な組織にすることである。しかし、それだけでは、自分の組織が良い組織であることは外部には伝わらない。それをどのように伝えるのかというのが重要である。是非、魅力的なマーケティング部門が作れたら、ネクストステップとして考えていただければと思う。

良い人材を集めるのに近道はない

ここまで述べてきたように、良い人材の採用には、良い職場づくりからという、ある意味当然のことを全うにやることの重要性はご理解いただけたと思う。

私はひとつのマーケティング組織を引き受けた時にある程度自信をもって良いチームにするには3年程度(国内限定、海外組織込みなら5年以上)の時間が必要だと思っているが、その背景にあるのは、結局どんなにお金を積んで、経験がありそうな人材を雇ったとしても、それが組織として血肉となり、次世代の人材を育成するサイクルを作るまでにはそのくらいの期間は必要だと考えているからである。

残念ながら日本にはスキルの高い、良いマーケターの人材プールが乏しいため、自部署のスキルが上がるほど、外部から良い人材の採用が難しくなる傾向があり、採用については、何時まで経っても楽になるということがないのがマーケティング組織の現実である。このため、これまでの4回で説明してきたマーケターの採用については、マーケティング同様に、常にPDCAを回してブラッシュアップしていく必要があるのである。

よいマーケターに選んでもらえる職場作り1

良いマーケター人材の見分け方のチェックポイントとその評価手法について見てきたが、どれだけ精度高く人材を見抜くスキルをCMOが身に着けたとしても、それで良い人材が採用出来るわけではない。なぜなら、良い人材に来てもらう前にそもそも良い人材に応募してもらわないといけないし、良い人材に巡り合い、入社してもらいたいと思っても、数ある選択肢の中から自分の会社、自分のチームを働く場として選んでもらわなければいけないからである。

良い人材に自分の職場を仕事をする場所として選んでもらうためには、大きく分けて2つの要素がある。

  • 所属する企業の採用ポテンシャル
  • 自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力

それぞれ詳細に見ていくことにしよう。

所属する企業の採用ポテンシャル

働く場として、どのような企業を選ぶかの選択基準は人それぞれ違うと思うが、一般的には、企業の採用力というのは、次のような要素で決まることが多いと思う。

  • 会社の規模や成長性
  • 会社の給与水準等の条件
  • 働く場としての企業の評判

会社の規模や成長性

一般的に考えれば、会社の規模が大きかったり、会社の成長性が非常に高いなど、企業として、安定しているとか、将来性が高いと見られやすい企業には良い人材が集まりやすい。私個人としては、企業の規模で働く場を選ぶということを人生でしたことはないが、学生自体の周りの友人の新卒時の就職活動の様子などを思い返すと、少なくても30年前は、所謂偏差値の高い大学の卒業生は、概ね大規模な有名企業を優先して選択することが多かった。

一方で、スタートアップ企業の働く場としての魅力の最大の要素は「成長性」「将来性」である。20-30年前は所謂一流企業で働くことが出来る人材の選択として名前も知られていないスタートアップ企業が挙がることは、非常に稀であった印象であったが、最近の若者の話を聞いていると、私の知る母集団に偏りがあることは否定できないが、少なくても30年前よりは大分状況は変化してきているように感じられる。

個人的にその変化を感じるようになった切っ掛けを作ったのが、DeNAとGreeが一時期優秀な新卒学生を良い条件で採用し、その卒業生がネクストステップとして、スタートアップを起業して、成功者がちらほら見えだしてきたという状況が7-8年前位から出てきだしたことだと思う。しかも、そのうちの何人かが、有名芸能人と結婚するみたいなニュースが話題になるなどして、世の中の空気が少しづつ変わってきたような印象を受けている。

逆に言えば、現時点で優秀な新卒の学生を毎年着実に採用出来るような企業としての評価や、現時点での企業の規模は大きいとは言えないが、事業に将来性が高く、成長スピードが早いという状況を持ち合わせていない企業というのは、企業の名前だけで良い人材を惹きつけることは普通に考えれば難しいということになるため、それ以外の要素に魅力を持たせて、良い人材を惹きつける努力をしなければならない。

会社の給与水準等の条件面

仕事というのはプロフェッショナルとして通常は週40時間程度、つまり、その会社に所属している期間の人生の1/7程度は強制的に身をささげる・拘束されるので、当然それに見合う何らかの対価が得られなければならない。

その代表的な例が給与を始めとする報酬であり、コロナ禍以降で重視され始めてきたのが、在宅勤務の日数であるとか、フレックス金、副業の可否であるなどの働き方であると思う。

特に、この10年位は、報酬面だけでなく、後者の働き方が重視される傾向が特に若い人を中心に強くなっているように感じられ、この点をマネジメントとしてどのように考えるのかというのは、採用のみならず企業として真剣に考えなければならない重要なポイントとなってきている。

それ以外でいえば、私は社会人人生で殆ど経験がないのであるが、日本の伝統的な企業を中心に、住宅手当や家族手当、退職金などの金銭面での所謂給与以外の面での金銭条件や、社宅、福利厚生施設の充実度など、お金以外の面での福利厚生の充実度なども、一度その様な会社で働いて手にしてしまうと、手放しにくくなってしまうようなものもあるのかもしれない。

いずれにしても、良い人材を採用するにあたって、直接的な報酬とそれ以外の福利厚生の面において、会社として良い水準を提示出来ることは、不利になることはあり得ないので、その点は各々の企業が必要な人材のマーケットプライスとのバランスを考えて、熟慮しなければならないポイントである。

私の経験上、間違いなく言えるのは、非常に優秀な人材を、市場価値・マーケットプライスよりも安く採用したり、入社後もその水準のまま便利に働かせて効率を上げようというアイディアは基本的にはあり得ないし、その様な状況がもし自組織内で発生していることが認識されれば、寧ろその状況の固定化は、採用できないリスクだけでなく、退職リスクが高まることを意味するため、早急な改善が必要であるという点である。たまに、非常に優秀な人材が、分かりやすく言うと「世間知らず」で、現職で不当に低い給与で働いていたりするケースに巡り合う幸運が恵まれることがあるが、もしその人材が想定通りに優秀であることが入社後に分かれば、早急に条件面の適正化を行うべきである。掘り出し物が永遠に掘り出し物の条件で満足して仕事をしてくれることは基本的にはあり得ないし、そうすべきでもないというのは、特に米国で仕事をして感じた真実である。

働く場としての企業の評判

働く場としての企業の評判というのは、非常に荒唐無稽な言い方になるが、分かりやすく言えば採用ブランディングということになるのかもしれない。ただ、ここで注意しなければいけないのは、私も何度か採用ブランディングのコンサルティング的な企業と仕事をしたことがあるが、個人的な感想としては、採用ブランディングで打ち出したい内容を外部の企業に相談するという時点で、その会社は働く場としての自社の組織を客観的に考えられていないし、自社の働く場としての魅力を本気で考えられていないということなので、大きな問題であると思う。

では、具体的に具体的働く場としての企業の評判というのは、どのようなことで決まってくるのであろうか?

  • 経営陣が従業員に求める働き方
  • 仕事をする場の雰囲気
  • 社内で評価される人材のタイプ
  • 社員の教育体制やキャリアステップに対する考え方

 私の考える代表的なものはこの4点位であろうと思う。

 

経営陣が従業員に求める働き方

この代表例が以前私が述べた、性善説・性悪説マネジメントの違いであるとか、職場での信頼感が関係するように思う。少なくても私が見てきた組織において、退職者が口にする職場に対する不満として、性悪説によるマネジメント思考が強く、現場に殆ど裁量がない職場であったり、社員を経営陣が信頼しておらず、会社全体でマイクロマネジメントが横行しているような会社の風土が表明されることは少なくなかったので、性悪説より性善説でマネジメントされる職場、信頼感のある職場の方が、働きやすい職場として評価されやすい可能性は高いと思う。

それ以外にも、結果重視 vs プロセス重視、数値管理重視 vs スキル重視など経営陣が従業員をどのようにマネジメントし、働く場としての魅力と、企業としての業績をどのようにバランスさせるのかには正解はないし、ひとつのやり方が、あらゆる人材のニーズにFitするという事もあり得ない。このため、経営メンバーは自社がどのようなポイントを重視して組織をマネジメントし、それに適した人材はどのような指向性を持った人材で、その人にアピールするためにはどのように自社を定義し、見せるのかというのを真剣に議論し、実践していくことが重要である。

仕事をする場の雰囲気

これも曖昧な言葉で、前項の経営陣が従業員に求める働き方と切り分けることも難しいが、ここでは違いを分かりやすくするために、マネジメントの上位レイヤーから強制されることによるものではなく、結果として現場で醸成されるボトムアップ的な結果としての職場環境と考えてもらいたい。

例えば、打ち合わせの現場でスタッフレベルの社員が積極的に自分の意見を発言できるような環境であるとか、分からないことがあれば先輩に聞きやすい環境であるかとか、隣で困っている同僚がいれば周りがサポートしてあげるみたいなチームワークの関係性であるとかであろう。

ちなみに、ボトムアップの結果とは言いながら、実際にはこのような雰囲気、個々の従業員の業務スタンスを決定するのは個々の従業員に求められる経営層からの要求内容の優先順位であったり、次に話す人事評価の優先順位の考え方に規定されることが多いため、完全なボトムアップではないのであるが。

いずれにしろ、難しい制度とか、マネジメントの手法などは、個々の従業員には関係なく、結果として働くの職場の雰囲気は、日々働く環境という意味で従業員には重要であるし、その雰囲気というのは、面接・面談時に対応する社員の言動からなんとなく伝わるものだと考えている。このため、職場の魅力・評判を良くするためには、自社の職場の良さを末端の社員が外部に話せるような状況にしておくことが重要であると考えている。

社内で評価される人材のタイプ

分かりやすく言えば、その企業の人事評価制度の設計思想とその結果として重視される評価項目の優先順位、そして、最終的な運用結果として、職場で評価されている人材がどのような人物であるのかという事である。

もちろんこれも正解はない。例えば、社員を徹底的な結果重視、成果重視で管理するという思想のマネジメントスタイルの会社で、その点を他の項目よりも圧倒的に高い優先順位で評価するというタイプの評価基準の会社があるとしよう。この評価制度の狙いは、おそらく短期的な効率改善、売上向上を図るということであろう。その意味では、このような方針は間違ってはいないといえる。

しかし、このような評価制度を極端に運用に載せてしまうと、例えば職場の雰囲気で述べた、後輩社員が先輩社員に分からないことを聞きにくいとか、隣で困っている社員がいても周りのメンバーが手を差し伸べることが少ないみたいな状況が発生するリスクが増大し、ギスギスした雰囲気の職場になってしまう可能性が高い。なぜなら、自己に課された数値目標の達成のみが、評価される仕組みであれば、ロジカルに考えれば、他人の世話をやいている暇があれば、自分のパフォーマンスを上げることに集中するほうが、高く評価されるからである。

一方で、逆にチーム全員で和気あいあいと雰囲気の良い職場を作ろうとして、数値目標の達成を重視しなかったり、そもそも数値目標(昔の言葉でいえばノルマ)を課さないというようなマネジメント方針をとり、チームへの貢献度みたいな話を重視しすぎると、今度は短期的なパフォーマンスが停滞するリスクが高まるかもしれない。

と、どのような人材をどのような仕組みで高く評価するのかという人事制度、人事評価制度の設計というのは会社の働く場の評価に密接に関連していくことになるため、慎重にデザインされていなければならない。

ただ、多くの会社を見てきて思うのは、制度、ポリシーの設計と同等がそれ以上に重要なのはその運用である。人事制度とか評価制度というのは結構外部の専門のコンサルティング会社と一緒に作ることが多いが、そういう会社が入って、様々なベストプラクティス的なものを反映すると、制度上数値評価に徹底して振り切ったり、仲良しチーム作りに振り切ったりすることはなく、程度の差はあれ、ある程度バランスのとれたものになることが多い。それにもかかわらず、会社ごとの職場としての魅力度に大きく差が出る理由は、私の経験上、制度の設計以上に、制度の運営に職場の魅力が左右される部分が大きいからだと思う。典型的なのは、誰が評価され、誰がより良い地位に出世するかどうかの判断で、人事評価制度での基準と全く違う基準が適用されてしまうことが多くあったりすることである。その代表的な例が、上司が扱いやすく、その人物を通じて自分の組織をコントロールしやすいような所謂Yesマンタイプの人材が出世してしまうパターンである。このような人材は、どこの組織でもそれなりのかずいるわけであるが、私がこれまで見た人事評価制度の中で「上司の指示に徹底的に従順であること」とか「上司の発言に異を唱えるないこと」などが求める人材の評価ポイントとしてリストアップされているのを目にしたことはない。つまり、これは精度の問題ではなく、運用の問題であるということである。

ちなみに、このような人事が運用レベルで横行してしまうと、どんなに美しい制度を作っても、末端社員からの見え方で、制度ではなく運用実態の方が会社の真の姿に見えてしまうので、注意が必要である。

自社の職場の魅力度を評価する際には、マネジメントレベルのメンバーは、制度的なロジックと現実の間で、目をそらさずに「現実」を直視して、冷静な自己評価をすることが求められる。

このあたりの現実を直視するひとつの方法として役立つのが、外部の転職レビューサイトである。具体的にはオープンワークとか、転職会議のような媒体になる。SNS、UGC系の媒体の常で、このようなサイトにかかれていることのすべてが真実なわけでもないし、媒体の特性上、概ね悪い側面が強調されやすい(やめた人が書くことが多いので、書き込む時点でネガティブな動機付けがされていることが多い)。しかし、偏りがあるとしても、書かれていることに思い当たる節が全くないということは稀で、そこまで的外れなことが書かれていることはそこまで多くない気もしているので、目を背けずに、このようなサイトから情報を取り、自社がどのように表かれているのかを把握する事の一助にはなると思う。

社員の教育体制やキャリアステップに対する考え方

職場の魅力を左右する要素で最後に上げるのが、社員の教育体制やキャリアステップについての考え方や、その結果実現する既存人材のスキルレベルである。これまで見てきた3項目については、どちらかというと「今」働く場所としての評価という事であったが、この項目の重要な点は将来この会社で働くと自分は成長でき、よりよい条件や環境で仕事をすることが出来る、キャリアアップ出来るのかという事である。

もちろんそれを外部に見せる方法は、人事部門が構築するような社内の研修制度の充実度のような話が分かりやすい。しかし、この点も、私個人が立派な社員研修制度があるような会社で余り働いた経験もないし、あったとしてもその様な研修を受ける立場で仕事をしていなかったということもあり、よほど斬新か充実した制度でないかぎり、制度面の見せ方で、教育制度や良いキャリアを詰める場所としての魅力があるとアピールするのは難しいと思う。

それよりも重要な点は、①現在いる社員が取り組んでいる業務のクオリティが競合他社や他業界の企業と比較して高いレベルにあるのか、②その会社の卒業生の社会での活躍度合いの2点が私は重要であると思っている。前者については、面談の場などで、自社の面接担当者が語る自社の現状や課題の説明を率直にすれば、その会社のスキルレベルは分かる人には分かるものだし、後者についても、人材輩出企業として評価される会社は、自然と耳に入ってくるはずである。

特に、人材輩出企業という視点でいえば、私の1社目の楽天などは、多くの起業家を輩出していたり、卒業生が様々なデジタル系の成功企業のマネジメントポジションで活躍していることなどから、高い評価を受けている代表例かもしれない。

企業の採用ポテンシャルをあげるのは経営トップの仕事

ここまで見てきたように、企業のポテンシャルというのは、様々な要因により規定される。但し、読んでいただいてご理解いただけると思うが、企業の採用ポテンシャルを良くするためには、CMOであれ、マーケティング部の部長であれ、単体で実現できることはほとんど存在しない。

経営トップを中心とした企業全体の一貫した取り組みの結果が、魅力的な職場を作る要素を構築していくわけであるのは間違いない事実である。

このため、次回は、CMOやマーケティング部長など現場に近いマネジメント、ミドルマネジメントレベルでも改善可能な、「自己のマネジメントするマーケティング組織の魅力」について考えてみたいと思う。

良いマーケターの見分け方2

前回は、よいマーケターを採用するための評価ポイントとその優先順位を採用する人材のタイプ別に確認してきた。今回は、それぞれの評価ポイントを、採用時にどのようにして確認するのかという方法論を考えてみたいと思う。

まず、おさらいで、マーケターの採用時に確認することが必須である6つの評価ポイントを見てみる。もし、前回の議論をお読みでない方は、こちらをご確認いただきたい。

  • マーケターとしてのスキル
  • マーケターとしての経験
  • そもそもの地頭の良さ
  • パーソナリティ
  • カルチャーフィット
  • マネジメントスキル(マネジメントポジションの場合)

以下では。それぞれの評価ポイントの良し悪しを面接等においてどのように判断するかを詳細に見ていきたいと思う

マーケターとしてのスキル & マーケターとしての経験

マーケターとしてのスキルと経験については、同時に確認する。具体的には、職務経歴書の振り返り・自己紹介をしてもらったハイライトの経歴を中心に、具体的な案件の成功事例、失敗事例の話を聞きながら、その内容を深堀して議論を深めることによって、相手のスキルレベルを評価するという方法が経験上一番確実だと思っている。

但し、具体的に過去の事例を話してもらう前の下準備が重要であると思っているので、そちらから先に話したいと思う。正しくマーケターのスキルと経験を評価するためには、なるべく具体的な事例について、突っ込んだ話をする必要があると考えている。このため、面接相手が正しい事例の選択を出来るように、採用側が現状の組織の役割はこのようなもので、現在のメンバーで出来ていること、出来ていないこと、短期、中長期で解決したい課題と、新しいメンバーにその中で果たしてもらいたい役割など、今回のポジションの人材に求められる能力・役割を明確に理解できる情報を事例の紹介の前に説明することが効果的である。例えばこんな感じである。

「当社は、ゲームアプリの集客をパフォーマンスマーケティングを中心に行っている。なお、デジタル広告の運用はインハウスで3年前から行っている。チームは、各メディア企業と強固なリレーションを構築しており、代理店に負けない海外事例も含めた最新の情報をメディア企業から収集し、自分達では、国内においては業界トップクラス、また、海外のトップ企業と比べても遜色のないスキルレベルで運用をしていると考えている。ただ、今後の複数の大型タイトルがローンチを控えており、現状の人員体制ではリソースが逼迫している。基本は新卒を含め内部でメンバーを育成する方針であるが、それでも短期的に追いつかないので、当社のインハウス広告運用チームに短期間でキャッチアップ出来る、若しくは、チームが現在持っていないスキル・経験を持ったメンバーを1-2名程度採用したいと思っている。

現在の課題は、パフォーマンスマーケティングのPDCAはハイレベルで回せるようになっていると自負しているが、長期運用タイトルなどでは、Full Funnelへのマーケティングの拡張を行いたいと思っているが、Upper &Middle FunnelとBottom Funnelの予算や広告の出稿量のバランスがどうすれば最適になるのか、効果検証をどのようにすることが最適なのかということであり、この辺の知見がある方だとさらにうれしいと思っている。」

話としては、架空のものであるが、イメージとしてはこのくらい具体的に自分たちの状況を事前に説明をするようにしている。具体的に自分たちの状況を説明することによって、応募者は入社後に自分が求められている役割が正しく理解でき、自分の経験の何が入社後に活かせそうで、どの部分はこれから学んでキャッチアップしなければいけないのかなどが分かるため、その後の議論の目線が自然と合うという分けである。

採用企業側の正確な状況共有により、両者の目線合わせが完了すれば、次はいよいよ応募者のスキル・経験の確認となる。前述のとおり、私の場合は、方法としてはありきたりであるが、職務経歴の中から、採用ポジションに合致する成功事例、失敗事例をいくつか紹介してもらうことにしている。

その際に、私が見ているポイントは、

  1. 解決すべき課題・問題点の状況整理が正しく出来ているか?
  2. 課題・問題点の解決方法の検討のプロセス・ロジックに筋が通っているか?
  3. 解決策の実行段階での苦労話、エピソードなどからオペレーション実行の精度
  4. 解決策の効果検証方法、評価KPIの考え方と開示可能な範囲での結果
  5. 成功・失敗に関わらず施策実施後の継続的な改善活動

この5点くらいである。随分細かく聞くと思われる方もいるかもしれないが、正しくスキルレベルを把握するためには、このくらいの粒度で面接官がディスカッション出来ないと、正しいスキル・経験の評価はできないと思っている。

もちろん、相手も面接で緊張していることも少なくないので、一発で、この5点をすらすらと説明できて、こちらが質問する余地もないということは、そこまで多くはない。しかし、それは別に問題ではなく、質疑応答のプロセスの中で、応募者がこの5点について過去の経験を明確に答えられるかを見ながら、スキル・経験のレベルを確認していくことが出来れば十分である。

これまでおそらく500人以上のマーケターの面接をしてきたと思うが、そのサンプルを基にした私の経験では、この5点について、自分の成功事例・失敗事例について、私の期待値のレベルで答えられるマーケターというのは、5%以下であるのはほぼ間違いがないと思っている。

私は、原因はおそらく3つであると思う。まず、応募者が事業会社のマーケターである場合、ひとつの可能性はその成功事例を実行するプロセスの殆どを事業会社のマーケターである応募者が行ったのではなく、外注した広告代理店が行っている場合である。もう一つの可能性は、事業会社でマーケティングの仕事をしてはいるが、そもそもその会社にスキルレベルの高いマーケターがおらず、まともな教育を受けていないまま見よう見まねでマーケティングをしていて、課題設定やその解決への突き詰め方が浅い場合である。3つ目の可能性は、広告代理店の出身者の場合、3の解決策の実行までは行っていたりするが、4以降の施策結果の評価やクライアント企業内部のKPI情報は開示されておらず分かっていなかったり、施策実施後の改善活動に関わることができずに単発の仕事になってしまっている場合である。

残念ながら、日本のマーケターの置かれている環境は、この3つのいずれかに該当してしまうケースが多いらしく、正しいスキルと・経験を持つマーケターの比率というのは5%程度しかいないというのが実態のようである。

なお、ここまでお読みいただいた方は薄々感じているかもしれないが、このようなスキルチェックを面接で行うためには、面接官の側は当然応募者以上のスキル・経験を有していることは前提である。そうでないと、それぞれの項目の具体例の妥当性が判断できないし、正しい状況の説明を引き出すことも出来ない。スキル・経験レベルの低い面接官が犯すよくある失敗は、応募者が自分で実施したわけでもない、代理店が行ったマーケティング施策の表面的な成功事例を聞いて、この人は凄い華やかな経歴のあるマーケターだとコロッと騙されて採用をしてしまうようなケースである。ただ、私の感覚だと、代理店を使い続けてきた大企業のマーケターなどの場合、それが当然で、マーケティングは業者を使ってやらせるものだ位にしか思っていない人も少なくないので、「騙されて」という表現は正しくなく、説明している側もそれが普通だと思っているのだろうと推察している。ただ、そのような低スキルマーケターの集団ではいつまでたっても、グローバルで戦えるマーケティング組織を作ることが出来ないのは当然であるため、是非まず面接官自身のマーケティングスキル、経験をあげていくことを検討して欲しい。

そもそもの地頭の良さ

地頭の良さは、面接で45分‐1時間話をしていれば、大抵わかると言ってしまえばそれまでだが、基本的には、スキル・経験のチェックを主目的として行う。成功事例・失敗事例の説明がどれだけロジカルに説明されているか?また、一発できれいに説明出来なくても、こちらからの質問に的確にレスポンス出来ているかを確認することによって地頭のレベル感も同時に把握出来ると思っている。

特に、ポテンシャル採用の人材の面接の際は、成功事例・失敗事例の説明が、現時点で必要とされるスキルレベルに達していないことは前提なので、スキルチェックというよりは、どれだけ自分の頭で物事を考えて直面する課題に取り組んできたのかを見ることによって、論理的思考力の確認は出来ると考えている。

1点だけ注意すべき点としては、話が旨い事と、ロジカルに考える事とは必ずしも同じではないということである。たまに、面接慣れしすぎていたり、営業等で面談に場慣れしていて、話は立て板に水のように滑らかだが、よくよく聞いてみるとたいした内容がないような人もいるが、聞く側にスキルがあればこのケースは概ね見抜けると思う。ただ、注意が必要なのは、たまに思慮深く考える余り、言葉がそこまでスムーズに出てこない頭の良いひとがいて、もしその人材がスキル・経験を備えている場合は、5%しかいない貴重な人材なので、見逃さないようにしないといけない。実際、第一印象は「大丈夫?」と思った人材でも、よくよく話してみると非常に頭もよく、採用後に想定以上にパフォーマンスした人材にもこれまで多く出会ってきたので、話の上手さと地頭の良さを混同しないように注意したほうが良いと思う。

パーソナリティ

パーソナリティについても、基本は成功事例・失敗事例の中で見るようにしている。基本的には真面目さ、粘り強くコツコツ努力できる人間か、そのための向上心が高そうかの3点くらいを見るようにしているが、成功事例に対して、何で?何で?を繰り返し聞いてみたり、失敗事例をどうやって克服したかみたいな話をしていると、私が知りたいようなポイントは見えてくる。

経験を見る5項目の中では、3の実行フェーズでの苦労話とその中での粘り強さ、逃げない姿勢、5の継続的な改善活動における深堀、飽きない姿勢などを突っ込んでみると、デジタルマーケティングに向いている人材かどうかがわかると思う。

但し、1時間程度の面接で一番見抜くのが難しいのが、このパーソナリティの部分だと思っていて、私の経験では、採用で「思ったのと違う」となるケースの8割程度は、パーソナリティの弱点を見抜けなかったというケースであると思う。

カルチャーフィット

カルチャーフィットについては簡単で、複数人の目で、一緒に仕事をしたいと思うか、現状のチームに入って、周りの人と一緒に仕事をしている事が想像出来るのかを面接をした全員で合議して結論づけるのが良いと思う。

ちなみに、私は面接は1対1で行うことはほとんどせず、2-3人程度の面接官で行うようにしている。少なくとも、自分の部署に入れる人間は本部長である自分と、実際の管理責任を負う自分の配下の部長級の人間と一緒に会うことは原則としていて、例え私がこの人材は良いと思った場合であっても、より近くで働く部長が懸念を述べたらそちらの意見を優先することにしている。結局ダイレクトにマネジメントする人間の意に沿わない人材を無理にチームに入れたとしても、結果的に皆がハッピーになることは少ないと考えているからである。

もちろん自分の直下の人間というのは、私が信用できると思っている人間を選んでいるし、ポジションに求められるスキルも持っている人間なので(もしその適任者がいなければ、可能な限り私自身で繋ぎの兼務をしてでも良い人材を探す方がよいと思っている)、殆どの場合、一緒に面接して意見に相違が出るのは、スキル・経験・地頭ではなく、パーソナリティとカルチャーフィットであるが、この点については、面接官全員で同意見にならない人材はよほどリソースに困っていない場合を除いて、採用しない方がよい。大抵、後で組織内のマネジメントで問題が発生するのは、採用時のこのあたりの小さな妥協に起因していることが多い。

マネジメントスキル(マネジメントポジションの場合)

マネジメントについては、上手くいく方法論など話してもらっても、教科書的な答えしか返ってこない事が多い。ここ最近でIT系の会社でマネジメント経験がある人によいマネジメントの方法論の話をすると、前にも言ったように、私の嫌いなOne on Oneを小まめにやりますみたいな回答が返ってくることが多い。

私はマネジメントというのは、人と人の問題なので、そんなに簡単な成功法則などなく、どれだけ経験を積み、難しいシチュエーションに直面し、それを失敗しながら、苦労しながら乗り越えてきたかの蓄積でしかないと思っている。このため、マネジメントのスキルの話を聞くには、断然、成功事例<失敗事例を具体的に聞くことが良いと思う。成功事例の教科書的な正解をきれいに話すことが出来るが、失敗事例が述べられない人は、大抵の場合、マネジメントをしたことがないか、マネジメントで苦労したことがない、人に興味がない人が多い。

ここまでで、良いマーケターを面接等で見抜くための具体的な方法を説明してきたが、ハッキリ言うと、この文章を読んだから明日から失敗せずに良いマーケターの選考が出来るのかといえば、必ずしもYesとは言えない。なぜなら、採用時の選考というのは、多くの人を採用して、その人の面接時の評価と、入社後のパフォーマンス、採用時に見抜けていたポイントと、採用時には分からず入社後に問題になったことなど、多くの人材を面接し、採用し、入社後評価するという経験の蓄積と、それぞれの人材の相対的な比較において、自分なりの基準値が出来てくるというのが実態だからである。

この2回の議論でお伝えしたかったことは、その経験値を自分の中に蓄積していくための情報整理のフレームワークと、各項目を評価する方法論のようなものであると考えていただければと思う。

マーケターという職業は専門性の高い職種であるため、組織の成熟が進めば進むほど、外部から良いマーケターを採用することは難しくなる。特に、会社の知名度と自分のマーケティングチームの業界内でのポジションに差がある(マーケチームのポジションが高い)場合には、その状況は加速度的に強くなる。しかし、だからこそ、組織を円滑にマネジメントするためには、採用での成否は非常に重要である。必要なスキルを持っていない人を採用してしまうのは論外であるが(とはいえ、世の中見ていると結構多い)、特にパーソナリティ、カルチャーフィットに問題がある人材を採用してしまうと、その後何かと苦労することが多い。なぜなら、新卒は別にして、それなりに社会人としての年月と経験を重ねた人材というのは、大なり小なり自分がこれまで積み重ねた経験とパーソナリティが複雑に絡み合ってしまっているので、良い意味でも悪い意味でも入社後に簡単に変わることが出来るわけではないからである。ぜひ、自社の組織にフィットする、良い人材を見抜く目を養っていただければと思う。

良いマーケターの見分け方1

500人以上のマーケターの面接経験から

マーケティングに関わるトピックでこれまで触れていない項目として、採用について書いていないなと思ったので、その点についても少し議論してみたいと思う。

まず、大前提として、良いマーケターの条件については以前詳細に議論したので、こちらを参照していただければと思う。このため、今回は見極めるべき資質については所与の条件として議論に入れずに、それを面接等で見抜く方法のアイディアを考えてみることにしたい。ただ、これも私なりのやり方であって、もちろん唯一の正解であるわけではないので、ひとつの考え方として捉えていただければと思う。

ただ、この話をするうえで、私にどのくらいマーケターの採用の経験があるのかの情報をご提供しないと、信用出来るのかどうかという話になると思うので、これまでの採用経験から少し話したいと思う。

まず、私がこれまでマネジメントした最大の組織は、大手ゲーム会社におけるマーケティングのグローバルの本部組織である。組織として100人前後の組織であったが、私の赴任当時は、基本的には任天堂やプレイステイションのハード向けの家庭用ゲームソフトの国内向けオフラインマーケティングのマーケターが3分の2位の割合で、その組織を①デジタル中心のマーケティングチームに作り変えることと、②グローバルのマーケティング統括組織にグレードアップさせることが大きなミッションであった。もちろん、オフライン中心からオンライン中心に変えたいからと言って、3分の2近くの人間を入れ替えるわけにもいかないので、中心的な課題は、今の言葉でいうリスキリングをしてもらうことによって組織改編をしていくことであった。しかし、ちょうどモバイルアプリのタイトルのヒットコンテンツが出だして、扱う商品数が増大していたこと、本格的なグローバル展開の大型タイトルが複数本発生して、グローバルのマーケティング体制を構築する必要性に迫られたことなどの理由で、本部長職にあった5年半の間、少なくても週に1人以上の候補者の面接をしていた。つまり、5年ちょっとで年50週×5年としても、250人程度のマーケターの面接はしていたことになるので、20年以上のマーケターのキャリアで言えば、500人程度はおそらく面接をしてきたと思う。ちなみに、何でそんな数になるのかといえば、私は100人程度の組織であれば、自分の組織で採用する人材には例外なく必ず面接することにしているため、そんな人数になってしまうという背景もある。

ちなみに、そのうちどのくらいの割合で採用していたかといえば、ゲーム会社でいえばおそらく20人にひとり位のイメージなので、合格率は5%以下だと思う。そして、これも感覚的な話になってしまうが、同じゲーム会社で採用した20人程度をサンプルとすれば、採用した後で、全然違った、失敗したと思ったのは、2-3人であると思う。それ以外は、面接時の想定通りの人材であったか、期待以上の人材であったこと思うので、少なくてもマーケターの人材を評価するという事で考えれば、自分では9割程度の確率で正しい評価をするスキルを持っていると自認している。

マーケターの面接の評価ポイント5+1

という経験を基に、今回は面接にて良いマーケターを見抜く際に考えなければいけないことを整理して考えたいと思う。

まず、私が面接をするにあたって人材を評価するポイントは次の5点プラス1である。

  • マーケターとしてのスキル
  • マーケターとしての経験
  • そもそもの地頭の良さ
  • パーソナリティ
  • カルチャーフィット

プラス マネージャー以上のポジションの場合は、

  • マネジメントスキル

それぞれについて考えてみよう

  • マーケターとしてのスキル

マーケターの基礎体力を始め、採用する人材に求めるマーケターとしてのスキルレベルについては、当然応募ポジションによって詳細は異なる。

  • マーケターとしての経験

経験については、職務経歴書に記載されている内容という事ではなく、「その一つ一つのキャリアにおいて、どのくらいの深さで考え、学び、使えるスキルまで昇華させられているか」をここでは経験と定義する。単に「やったことがある」というのは経験にカウントしない。詳しくはこちらを参照。

  • そもそもの地頭の良さ

デジタルマーケティングは、ロジカルでデータドリブンな業務であるため、当然物事を論理的に考えられる一定以上の地頭の良さは残念ながら必須条件である。ただ、決して学歴で判断するようなことはしない。

  • パーソナリティ

パーソナリティについても、詳細は先に挙げた良いマーケターの資質についての以前の議論を確認いただきたいが、デジタル時代のマーケターに必要とされるパーソナリティも一定存在するため、そこから大きく外れていないことはチェックする必要がある。

  • カルチャーフィット

どんなに優れたマーケターとしての能力があったとしても、一緒にチーム内で働く人間として、会社組織、マーケティング組織にフィットしそうな人材かどうかは慎重にチェックをするべきである。

  • マネジメントスキル

優れたマーケターになることと、優れたマネージャーになることは全く異なるスキル要件である。このため、採用ポジションがメンバーのマネジメントを要する場合は、マネジメントスキルについても見極める必要がある。

評価ポイントの優先順位を決める

ということで、マーケターの採用時の評価ポイントについての理解は出来たと思う。そのうえでまず最初に考えなければいけないのは、各評価ポイントの優先順位についてである。もちろん理想はすべての項目が10点満点の人が5%程度の確率で面接に来てくれるのことであるが、残念ながら私がこれまで働いてきた会社では、その様な贅沢な環境は構築出来なかったので、採用するポジションと組織の状況によって評価ポイントの優先順位を変えて人材の評価をすることになる。

  • 採用ポジションの組織が成熟しており、人材の教育を出来る場合
  • 採用ポジションの組織が会社としてスキル不足で外部人材に組織自体のスキル向上を期待する場合
  • 組織マネジメントを伴うポジションの場合

大別すると、この3パターンで考えればよいと思う。

採用ポジションの組織が成熟しており、人材の教育を出来る場合(ポテンシャル採用)

カルチャーフィット > 地頭の良さ > パーソナリティ > スキル・経験

残念ながら、日本のマーケターの人材プールには、私の基準で優秀だと思うマーケターがそれ程多くいないため、組織がある程度成熟してきて、人材育成が行える体制になっている場合には、必死になって経験者を探すよりは、スキル・経験は足りなくても、入社後に教育する前提で採用する方が早いし、強い組織になるスピードが早いことが多い。このため、私の経験では、発生するパターンが最も多いケースである。

この基準で人材を採用する場合の評価ポイントの優先順位は上記の通りである。まず、これは、すべてのポジションに共通であるが、カルチャーフィットは最も優先して評価するポイントである。どんなに地頭がよかろうと、パーソナリティがマーケター向きであろうと、組織カルチャーにフィットしないと感じる人材は、決して採用してはいけないというのが20数年マネジメントしてきた結論である。これは決して妥協してはいけないポイントである。なぜなら、カルチャーにフィットしない人材を雇ってしまうと、入社後にチームとして機能せず、そのスキルであれ、経験であれ、地頭の良さが結局は発揮されなくなってしまうからである。

次に重視すべきは、「地頭の良さ」である。スキル・経験が不足しているということは、入社後のトレーニングの吸収スピードでその人材のパフォーマンスは変わってくるので、早いスピードで成長できそうな人材であるかどうかはポテンシャル採用の重要な評価ポイントである。

3番目の評価ポイントは、パーソナリティである。これはマーケターの資質の整理の際も指摘したが、デジタルマーケターには粘り強くPDCAを回し続ける根気強さを始めとした性格要件が必須であるため、単に地頭がよいというだけでは採用することが出来ない。但し、ポテンシャル採用人材は、高い成長スピードを優先して考えたいため、採用緊急度がよほど高くない限りは地頭の良さをパーソナリティよりも優先させたい。

最後がスキル・経験であるが、これは入社後のトレーニングを前提とした採用であるため当然である。

採用ポジションの組織が会社としてスキル不足で外部人材に組織自体のスキル向上を期待する場合

カルチャーフィット > スキル・経験 > 地頭の良さ・パーソナリティ

チームに新しいファンクションを立ち上げる際に、そのスキルと経験がある人材が社内におらず、外部からスキルを移転して、成長速度を加速したいというパターンが本ケースである。私が経験した例でいえば、マーケティング組織内にデータアナリストチームを作ろうと思ったときに、社内に適したスキルがある人材がおらず、内部人材のトレーニングで行う時間的な余裕もない、時間がかかりすぎるというようなケースである。

カルチチャーフィットは前述の通り常に最上位の優先順位であることは揺らがないので、2番目から考えると、当然このケースにおいてはスキル・経験ということになる。外部からスキル・経験を移転するための採用であるため、当然の優先順位である。但し、このケースで問題になるのが、そもそも社内にスキル・経験がないから外部から人材採用をする状況下で、面接等において正しいスキル・経験のチェックが出来る人材が社内にいるのかということである。私自身の失敗経験も含めて、にわか知識で、スキル・経験の評価をして失敗だったというケースが若いころに何度か経験としてある。この問題を解決するためには、短期間でも良いので、外部のコンサル等に一緒に採用すべき人材の評価をしてもらうことをお勧めする。もちろん、強化したいファンクションの重要性によってかけられるコストも異なると思うが、人材紹介会社に高いお金を払って、結果的に失敗したというようなことにならないように、お金をケチらずに評価する目のレベルアップを検討すべきだと思う。

本パターンの採用においては、地頭の良さ・パーソナリティの優先順位は当然落ちることになる。但し、これは必ずしも地頭の良さ・パーソナリティがポジションにフィットしていなくてよいという意味ではなく、必要とされるスキル・経験を持っていると評価出来る人材であれば、当然それらを習得す段階で、その習得に必要とされる地頭の良さや・パーソナル要件は持っているはずと想定されるからである。その意味では、繰り返しになるが、スキル・経験の評価を正しく出来ることが、良い人材を採用するための必須の条件となる。

組織マネジメントを伴うポジションの場合

カルチャーフィット > スキル・経験・マネジメントスキル > 地頭の良さ・パーソナリティ

現場メンバーの採用ではなく、最初から部下を持つようなポジションに人材を採用するケースである。このパターンで判断が分かれるポイントは、スキル・経験とマネジメトスキルのどちらを優先するのかという事であろう。もちろんここはチームの状況によるが、私個人は、外部からマネジメント人材を組織に入れる場合は、担当するファンクションに対するスキル・経験レベルが、現在の所属メンバー以上にあることは必須条件だと思っている。なぜなら、マーケティングというのは、以前に述べたように専門性の高いビジネス領域であるため、メンバーひとりひとりが高い専門性を有した組織になっている(なっていなければならない)。このため、その組織をマネジメントする人材は、彼らの業務の意思決定を行ったり、適切なアドバイスを行ったりしなければならない。そのためには現場社員以上の経験値とスキルが要求されることはある意味当然である。私の経験では、チームのスキルレベルが高くなればなるほど、外部から採用した人材のスキル・経験レベルが低いと、どんなにマネジメント能力が高くても現場社員から信頼を得ることが出来ない(ストレートに言うと馬鹿にされてしまう)。私のマネジメントする組織でその様な状況が発生したケースは殆ど記憶にないが、残念ながらそもそも会社内部にマーケティングが出来る人材がおらず、正しい評価が出来ないという前述ような会社が無理やりCMOをエグゼクティブサーチ会社経由で採用したりすると、ポジションとスキルがフィットしていないなどの理由で、指摘したような状況になるケースを何度も見てきた。

一方で、マネジメントスキルがない人物を組織のトップに据えることは、マーケティングに限らず悲惨な結果になることは、議論する余地もないことなので、今回は、スキル・経験・マネジメントスキルを同列の優先順位とした。

ここまでで、採用するポジションのパターン別に優先すべき評価ポイントをご理解いただけたと思う。次回は、各評価ポイントを採用面談においてどのように確認・評価するかを考えたいと思う。