One on Oneって本当に大事?

いつからか増えだしたOne on Oneが嫌いな理由

何時からOne on Oneというミーティング形態がマネジメントの中で重要視されてきたのだろうか?もちろん昔から、面談とか個別ミーティングみたいな上司と部下、先輩と後輩が1対1で行う会議を表す会議は存在したが、なんかこの5年くらいOne on Oneという英語の言葉が職場で日常的に聞こえ始めたり、面接とかで実践しているマネジメントやオペレーション管理の手法を質問すると、こまめにOne on Oneをしていますといえば、気を使ってやっていると聞こえるのだ思っていそうな回答をするひとが増えてきた。なんとなく、システム開発系の人に多い気がするのでシリコンバーレー界隈のマネジメントの手法から流行りだしたやり方なのだろうか?それとも、コロナ禍でリモートワークが増えたことで、日常的にコミュニケーションが出来ないことの代替手段として出てきた手法なのであろうか?

この3年くらいいろいろ試してみたが、私は手法として好きではない。特に上司部下の関係でのOne on Oneみたいな話は、個別で案件がある場合と、多くても四半期に1回程度の個別面談で十分であると思う。それ以上の頻度で行うのは時間の効率が良くないと思っている。

この話をすると、そもそも部署のマネジメントをするのに、どのような会議体が良いかという議論から始めないといけない。よく上司と二人で話して合意を取ってくるのを得意にしている管理職やマネジメントがいるが、私はそもそも、上司と二人で何かをコソコソと密室で決めることが嫌いである。別に悪いことをしているわけでもないのに、周りの人に不必要な憶測を生むし、そもそも部下が何週間もかけて作った提案の結論を、同席していない密室での上同士の話し合いで決められ、嘘かほんとかわからない理由をそれっぽく聞かされても、何の納得感もないと思うからである。

私は、これまで何人もの上司を持ってきたが、定例的に上司と二人で話す機会を自分から依頼して設定したことは記憶の限り、一度もないと思う。自分でしたいと思わないので、自分の部下とも一人部署のような特殊な状況でない限り個別のMTGを定期的に行うことは基本的に自分からしないようにしていた。

現場メンバーとの定例MTGで組織と事業の実態を把握する

参考までに、自分の部署のマネジメントをするときに、私が実行している会議体の仕組を紹介しておく。私は自部署を基本ファンクション別組織にするので、ファンクションごとの定例MTGを週次~隔週くらい頻度で行って報告を聞くことにしている。その際の参加者は最低自分の配下2レイヤー下のメンバーをいれ、そのメンバーから直接報告してもらうように心がけている。定例MTGを重視する最も大きな理由は、以前述べたように、同じフォーマットの報告を繰り返し聞くことで、微妙な変化や時系列の理解を深めることが可能になるからである。そして、もう一つの理由は、直下の管理職ではなく、2レイヤー下の現場のメンバーからの報告を聞くことによって、各チーム内で起こっている問題点や課題を直接理解することができるからである。

この視点から、One on Oneの弊害を考えると、後者の機能を果たす場が、2レイヤー下のメンバー全員とOne on Oneをするという方法以外なさそうで、それを真面目に実施しようと思うと、例えばひとつのファンクションチームのメンバーが5人だとすれば5倍、10人だとすれば10倍の時間がかかるが、全く持って非効率だと思うからだ。

以前、ある部門の責任者とのOne on Oneを重視して、その部下をハブにその部署の状況を理解しようとして大失敗したことがあった。部署の状況の報告内容に、その直下の部下のフィルターがかかってしまっていて、その部署での問題が相当深刻になるまで表面化しない状況になってしまった。また、その時判明したのは、私の指示や考えもその部下のフィルターを通ったものしか伝わっていないという状況になっていた。

モチベーションが低いのはOne on Oneの有無ではない

よくOne on Oneの効用を部下のモチベーション管理と退職防止みたいに書いている文章をよく読むが、これまで、多くのマネジメントを見てきたが、トップレイヤーのマネジメントがOne on Oneを多用する組織において、現場のモチベーションが高い会社を殆ど見たことがない。そのような会社で必ず聞くのが、偉い人たちは現場のことが分かっていないという不満である。大抵、そいういう組織のOne on Oneで話されているのは、その部下たちのパフォーマンスが低いという話なのであるが。

ちなみに、私は自分の部署で、近年の異常なエンジニア不足でエンジニアの退職に苦しんだ経験はあるが、いわゆるマーケティング職の組織での人員の離職率はおそら年間で1-2%の間くらいではないかと思う。ちょっとWEBで検索すると日本企業の平均離職率は10-15%の間くらいのようなので、別にOne on Oneを多用しなくても、そこまでモチベーションが下がるということはない気がする。

管理職の仕事は管理ではなく専門分野のプロフェッショナルのリーダー

Middle Managementのことを日本語で中間管理職とか単純に管理職というが、なんか管理が仕事のようなネーミングで私は全く好きではない。ちなみに、私は、1浪大学院卒なので、25歳で社会人になり、28歳で管理職になってしまった。しかもマーケティングをゼロから始めたのと、管理職になったのが同時であったので、もし管理職の仕事が管理なのであれば、そもそも自分でマーケティングは1秒もしていないことになる。前に、人材マネジメントの研究者の人の話を見ていてびっくりしたのだが、結構多くの日本の大企業というのは、課長から部長になれる確率が10-20%くらいで、殆どの管理職というのは40代から20年間くらい課長であり続けるらしい。そして、40代半ば以降急速にパフォーマンスが落ちる傾向にあるそうだ。その理由は、おそらく、Middle Managementになったときに、中間管理職という間違ったManagementの略語に騙され、日本の企業の社内調整とか根回しとか、会議資料作りとか、そして、最近流行りのOne on Oneとかいう管理の仕事に時間を使いすぎているからだと思う。私は、Managementというのは、組織全体で部下と一緒に自己の専門分野の業務をよりクオリティの高いものへと押し上げる先導役でなければいけないと思っている。そのためには、効率の悪い管理の時間は極力減らさなければならない。私は、その効率の悪い代表例みたいな話が、One on One神話なのではないかと思ってしまう。もちろん、私のように下手な使い方ではなく、One on Oneを大変有効に使うメソッドもあるのかもしれない。それでも私は、管理ではなく、チームの皆と一緒にマーケティングがしたいのである。

部下に言ったことを覚えているか?

マネジメントに求められる一貫性

人と比べて自分が優れたマーケターである自信はあるが、一方で何か特別優れた能力があるとは思ったことはない。でも、お世辞かもしれないが、一緒に仕事を長くしたいろいろな方に一緒に仕事をして楽しいと言っていただけるし、勉強になるとお褒めいただくことが多い。

その方法論を纏めようとおもって、このように文章を書き始めると、一つ一つ言っていることは誰でも言ったことがあるような普通の事ばかりである。おそらく、このBlogのタイトルリストを読んでも、ごく普通の言葉が並んでいるだけで、面白そうな内容が書いてあるとは思わないであろう。まあ、その時点で読者数を増やそうというマーケター視点から言うと大いにセンスがないという気がするが。

では、他の人と私でどこに違いがあるのであろうか?私は実はひとつしかないのではないかと思っている。それは、「一貫性」である。要は言動に筋が一本通っているかいないか、一度決めた方針を貫き通すということなのではないかと思う。

普段から考えていない事柄にどうやって一貫性をもって意思決定するか?

ひとつの事業を経営しようと思うと、日々数えきれないほどの判断をしなければいけない。中にはとても重要な決断もあるかもしれないが、実は個々の意思決定というのは、他愛もないことも多く含まれたりする。意思決定を求められる立場にある人であればなんとなく同意してもらえるかもしれないが、実は意思決定を求められる事柄について、普段から全く考えていないようなことも結構多かったりする。私は特にいい加減なので酷いのかもしれないが。私の場合は自分の中のルールで、よほどのことがない限り、1時間なら1時間のミーティングで聞いて判断を求められたら、その1時間の間に理解して結論を出すことにしている。それはどういうことかというと、その事項について基本的にはその打ち合わせ中しか考えておらず、それ以外の時間はその人がやっていることには基本的に大きな関心を振り分けていない。つまり、はっきり言うと、部下のその人が普段行っていることを考えている時間は打ち合わせ時間以外にはほとんどないと言ってよい。しかも、自分で発した言葉を自分自身で全部覚えている自信も全くない。

そこで問題になるのが「一貫性」である。普段考えていないことについて、瞬時に判断を求められたときに、その時の思い付きや、感覚で返答していると、一つ一つのお題に対しては特に間違っていない判断であっても、ひとつのお題で答えた内容と、他のお題で答えた内容に齟齬が生まれたり、そのぞれのパーツのディレクションが微妙にずれたりして、組織全体で組み合わせると上手く整合性が取れなくなったりする。

報告スキルが低い部下に間違った反応をしないようにするためには

例えば、人材業界で、前月新規獲得ユーザーからの求人提案転換率の悪化から、求人提案数の目標が達成できなかったとする。今月の重点改善ポイントは求人提案転換率の改善をする事と担当者と目標をきめてプランを作ったとする。

何週間かして、担当者が今月も目標達成が厳しそうだと報告をしてきた。原因を聞くと前月よりも新規獲得CPAが上昇したためだという。

ここで、考えてみよう、ここで一番してはいけない発言は何だろう?私は、「何で新規獲得CPAが上がったのか?」と問い詰める事だと考える。なぜなら、今月の基本方針は求人提案転換率の回復であったのであるから、そこには多少の新規獲得CPAの上昇は想定していなければおかしいはずである。

この担当者のダメなところは、そもそも今月の改善ポイントは求人提案転換率なのだから、まずその報告をしていないことが明らかにおかしい。さらに、今月の求人提案数の目標未達見込みの理由が、①求人提案率は想定通り改善したが、新規登録CPAの悪化がそれ改善幅を上回ってしまったことが原因なのか、②求人提案率は改善せず新規登録CPAだけが悪化してしまったことが原因なのか、③求人提案率は改善し、新規登録CPAも若干悪化したがそもそも求人提案率の改善が想定より小さかったことが原因なのかの3パターンくらいは検討出来るが、そのどのパターンであるのかも説明できていない。一番最悪なのは②であるが、①、③は状況としてはそれほど悪くないのかもしれない。とくに③のケースなど、経験の少ない担当者であったりすると前月比の数字だけ見て新規獲得CPAが悪化していることが問題であると報告しているのかもしれない。

もしこの上司が私の例示した最悪の発言をしてしまうとすれば、大きな原因は、報告者が今月の求人転換率の改善という基本方針をきちんと説明せずに新規獲得CPAの悪化を問題点として報告したことに対して、上司がその基本方針をわすれて報告内容に反射的に反応してしまっていることである。そもそもは報告者の報告スキルの低さに原因があるのだが、実は業務の現場ではこのようなことは日常的によく起きることである。しかもよくある最悪な事態は、このようなスキル不足の担当者が、打ち合わせが終わった後に、まわりの同僚等に、自分の報告スキルに問題があることに気が付かずに、上司が基本方針を忘れていると陰で文句を言っていたりするのである。しかし、私の仕事のやり方は極端だとしても、多くの管理職、マネジメントは日々瞬時の判断を求められているので、じつはこのような状況は多かれ少なかれ発生すると考えておいた方がよい。

一貫性の高い部署を作り、部下の心理的安全性を確保する

このようなことが頻発すると、まず職場が部下にとって心理的な安心感がある場所ではなくなる。さらに最悪なことに、その上司の心無い一言のために、部下の仕事の仕方は状況対処的なものばかりになる。その結果、組織のメンバー個々の業務内容がバラバラになり、皆で上司に言われた通り一生懸命働いているはずなのに、組織全体として一向に成果が出ないということになる。その結果は、右肩下がりのモチベーションの低下である。

では、このような事態を防ぐためにはどのようにするべきなのだろうか?私の実践している方法は、「未来からの逆算」である。多くの会社では、中期経営計画などで、向こう3-5年くらいの事業計画はあると思う。私は、いつもその事業計画全体とマーケティングの数字を作りながら、大体この計画を実現するためには、ここから1年ごとにどの程度の数字の改善が必要で、それを実現するためにはこれとこれをすればたぶん実現するくらいの大きな絵図を作る。別に詳細なPPTの資料など必要ない。たぶん、年初か年度初めの時期に一回くらいはマーケティング部門の方針のような資料を作るであろう。そんな程度のものでよい。そして、その内容は当然自分で作るのであるから、自分の頭に叩き込まれているはずである。

それが出来ると、当然、今年は四半期ごとくらいで大雑把にこのくらいのことは出来ていないといけないだろうと自分の配下の部署の大きなディレクションも考えられるようになる。もちろん、そのような内容は、各部署のミドルマネジメントと目標設定面談などで確認、合意するであろう。

まず、このくらいの内容は、忘れず記憶していつでも取り出せるようにしておかなければならない。これも相変わらず凄く普通のことを言っているように思われるかもしれないが、周りの人を見ていると、計画とか目標を決めるときに作ることが目的化してしまい、作った後でその時の「作文内容」をすっかり忘れてしまっている人は結構多い。

このくらいまで出来れば、あとは基本的にはそれほど難しい話ではない。日々の打ち合わせの中で提案される内容や、報告での問題や成功事項に対して、この計画からの逆算のラインに乗っているかどうか、それを遅らせる要因になるのか、加速させうる要因になるのかを常に考え続ければ良いわけである。なぜなら、過去の似たようなシチュエーションにおいても、ディレクションに沿うものにはYesといい、ディレクションからずれたものにはNoと言っているはずだからである。

そうすれば、そもそもの判断に必ず筋が通るはずである。つまり、意思決定の「一貫性」が生まれる。

一貫性のあるマネジメントは部下の自走力を強化する

そして、この一貫性が部下に理解されると、さらに大きなメリットがある。部下が、そのディレクションに向かって、勝手に自走しだすのである。なぜなら、部門全体の方向性がクリアであれば、細かいディテールまで報告や確認をしなくても、部署内で問題になることがほぼないという安心感があるからである。

私は、例え自分の部下から細かい報告がなく、多少上手くいかなかったことがあっても、部下が論理だててディレクションにそってやった施策であれば、なぜ報告せずに勝手にやったのかとか、聞いていないと門前払いにするとかはしないようにしている。もちろん、決裁権限の範囲など、会社のルールは絶対に厳守することは条件であるが。

なぜなら、それをしてしまうと、部下が私の言ったことしかやらなくなってしまうので、私の考えていることしか前に進まなくなる。しかし、私自身は、前に申し上げたように部下が考えていること以上のことは基本的に考えていないため、部下が私が考えていないようなことを考え続けてくれないと、部署としての推進力が著しく落ちてしまうだ。

部署の責任者としての意思決定の一貫性は、部下の自発的な創意工夫や、狭く深く考えるモチベーションを促進するための最高のエンジンなのではないかと思う。

部下に上司の間違いを訂正できる環境を構築する

私は、この「一貫性」の堅持が自分の日々の仕事をする上でも最も重要なマネジメント上のポイントであると思っているが、その実行にあたって、「未来からの逆算」と同等レベルで重要だと思っていることがある。それは「部下に間違いを指摘してもらう」環境を作るということである。まあ、私自身はそう心がけているつもりだし、打ち合わせで「堀内さん前にそう言っていませんでしたよ」と言ってくれる部下がいるので、完ぺきではなくても、全く言えない環境にはなっていないとは思っているが、自分でも自信はない。でも、この上司にきちんと間違いを指摘できる環境を作れるかどうかが、自己の言動の一貫性を担保するために非常に重要だと思っている。なぜなら、これもよく部下に正直に言うが、日々多くの判断をしすぎて、自分で自分の発言を全部覚えられているわけではないからだ。昔のある出来ない上司が「自分は朝令暮改でいうことが変わるので、そういうもんだと思って諦めてください」と全員の前で宣言したどうしようもない人がいたが、こういう人のもとでは本当に安心して仕事ができないと心から思ったので、自分はそうならないように心がけているつもりだし、例え、以前の判断と異なる判断をするときには、非を認めたうえで、部下に謝罪をするようにいしている。当然、経営メンバーに名を連ねているからといって、何から何まで完璧に出来るわけでもないし、自分の理想通りに行動できるわけでもない。やはり、自分の間違えを部下から指摘してもらえる環境は私としては何とかして維持、改善していく努力をしたいと思っている。

そして、最後にこの一貫性を下支えする基盤となる前提がある。「Data is God!」の考え方である。これは前にも言ったが、このData is God!の最も重要な基本思想は、上司よりもDataの方が偉いということである。私の発言であれ、社長の発言であれ、データで証明出来ないのであれば、または、データで反論出来るのであれば、議論をしても全くリスクがないという絶対的なルールである。自分の意思決定を極力その時持つデータをもとに行っていれば、データ=状況が変わらない限り、発言がブレるリスクは低く抑えることが可能である。もちろん、データの解釈が変わるリスクもあるが、それが頻繁に発生するのであれば、その人はDataを読む力に問題があるのかもしれないので、今やっている仕事が向いているかどうか真剣に考えたほうが良いかもしれない。

OOH

デジタル化で再注目されるOOH

OOHとは、Out of Homeの略で、分かりやすく言うと屋外看板や電車や駅の看板のような交通広告などを指す言葉である。もちろん、この手法自体は全く新しいものではなく相当古い広告手法であるが、個人的には意識することが多い広告媒体である。事実、こちらの記事をみても、22年のグローバルのOOHの売上は過去最高を記録しているとのことである。4マス媒体の国内の市場規模を見ると、市場全体としては、4マス媒体、OOH(プロモーションメディア)とも大幅にシェアをインターネット広告に取られているので、厳しいことに違いはないのかもしれないが。

OOH広告の最大の問題点は、オフラインメディア共通の効果のトラッキングが出来ないという事であり、この点については今も昔も大きく変わらない。ただ、この数年での大きな変化としては、媒体がオフラインからデジタルに置き換わりつつあるという事である。皆さんもデジタルサイネージという言葉を聞いたことがあるかもしれない。昔はOOHといえば、駅や電車の車内、街角に張られた紙のポスターや、ビルの壁や屋上に作られた巨大な看板であった。ただ、この数年でこれらの広告の一部がデジタルのモニターに置き換わっている。多くの場合、これらのデジタルモニターはインターネットに繋がっており、モニターに表示する広告は、管理センター的なところで、配信管理がなされるようになっている。

例えば、渋谷の有名なスクランブル交差点に立ち止まって、360度見回してみると、多分10個近い巨大なLEDモニターを目にするであろう。

OOHがデジタル化されたことにより、広告主にとっては、それ以前と比べ物理的な設置費用のようなコストが大幅削減されたことや、静止画から動画になったことによる表現力が高くなったことが利点といえる。一方、媒体としては、ひとつのスペースを一社に一定期間独占で売らなければいけなかったのと比較して、ひとつのスペースを細かく分けて、単価を下げて売ることが出来るようになるため、販売がしやすくなるという利点がある(と思われる)。

OOHの活用アイディア4選

という感じで、デジタルOOHの登場が、OOHが再注目され始めた原因のひとつだと思われるが、デジタル化云々の前に、そもそもOOHとはどのような特徴を持った媒体であるのかということから考えて、有効な利用手段を検討してみたい。

私が考えるOOHの特徴は次の4点である。

  • エリアターゲティングが可能
  • 場所によっては、物理的に大型の広告を掲示可能
  • 特定のエリアに集中して出稿することが可能
  • 特定のシチュエーションに合わせたターゲティングが可能

エリアターゲティングが可能

まず、OOHというのは、当然屋外に看板を出したり、映像を流すという手法であるので、広告出稿をする物理的な場所を選ぶ必要がある。そもそもこの作業自体が、広告のターゲティングという視点で考えるとエリアターゲティングをしているということになる。

もちろん、定点カメラなどを置いて動画配信するなどすれば不可能ではないが、普通に考えると渋谷のスクランブル交差点の周辺のモニターに表示されている広告は、スクランブル交差点にいる人しか見ることはできない。

マーケティングにおいて、エリアターゲティングをする手法というのは、昔ながらのやり方でいえば、折り込み広告であったり、ダイレクトメールであったり、県別のエリアでいえば地方のTVCMであったり、新聞のエリア誌であったりと選択肢はあるし、デジタルにおいても、位置情報を媒体に共有しているユーザーに向けたエリアターゲティングも手法として考えられる。ただ、デジタルのエリアターゲティング以外は、残念ながら手法としては市場が縮小傾向であり、残念ながらエリアターゲティングに使える媒体の選択肢がだんだん少なくなってきている印象である。このあたりが、おそらくOOHの市場が相対的に成長してきている理由のひとつであると思う。

場所によっては、物理的に大型の広告を掲示可能

もちろんエリアターゲティングというのは基礎的な要素であると思うが、私はOOH広告の最大の利点は、広告表現として他の媒体ではほぼあり得ないような物理的に大きな広告を作ることができることだと思っている。

日本だとそれほど感じないが、以前サンフランシスコに住んでいた時に感じていたのが、Appleの巨大なOOHの看板を非常によく目にすることであった。人通りが多い一等地の非常に目立つ規模の大きなスペースは積極的に長期間買いきっているような印象であった。そんな話を誰だか忘れてしまったが現地の人にしたところ、そもそもスティーブ・ジョブスはOOHが大好きらしいという小話を教えてくれた。私が知っている限りでも、ジョブスではないが、結構名のあるクリエーターでOOHが好きな人は多い。

何故なのだろうと考えると、実は単純な話で、物理的な大きさなのではないかと思っている。以前に、朝起きてから寝るまでに広告をいくつ見て、そのうち何個覚えているだろうかという話をしたが、そのように考えると実は物理的な大きさというのは大きな武器であると思っている。そう思ってAppleのOOHを思い出してみると、未だにいくつかのOOH広告は町のどこにあって、どのような広告であったのが明確に覚えている。なぜ覚えているかといえば、例えば、いつも町の繁華街から自宅に歩いて帰る通り道の交差点で信号待ちしている際に、ほぼそれしか見るものがないというシチュエーションで15メートル四方くらいの大きさの巨大な広告が比較的に低い位置でビルの側面に設置されていたからだ。映画館でもない限り、それほどの大きさの広告をOOH以外でみることはほぼあり得ないであろう。私は、この物理的な大きさという点で考えると、OOHに勝るインパクトを出せる広告メディアというのはないのではないかと思っている。もちろん、どのような媒体でもクリエイティブ表現でインパクトをだすことは可能ではあるのだが、確率的に成功率が高い媒体であることは確かであると思う。

特定のエリアに集中して出稿することが可能

OOHには、物理的な大きさ以外にも、集中して出稿することしやすいという利点もある。分かりやすい事例でいうと、たまに山手線などで、1つの電車のすべての広告が1社買い切りなっている車両ジャックを想像してもらえるとよい。このジャック系の広告というのは、車両以外にも、駅の一部のエリアの広告を買切るであるとか、商業施設の一部のエリアの広告枠を買切るとか方法は考えられる。

私の生活圏でいうと新宿駅の東口から丸の内線の改札に抜ける地下通路があるが、その通路は結構な割合でジャックされていることも多く(実は私も実施したことがあるが)、アニメやゲームの広告などでは、よく広告を背に写真を取っている若い人もよく見かける。

私はジャック系の広告というのは、デジタル広告的に表現すると、あり得ないくらいフリークエンシーを高めるという手法であると思っている。デジタルで真面目にトラッキングするとフリークエンシーは対数関数的にある一定以上になると効果が低減していくのであるが、それを振り切ってさらに増加させることによって、感覚的には傾きが逓増する瞬間みたいなものがあるような気がしている。

もちろん、デジタルでもジャックするというような手法も可能ではあるが、デジタル広告のトラッキングというのは広告をクリックしてくれたユーザーの測定には適しているが、広告を視認してくれただけのユーザーに対する効果のトラッキングが不得意であるという弱点があり、交通広告のように極端なフリークエンシーを上げるような手法は効果が把握しにくいため敬遠されがちな印象である。

特定のシチュエーションに合わせたターゲティングが可能

またターゲティングの話に戻るが、OOHの広告の利点に目的が特化した場所で、「誰に、何時、何を言うか」の3要素を非常に限定して広告を配信するシチュエーションに応じたターゲティングという要素も利点として考えられる。

 この話で最初に思いつくのが、前項のスポーツマーケティングと少し被るが野球のスタジアムでのビール会社の広告などである。プロ野球をスタジアムで観戦しながらビールを飲むというのは定番の組み合わせであるが、そのスタジアムに特定のビールのブランドの広告が出ていると、ブランド選考に大きく寄与するのかもしれない。

別の例で思いつくのは、国際線の空港などで見かける旅行保険の広告などは、保険に入り忘れていた人などには分かりやすいブランド選考を促す広告になるのかもしれない。このような広告効果は、比較的Bottom Funnel施策に近い役割とみなすことが出来るので、もしかしたら、ROIの検証もしやすいというメリットがあるかもしれない。

OOH実施の注意点3点

もちろん、OOHに対する異なる考え方もあるので、私の見解がすべて正しいとは思わないが、OOHの特徴を、ターゲティングとクリエイティブの観点から4つの視点で考えてきた。特に、クリエイティブ面でのOOHの特徴というのは、他の広告媒体では代用が難しいケースが多いため、よいクリエイティブのアイディアがあればチャレンジしてみる価値はあると私は思っている。

但し、その前提で注意点を何点か指摘しておきたい。

まず、私の経験上中途半端なOOHというのは、広告の認知率を高めることが非常に難しいため、やるのであればコストをかけて、目立つものを買うべきだというのが私の意見である。よく、OOHの媒体資料などを見ると、その看板の前を期間中何人ぐらいのひとが通過するのかみたいな数値が記載されているが、その数字の大きさはそれほど重要ではないと思う。どんなに人通りの多い場所に広告が設置されていても、その広告が認知されなければ全く意味はない。人通りの多いところというのは基本的に広告が多い場所である可能性が高いので、実際にその場所を確認して、もしくは、代理店等に多角的な角度から撮影した資料を提供してもらうなどして、目立つ場所に十分な大きさで掲示されるのかは確認しておいた方がよい。OOHの安かろう悪かろうは、経験上意味があるとは思い難い。

また、この効果が低いであろう中途半端な広告を買ってしまう悪影響は効果検証にも現れる。そもそもOOHも効果検証が難しい媒体であると最初に述べたが、効果検証の実施方法は、通常特定エリアにおける広告目標(認知率、態度変容など)の期間差分、もしくは、未実施エリアとの差分分析によることになる。しかし、見られているかどうかも分からないような中途半端な広告を買ってしまうと、差分の認識がされないケースが多いため、そもそも意味があるかどうかも分からないという話になってしまう。私の立場は、トラッキングが難しいとはいえども、今後のために実施の効果検証を行うことにチャレンジはすべきだと思っているので、可能な限り、検証結果が有意に得られるくらいの媒体と規模で投資すべきだと持っている。

最後の注意点として、場所の選定についてである。OOHの場所の選定については、余り意思決定者の個人的な意見は聞かないことをお勧めする。例えば、私が前述した新宿駅の話は、使われ方を見ると多分それなりに意味のある場所だと評価されていると推測するが、私が会社員時代に通勤でほぼ毎日通っていたという著しい個人のバイアスがかかっている。以前、とある企業の社長がやたら首都高速道路わきの看板を買え買え言っていたのを聞いていたが、よくよく聞いてみると毎日通勤時に見て効果があると思い込んでいるというのが理由であった。毎日運転手付きのくるまで首都高で通勤する人などターゲットとして狭すぎて、その会社のビジネスとは全くそぐわないアドバイスであった。

OOHの媒体選定は気を付けないと、自分が知らないところは意味がないと思いがちである。このため、代理店などに依頼するときに、可能な限り客観的なデータと現場の写真・映像を提供してもらって、ロジカルに選定をするように気を付けてもらいたい。

OOHは「目立つ」と「繰り返す」を実行しやすい媒体

私は、マーケティングのクリエイティブが人の印象に残る方法は単純に言うと2つしかないと思っている。「目立つ」か「繰り返すか」の2つである。このどちらかの要素、もしくは、両方の要素が圧倒的であれば、その広告クリエイティブはターゲットユーザーの脳内に認知され、記憶にも残りやすいのであると思っている。OOHというのは、ここまで話してきた理由で、この実行が最もやり易い広告媒体であると思っている。この意味で、デジタル派の私が好きな数少ないオフラインの広告メディアである。

ただ、「眼立つ」と「繰り返す」を実現出来ないレベルの出稿は、意味がないと思っている。よく、本社がある駅に企業のブランド広告のような交通広告をだしている企業があるが、従業員に広告を見せることに何の意味があるのであろうと良く思ってしまう。

肯定派の私は、上手に使えばいい媒体だと思うので、是非やる時は思いっきり意味のある形でやるのをお勧めする。

スポーツマーケティング

デジタルマーケターにしては豊富(?)なスポーツマーケ経験

全く新しくはないが、番外編的にスポーツ系のスポンサードマーケティングについても、個人的には余り積極的ではないのであるが、それなりに経験を積んでしまっているので、コメントをしておきたい。

まず、私の主なスポーツ系のマーケティングの経験実績の紹介から始める。最初は、楽天でマーケティングを私が始める前から唯一決まっていた施策である。覚えている方もいらっしゃるかもしれないが、1-2年だけ東京ヴェルディのユニフォームの胸のメインスポンサーを楽天が契約していたことがあった。おそらく楽天市場の従量課金導入を出店店舗に説明するお土産的に目立つ施策が必要と判断されたのであろう。

その後、三木谷さんの個人会社が買収したヴィッセル神戸のユニフォームの胸のスポンサー、楽天イーグルスの超大口スポンサー、テニスの日本最大級の国際大会である楽天ジャパンオープン(現 木下グループ・ジャパンオープン)などが楽天時代の主なものである。その後、ゲーム業界に移ってから、商品開発とマーケティング双方の需要から欧州、南米のサッカーのトップクラブチームやUEFAチャンピオンズリーグのスポンサーなども経験した。

私個人として、スポーツマーケティングを積極的に行いたいと思ったことは実は1度もないのであるが、たまたま、楽天とゲーム会社というスポーツビジネスやスポーツコンテンツに関わる事業会社で働いてしまった縁で、デジタルマーケターにしては豊富なスポーツマーケティングの経験を有するという変わった経歴になってしまった。

余り、正直に言いすぎるとスポーツチームの営業の人に怒られそうだが、スポーツ系のマーケティングについて、私の経験から感じていることは正直に書くことにする。

大前提はスポンサードする目的を明確に検討する

私の経験の中でも最大のスポーツマーケティングの経験は、楽天が50年ぶりにプロ野球に新規参入して楽天イーグルスをゼロから半年で立ち上げるという前代未聞の大騒ぎを経験したことであろう。参入前からオリックスと近鉄という2球団が統合して2リーグ12球団が維持できなくなりそうだという話が浮上し、それに反対する選手会がストライキを起こすという大騒ぎがあった後の話だったので、通常のプロスポーツチームへのスポンサードというレベルを超えた異常な量のコーポレートブランドの露出があった(2004年プロ野球再編問題)。おそらくあの時点で日本国内における楽天という企業名の認知度は、ほぼ100%に近くなったと思ったし、あれ以上認知を上げるマーケティング施策をすること自体合理的に不可能だと思ったので、お金の無駄だと思ってブランドの認知度調査などもしなかったので、費用対効果も殆ど計測していない。そもそも施策として全く再現性がないためありがたいと思いつつも、本来の目的である認知を上げるというポイントについてはそれほど関心がなかった。

ただ、以前Full Funnelの議論の中でも触れたが、その時に改めて感じたのは、マーケティングというのは、Full FunnelのUpper、Middle、Bottomの3階層のバランスが重要だということだ。

スポーツマーケティングで得られる権益の代表例

スポーツマーケティングというのは、多くの場合スポンサードするメリットとして3つくらいの権利を付与されることが多い。

  1. チームのユニフォームや球場内の看板、チームの広報物などでのブランドの露出
  2. 広告等でのチームの選手等の肖像権の利用
  3. 球場などでのイベントの開催等の付帯権利。

1.ブランドの露出

おそらくスポーツのスポンサード系のマーケティングの最もイメージしやすいマーケティング手法が、自社のブランドロゴをスポーツのTV中継(最近ではネット配信)やスポーツニュース・報道などを通じて露出させることである。代表的な露出場所は、選手が着用するユニフォーム、球場内の看板、また、最近多く利用されるのがスタジアムのネーミングライツの権利である。もちろん球場に来てくれたファン向けに露出するということも目的としてあるが、広告効果として大きいのは試合映像を通して露出される機会であろう。野球場やサッカーのスタジアムに行くと、壁のあらゆる部分に企業のロゴが貼り付けられたりしているのはこの目的のためである。

別の手段としては、サッカーであれば胸の部分であるとか、背中、半袖の袖口部分、パンツの腰骨の当たりなど、リーグの既定の範囲内でスポンサー企業の露出が出来そうなところは広告として販売したりする。プロ野球も昔はそれほど積極的にやっていなかったように思うが、楽天イーグルスの立ち上げ時に、売れるものは何でも売るという感じで営業したので、他のチームもそれに追随して多くのスペースをスポンサーに販売している。特にサッカーの胸スポンサーの場合は、レプリカユニフォームにも企業ロゴが掲載されて販売されるので、以前楽天が購入していたFCバルセロナの胸スポンサーの場合など、楽天のロゴがプリントされたおそらく何百万枚というレプリカユニフォームを着た世界中のチームのファンが楽天のロゴの露出に無意識のうちに協力しているということになる。

ブランド露出のスポンサーについては、まずスペース的に、ロゴ以外を掲載することが出来ないか、出来たとしてもほぼ視認性が出せないという問題があるので、ブランド認知のための施策以外ほぼやりようがない。このため、Upper Funnel施策限定の手法であると割り切った方が現実的である。いろいろな機会に、Middle Funnelに使えそうなクリエイティブの工夫などにチャレンジしたが、現実的には意図通りの効果が出せそうにも思えなかった。

近年は欧州サッカーのトップリーグなどは、ピッチ脇の看板がLEDモニターに置き換わっているため、ある程度長尺で表現することができるようになってきたので、この点では多少改善されてはいるが、それでも余り過剰にMiddle Funnel以下の効果を期待しない方がよいと思う。

そして、このブランド露出施策の最大の問題点は、効果が全く不明な事である。私は、楽天イーグルスに対する楽天グループ本社のスポンサードの統括の立場であったため、毎年球団とスポンサードの予算とそれに対する権益の内容を調整することを球団創設時から退職する前年まで行っていたため、少なくてもイーグルスの球場の大きめの露出枠というのは殆ど出稿主として体験したが、効果として実感できたものはごくごくわずかであった。

これを言うと多くのスポーツチームの営業に怒られそうであるが、ブランド露出系のスポンサードを行うのであれば、中途半端な枠を買うのではなく、可能な限り目立つものを購入すべきであると思う。少なくても1試合中継を見ていて、広告主が注意深く見て何回か目にする程度の露出がターゲットの消費者に認知される可能性は残念ながら非常に低いと思う。

もし、スポンサードを実施する場合で、小規模の枠しか購入出来ないのであれば、ブランド露出の効果以外の権益で投資回収を目指すことをお勧めする。

2.広告等での選手の肖像権の利用

選手の肖像権の利用については、競技やリーグ、チーム毎に選手との契約内容が違うので、出来る場合と出来ない場合があるが、欧米のサッカーチームと大口のスポンサー契約を締結すると多くの場合集合利用(同時に何名かを一緒に利用)であれば、スポンサー権益として利用可能というケースがある。分かりやすくいうと、FCバルセロナにメッシ選手が在籍していた当時に契約していたとして、集合利用の権利があったとしても、スポンサーの広告にメッシ選手一人を露出したい場合にはメッシ選手個人と契約しなければいけない。但し、チームにスポンサードせずに、メッシ選手個人とだけ契約するとした場合は、今度はチームのブランドを利用する権利を保有していないので、メッシ選手の露出時に、チームのユニフォームを着て露出させることが出来なくな。(バルセロナとメッシ選手の話は、世界一有名なサッカーチームと選手という意味で便宜的に例として使っているだけで、あくまで仮定の話とご理解いただきたい)。

と、選手の肖像権の利用には、非常に複雑な契約に基づいたルールがあるが、デジタルマーケティング中心のマーケティングをするケースにおいては、私はこの選手の肖像利用の権益が最も効果が計測しやすいと思う。例えば、何らかの広告で、選手権益を利用した場合と、フリー素材等で作った場合でクリエイティブのパフォーマンスを比べるなどして効果検証出来れば、ある程度数値化した効果検証をすることも可能である。

私が大手ゲーム会社で経験したサッカーゲームのマーケティングにおいては、スポンサードしている各チームのファン向けに個別のクリエイティブを作ったり、ゲーム運用において各チームごとの選手をまとめた商品を発売してそれをSNSマーケティングに活用したり等、積極的に利用することで、可能な限り投資回収を図っていた。

私は、残念ながら余り小口のスポーツチームへのスポンサードというのはしたことがないので経験はないが、おそらくこの選手肖像の利用の権利などもある一定以上のスポンサーにしか解放されていないということもあると思うので、そのあたりは契約時に確認が必要かもしれない。

3.球場などでのイベントの開催等の付帯権利

これは、契約の内容によって様々である。例えば、下記のようなものが考えられる。

  • 試合チケットの割り当て
  • VIP向けブースの割り当て
  • 球場、スタジアムでイベントを実施する権利
  • 特定の試合を「〇〇(スポンサーのブランド名)デー」のような感じで冠試合のようにする権利
  • 球場内にブースを出すなどして販促活動を行う権利

こんなものはよくあった記憶である。

一番わかりやすいマーケティング施策は、試合のチケットのプレゼントキャンペーンのような販促施策である。こういう話をしても、一定以上の年齢の人しかピンとこないが、昔読売新聞を新規で定期購読すると販売店からジャイアンツの試合のチケットがもらえたみたいな話である。

最近は、どのスタジアムもホスピタリティが上がってきたので、VIP向けのラウンジとか、個別ブースの部屋などが用意されているスタジアムも増えてきた。大口のスポンサーになると、このような施設を利用する権利なども割り当てられたりする。このような権益は、BtoBの接待的な活用の仕方もあるし、ほぼ一般のユーザーは購入できない特別なチケットなので、契約が許せば、自社のVIP顧客向けの特別なキャンペーンなどでC向けのキャンペーンとして活用しても良いかもしれない。

また、球場周りでマーケティング活動をする権利も考えられる。野球やサッカーでは、毎試合に万単位の観客があつまるため、そのような観客向けのイベントを球場で実施するのだ。リアルイベントをやると当然オペレーションに追加のコストもかかるため、自社の商材サービスが、オフラインの販促等に向いているのであれば、これらの権利を目当てにスポンサードをすることも検討可能であろう。

UpperとMiddle Funnelのバランスと連動性を考える

スポーツマーケティングの代表的な利用方法をここまでで見てきた。ハッキリ言って、大分大雑把な説明になっているが、始めてスポーツマーケティングをする方にとっては、ある程度具体的にイメージ出来たのではないだろうか?

その前提で、最後に、もう一度何のためにスポーツを自社のマーケティングに活用するのかを考えてみたい。

一つ目のブランド露出で大規模な露出枠の購入が可能の場合はまず考えるべきはUpper Funnelの認知率の向上である。もしすでにブランド認知施策を行っている場合は、そこにかかる認知度の改善単価を目標値として設定してみることは効果の判定には有効であろう。

ただし、注意が必要なのは、スポーツマーケティングのブランド露出により認知獲得の場合、本当にブランドロゴの露出しかされないことが多いため、Middle Funnel的な商品・サービスの理解促進効果はほぼ皆無であるということである。Liveでスポーツ観戦をする機会があるかたで、スタジアムで見たロゴなどで、そのブランドがどのようなサービスをしているのか全く分からない広告があったりしないだろうか?私はコロナ禍前は仕事で東京ドームに行く機会がそれなりにあったが、結構大きな看板でも、何をしているのか全く分からないブランドがあったりした。

このため、ブランド露出を行う場合の注意点は、それに見合う規模のMiddle Funnel向けの施策も同時に予算を確保し、検討すべきということである。

以前も書いたが、楽天の野球参入のケースはこの点が決定的に欠如していた。ブランド露出効果が目立つ看板を買うとかいうレベルとは全く異なる状況が突然発生してしまったので、それに見合うMiddle Funnel向けの施策の準備がなされておらず、認知度向上と企業業績の向上の連動性は十分に出し切れなかったと考えている。

これが、TVCMなどになると、それが正解かどうかは別にして、クリエイティブの作り方によってはUpperとMiddle Funnelを同時に実現する施策とすることも可能であるので、そのブランドの置かれている状況、例えば、認知が低いことが問題であれば認知を重視して、認知はそこそこあるがブランドの理解促進が足りていないのであれば理解促進を重視してなど、施策の調整をすることが可能になる。

 スポーツマーケティングのブランド露出は、このバランスがUpper Funnelに極端に偏るため、ブランド露出だけで収益増を見込んだり、ブランド露出効果でROIを計算しようとすると、全く期待した効果がでないという悲しい結果になる可能性が非常に高い。

 こういう話をすると3つ目の付帯権利とセットでと考えるかもしれないが、そのアイディアは個人的にはお勧めしない。理由は、それぞれの施策がターゲットとしているユーザー層が一致しないからだ。ブランド露出については、試合の放映などスタジアムに来ていない人が主なターゲットであると私は考えているが(広告を売っている側はそうでないかもしれないが)、スタジアム等でのオフライン系の施策はスタジアムの来場さ向けの施策である。つまり、UpperとMiddleの施策を異なる顧客群に当てていることになるため、施策の連続性、連携性に問題がある。このため、Middle Funnel向けの施策は基本的にはスポーツマーケティングの予算とは別枠で適切な規模の予算を確保して施策をセットでやる方がよいと思われる。

2つ目の選手の肖像権の広告利用の目的を中心に活用するという事であれば、自社のターゲットとする顧客層と、そのスポーツチームが選手のファン層のオーバーラップ度合いの評価を事前にすることが重要である。但し、スポーツ選手の場合、特に海外のスポーツの場合は選手の移籍のリスクが少なくないので、特定の選手1名に頼るのではなく、チーム全体で訴求できるユーザー層の評価をしなければいけない。プロセスとしては、スポーツではなく、企業のイメージキャラクターとなるタレントを選定するプロセスとそれほど大きく変わらない。

③の付帯権利を中心に考えるケースでスポーツチームにスポンサードする際の私のお勧めの考え方はエリアマーケティングである。スポーツチームは殆どの場合フランチャイズ制(呼び方はいろいろあるのかもしれないが)になっており、特定のエリアでは圧倒的な知名度と訴求力を持っていることが多い。また、スタジアムの観客動員数も全国をターゲットとすると小さな割合になってしまうかもしれないが、特に地方エリアの人口比で考えると十分な割合のターゲットユーザーにアクセス可能という見方ができるケースも多い。このようなケースにおいては、余り欲張らずに、特定のエリアに的を絞ったFull Funnelの施策を行うことの方が現実的にパフォーマンスを得やすいと思う。例えば、楽天時代に、Middle Funnelの施策の強化をするためのTVCM施策のテストマーケティング施策は宮城県で集中的に行った。そもそも、楽天イーグルスの地元である宮城県以上に楽天ブランドの相対的ポジションが高い地域があるとは思われなかったので、宮城県で上手くいかない施策が他のエリアで上手くいはずは合理的に考えてあり得ないと考えていたためである。このため、宮城県で良い反応の得られる施策を粘り強く見つけに行くという方法を継続的に模索していたというわけである。

私個人はスポーツ観戦にほとんど興味がないのでそうではないのだが、その競技に思い入れのある人はスポーツを絡めたマーケティングというのは仕事としてだけでなく、働くモチベーションとしても有意義なものになるかもしれない。単純に仕事としては華やかに見えるかもしれない。但し、今回議論してきたように、真面目にROIを追求しようとおもうと、結構難しい施策であったりする。とはいえ、野球であれば、1年でひとつのチームが100万人とかいう単位で集客を安定して実現できるコンテンツというのは他を探してもなかなか存在しないため上手くはまれば有効なマーケティングの手段として活用出来るのかもしれない。しかしその効果を実現するためには、きちんとしたFull Funnelをトータルにデザインする必要がある。状況が許すのであれば、スポンサードを決めてから施策を検討するのではなく、実施決定前に具体的な活用方法を事前に考えておけると良い結果が得られるのではないかと思う。

インフルエンサーマーケティング

SNSやYoutubeから生まれた新しいメディア

おそらくこの10年で出てきたマーケティングの手法で最も影響力があるマーケティングの手法がインフルエンサーマーケティングであろう。元々、有名人のお勧め的なマーケティングの仕方は存在したが、ソーシャルメディアとYoutubeを始めとする動画サイトの普及により、芸能人やスポーツ選手のような有名人ではなくても、情報の発信主体になることが可能になったことにより、強力な拡散力とアピール力を持つ存在がそれ以前とは全く異なる方法で生まれる環境になってきた。少し前であれば考えられないような変化である。

2023年10月の景品表示法の改正により、ステルスマーケティングが法律上も明確に禁止されたため、以前よりはやりにくくなる部分は出てくるのかもしれないし、このエリアで最も成功した企業であったUUUM社が赤字に転落し、TOBの対象になるなど一時期とは状況が変わってきているのかもしれないが、とは言いつつも、最盛期がおそらくおかしかっただけだと思うので、どこかでよい落ち着きどころが見つかり、ある程度安定したマーケティング手法として集約されていくのであろう。

私の場合は、インフルエンサーマーケティングが流行りだした当初に、比較的に有力なコンテンツがゲーム関連の動画とクリエーターであったため、2015年に帰国する少し前くらいから米国を皮切りに少しずつ実験的に利用を開始した。特に、英語圏のインフルエンサーは英語で配信するとGlobalでリーチできる訴求力があるため、なかなか無視できない存在であり、有効な活用方法を検討せざるを得ない状況であった。

では、インフルエンサーマーケティングの利点はどこにあり、どのように活用することが成功への近道なのであろうか?(なお、人材紹介会社に転職してからは殆ど活用していないので、少し情報が古いかもしれないので、基礎編くらいで考えてもらえれば。最新版は専門の方の情報を当たってください)。

  • TVなどでリーチ出来ない顧客層にアクセス可能
  • ターゲット層にピンポイントで情報を伝えられる
  • 訴求内容を詳細に伝えられる

この3点くらいが主要な特徴であるかもしれない。

TVや雑誌などでリーチ出来ない顧客層にアクセス可能

ゲーム業界でインフルエンサーを早々に無視できなくなってしまった理由が、それまで主力としていた情報発信の媒体の訴求力がYoutubeを中心とする動画プラットフォームに置き換わってしまい、ターゲット層にリーチするためにはYoutubeのインフルエンサーを活用せざるを得なくなってしまったからである。どこまで意図されたものかは不明(というかおそらく意図的ではない)だが、ゲーム業界で当初最もインフルエンサーマーケティングで成功したと思われるタイトルはMinecraftであった。それ以外でいうとFortniteRobloxなども代表例であろう。Minecraftは私がゲーム業界に入る以前からある程度Hitタイトルとしての地位を確立していたが、FortniteとRobloxがヒットする過程はほぼゼロから見ていたが、どう見ても自分がこれまでやってきたパフォーマンスマーケティングを中心とした手法とは異なる方法により大ヒットしたゲームという状況であった。特に、ゲーム業界で非常にマーケティングが難しい対象が13歳以下の子供で、米国は子供に対する広告の規制が非常に厳しいため、子供にリーチする方法が相当限られるのであるが、そのポジションを私のイメージではYoutubeが根こそぎ持って行ってしまった感じであった。そこにガッツリはまった代表例が、この3タイトルであろう。私が米国にいたころはまだMinecraft全盛期で、小学生以上の子供の親に聞くと学校中のほぼ全員の子供がスマートフォンでMinecraftを遊んで、遊んでいない時間は親が許す限りYoutubeでMinecraftのインフルエンサー動画を見ていると大げさでなく話していた。Fortniteがヒットしたのは日本に帰国後であったが、同僚に話を聞くとMinecraftで米国の小学校で起こっていたことと全く同じ現象が日本の小学校でも起こっている感じであった。

おそらく子供は代表例であるが、最近の新卒の若者とかに聞くと、一人暮らししている家にテレビを買わないというのが全く珍しくない状況であるため、今後益々既存媒体を中心にマーケティングをしていた企業はその代替手段を考えなければいけなくなる。

家にテレビがある自分の日々の生活を振り返っても、TVは決まった番組の録画しか見ないので、広告はスキップしてしまい、それ以外の時間はYoutubeかNetflixしかみない生活である。先日実家に帰ったときに84歳になる自分の父親が、毎日楽しみにしている巨人戦の試合中継を倍速で見ているのを目の当たりにして、時代は変わったものだと心から驚いたくらいなので、マーケティングの活用メディアも根本的に考え直さなければいけないと心から思った次第である。

もちろん、デジタル系の広告で代替出来ることも十分にあるが、デジタルの中心であるパフォーマンスマーケティングの手法はBottom Funnel中心であるため、Upper&Middle Funnel向けの施策の代替手段は確実に必要であり、この側面でインフルエンサーマーケティングは有効に活用すべき手法であると考えられる。

ターゲット層にピンポイントで情報を伝えられる

一口にインフルエンサーといっても、チャンネル登録者やフォロワーが何百万人以上おり、一回の動画の再生も数百万となるようなメガインフルエンサーもいれば、ニッチな情報発信をコツコツ行っているようなマイクロインフルエンサーといわれる人たちもいる。

メガインフルエンサー

もちろん、メガインフルエンサーを活用するとリーチ力、訴求力もあるため、上手くいけば非常に高いパフォーマンスを期待できる。大手ゲーム会社時代に、日本有数のメガインフルエンサーが自社のトレーディングカードゲームの大ファンであり、何度かコラボレーション企画を行った経験がある。ただ、このような特殊なケースを除くと、私自身はメガインフルエンサー系の露出には消極的である。

まず、そもそも企画当たりの値段が高すぎるという問題が単純にある。UUUMの状況を見るとすこし状況は変わってきているのかもしれないが、UUUM全盛期は、ターゲット外の自分が名前も知らない人にこんなお金を払わなければいけないのかと正直躊躇するような金額であった。

ただ、費用が消極的な最大の理由ではない。もちろん企画の作り方にもよるが、一般的にインフルエンサー施策の契約というのは一本幾らで動画をインフルエンサーに作ってもらい彼らのチャンネルで配信してもらうというものになる。多くの場合、ある程度こちらの意図と希望は伝えつつも、基本的には自己のチャネル登録者やファンに訴求できる動画を最も理解しているのはインフルエンサーであるため、最終的な動画の内容の主導権はインフルエンサー側にゆだねざるを得ないことが多い。そうすると、ハッキリ言うと当たりはずれが多くなる。それが、下手な鉄砲数う打ちゃ当たるで何発も気軽に出来るのであれば問題ないが、問題は先ほど申し上げたように一発の値段が高いので、悠長にそうも言っていられない。では、下手な鉄砲にならないように、自分たち手動で企画を作るみたいな話になるが、マーケターは動画クリエーターではないのでそこから出てくる企画は予定調和的な面白いものにならないことが多く、そのような無難ことをするのであればそもそもインフルエンサーを使うこともないということになってしまう。

マイクロインフルエンサー

メガインフルエンサーにはこのような難しさがあり、同じような課題感を持っている人が他にもいたのだと思われるが、2018年頃から、マイクロインフルエンサーを数多くやるという手法が出てき始めた。私はこの手法は3つの利点があると思っている。一つ目は、デジタルマーケティングの利点であるターゲティングを細かく設定可能であるということだ。メガインフルエンサーになると、広く女性をターゲットにできる化粧品とか、消費財とかであれば良いかもしれないが(たまたま思いついたのがハリウッドのアーティストの多くが化粧品ブランドを立ち上げるので、この例にした)、例えばゲームのように細かいセグメントがあり、セグメントごとに顧客が分かれているような業種の場合、メガインフルエンサーになってしまうとリーチできる層の中に、ターゲットでない割合が大きくなってしまう恐れがある。一方、マイクロインフルエンサーの場合は、一人一人の訴求力は弱い代わりに、訴求のターゲットの精度が正しいインフルエンサー選定が行えれば拡大に高くなるのである。

2つ目の利点は、先ほどメガインフルエンサーでは費用的に難しいといった、「下手な鉄砲」手法を比較的気軽に実施可能な事である。マイクロインフルエンサーを数多く活用することで、ゼロサムで上手くいくか行かないかというギャンブル的な施策にならないようにリスクヘッジをするのだ。また、この手法は同時並行でABテストを回すことも出来るため、どこかでうまくいった手法を別のインフルエンサーに横展開するみたいなことも実施可能である。

最後は、複数のインフルエンサーがいくつも動画を上げ、それをターゲットユーザーが見ることによって、インフルエンサー内でそのタイトルが人気で話題になっている雰囲気を出すことができるという事である。3つ目は、そんな感じがするくらいの話で、特に何の証拠もないのだが、自社や他社の手法と結果を見ながら、このような雰囲気の醸成はマーケティング的に必要な事なのではないかと感じている。

私の理解では、メガインフルエンサーは手法や媒体は異なるが、私としてはタレントを雇ってTVCMをやるのと発想としてはそれほど変わらない手法だと思っている。このため、おそらくメガインフルエンサー施策を上手くコントロールする方法は伝統的マーケティングの手法に詳しい人の方が上手にやれる気がする。

一方マイクロインフルエンサー施策は、非常にデジタルマーケティング的である。今回のターゲティングの精度という利点も、マイクロインフルエンサーでの利点として考えてもらえるとよいと思う。

  

訴求内容を詳細に伝えられる

3つ目の利点は、インフルエンサー動画の尺の長さに由来する。最近TikTokやYoutubeショートなどがどんどんポジションを強めてきているため、ある程度短めになってきているが、それでも15秒のTVCMよりは長い尺のクリエイティブを作ることが可能である。

この特性を考えると、私はインフルエンサーマーケティングが最も効果を発揮できるのはMiddle Funnelの領域であると考えている。実はこれまでMiddle Funnel向けの施策というのはUpperとBottomと比較して有効な手段がなかったように思う。UpperはTVCMなどでお金をかければ何とかなる。Bottomはデジタルマーケティングの誕生によりこの20年でもっとも効率化したマーケティングの領域であろう。これに比べてMiddle Funnelというのは余りこれという有効な手だてが少なかった気がする。あるとしたら、TVCMなどでブランド名よりもサービス内容の訴求を厚くすタイプのクリエイティブで絞りに絞り込んだ訴求点を15-30秒の間にやり切るくらいであろうか?もちろん、それ以外にも、サンプリングで実際に体験してもらうであるとか、街頭やイベントなど集客力の高い場所で体験型の施策を行うなどの手法も検討可能である。しかし、このようなリアルイベントも場合によっては有効であるが、例えば認知をTVCMで全国で獲得しているとしたら、その受け皿の施策がそのようなオフライン体験会のようなものであれば受け皿としては貧弱で、ファネルが急に絞り込まれすぎてしまう。

このように考えると、インフルエンサー施策というのは、ある程度その人物とそれなりのリレーションがあるユーザーが視聴してくれるため、多少長尺でも見てもらえる。これにより商品・サービスについての詳細な情報を伝えることが可能となる。もちろん、それを説明口調で棒読みされても面白くないので、そこはクリエーターに工夫してもらわなければならないが。

このような意味でも、インフルエンサーの選定はきちんとターゲティングにあったものでなければいけない。さらに理想的なのは、トレーディングカードゲームの例で紹介したように、そもそもそのインフルエンサー自体がビジネスとしてお勧めするというよりも、契約以前から商品・サービスのユーザーであったり、新商品・サービスであったとしても、本当に良いものだと思ってもらえているとなおよいということになる。もちろん、多くのインフルエンサーはプロフェッショナルとして活動しているのできちんとパフォーマンスはしてくれるはずだが、やはり普段から使ったり、体験したり、勧めたいと思っているものとそうでないものというのは分かるものだし、そもそも説得力が違ってくるからである。

Full Funnelの問題点を明確にして有効に活用する!

ここまで見てきたように、インフルエンサーマーケティングというのは新しい手法であるが、非常に可能性が高い手法である。但し、インフルエンサーが紹介したことで爆発的にヒットした商品のような成功事例を見たりすると、インフルエンサーマーケティングをすればそれだけで物が売れると思ってしまう人がいるかもしれないが、それは過剰な期待である。実施を検討するときは、そもそもFull Funnel全体の中で現状何が問題で、その問題を解決するためにインフルエンサーの活用が適切なのかどうかを必ずロジカルに検討しなければならい。そのロジックがあることで、インフルエンサーに対して明確なオリエンテーションが初めて可能になる。また、そのプロセスが正しければ、インフルエンサー施策の効果検証をするポイントも明確になるであろう。

多くの場合、Upper&Middle Funnel向けの施策になるはずなので、御多分に漏れず効果検証は難しいかもしれないが、少なくても何に気を付けてチェックしなければいけないかは、これまでの議論を読んできた読者の方であれば判断できるであろう。

正直、私のようなおじさんマーケターには、特に若いターゲット向けのクリエイティブが良いのか悪いのかは判断がつかないことが多い。全くいいと思えないコンテンツが良いパフォーマンスを出したり、良いと思うものがパフォーマンスを出せなかったり、予想の精度はハッキリ言って低い施策であることは確かである。しかし、だからといって無視してよい存在では決してない。特に若年層や子供向けのマーケティングには欠くべからざる手法である。是非、いきなりメガインフルエンサーに投資するようなギャンブルはせず、デジタルマーケターの得意技の小さな失敗を早く、意図を持って行うという鉄則にしたがって、自社にあった活用法を考えてみて欲しい。

コンテンツマーケティング

中長期視点でMiddle Funnel向けに行うコンテンツマーケティング

コンテンツマーケティンはオンライン上で自社のターゲット顧客向けのコンテンツを作成、配信することで、顧客とのタッチポイントを構築する手法と理解されている。メルマガやSNSでの情報配信との線引きは曖昧であり、厳密に何がどちらに属するかは明確に定義されていない。ただ、私の理解では、既存のCRM施策というのは多くの場合、CTR、CVRなど即効性のある効果を狙って実施されることが多いのに対して、コンテンツマーケティングは必ずしもそのような即効性のある効果検証指標だけで判断されることが少ないことが多い気がするので、その辺でなんとなく切り分けたら良い気がしている。

私の感覚ではコンテンツマーケ的な手法はそれ以前にもあったが、手法として認識され、現場でこの言葉が流通し始めたのは2015年に米国から帰国した前後くらいの記憶なので、たぶんこの10年くらいだと思う。

一口にコンテンツマーケティングといっても、手法は様々である。テキスト中心コンテンツを展開するパターンや、Youtubeの企業公式チャネルなどで独自の配信番組を作成方法、メルマガなどで単なるセールや登録促進ではなく読み物コンテンツを中心とした内容を配信することなどもこの手法のカテゴリーに分類されるであろう。

そもそも、何故コンテンツマーケティングなる手法が脚光を浴びるようになってきたのかと考えると、デジタルマーケティングの主な手法パフォーマンス広告とCRMが先に述べたように短期的な成果を重視したもので、中長期目線で顧客とのタッチポイントを作りたいであったり、直ぐに商品の購入やサービスの利用とはならなくても、リード顧客との接点を企業側としても確保したいというニーズが発生したためであると思う。このため、コンテンツマーケティングの手法はFull Funnelの3段階でいうMiddle Funnel向けの施策として機能するケースが多いことになる。

コンテンツマーケティング手法毎に目的と効果検証指標を明確化

おそらくこの点で大きな異論は出ないと思うので、ここではコンテンツマーケティングをMiddle Funnel向けに商品サービスの興味関心を喚起し、理解を促進する手法であると位置付けて以後の議論を進めていくこととする。

まず、コンテンツマーケティングで考えなければいけないのは、目的・狙いを明確にしたうえで、その活動の成否をどのように計測、分析、判断するのかという点である。これまでにも何度も議論してきた通り、Bottom Funnel以外の施策については、毎回問題になるポイントである。コンテンツマーケティングをMiddle Funnel向けの施策と位置付けた場合、その効果測定をBottom Funnelの購買転換や利用登録などの指標に求めるのは適切とは言えない。また、現実的にBottom Funnelと同じ指標で効果検証をすると、残念ながら既存のBottom Funnel向けの施策の方が効果が高かったり、コンテンツマーケティングのROIがネガティブになってしまったりすることがそれなりの確率で発生する。

また、コンテンツマーケティングというのは単発のコンテンツによって一気にMiddle Funnel向けの効果を狙うというよりは、コンテンツを蓄積していくことにより、効果が発現していくことも多いため、この観点からも短期の指標での効果検証とは平仄が合わないということになる。では、どのように解決するかについては、コンテンツマーケティングの具体的な手法の話の後で、もう少し具体的なイメージを持ってから話をしたい。

 他にも手法はあるかもしれないが、私が経験した代表的なコンテンツマーケティングの手法は、下記のようなものである。

  • Youtube等での番組配信
  • 事業の周辺の話題に関するコラムコンテンツ
  • コンテンツ系のメールマガジン
  • SNSでのコンテンツ配信

Youtube等での動画番組配信

最近の日本におけるYoutubeを中心とした自社メディアでのコンテンツマーケティングの代表例はトヨタが行っている「トヨタイムズ」であろう。トヨタイムズの場合は自社サイトにテキストからYoutube動画まであらゆる形態のコンテンツを活用しているが、ぱっと見た感じYoutube動画が中心に見える。この例は、お金のかけ方が半端ないので、トヨタ以外の企業の参考になるのかどうか不明だが、Youtube等での動画の配信系のコンテンツマーケティングの代表例としては分かりやすいであろう。

規模は全く違うが、ゲーム業界などは、この動画系のコンテンツ配信を積極的に行っている業界であると思う。一般の企業よりは、ゲームショウや専門媒体などで、ゲームのクリエーターや広報/マーケティングの担当者の露出が多めの業界で、場合によってはユーザーに対して自社の社員の知名度がそれなりにあるケースなどもあるので、実施が実施しやすいというのもあるのかもしれない。

また、同じ動画配信といっても、PCやスマートホンを使って会社の会議室等からカジュアルに配信するものから、収録スタジオを使って生配信するケース。さらには、事前にスタジオ収録して編集してから配信するケースなど、コストのかけ方も様々である。当然今あげた3つの例で言えば、後者になるほどコストは増大していく。

これは動画に限ったことではないが、自社でコンテンツを作成して配信する最大のメリットは、第3者の編集が入らないため、自社で言いたいことを漏れなく伝えることができる点である。TVのような既存メディアのNews等で取り上げられる場合など、撮影で話した内容のうち番組の制作サイドの意図に沿うものを彼らの必要な長さで切り取られることになるため、自社が話した内容がどのように放送されるかは基本的には放送結果を見るまで確認できないし、結果として意図通りのメッセージが伝わらないことも多い。自社コンテンツの場合は、この心配はそもそもないし、コンテンツの長さも顧客に視聴してもらえるかは別にして、理論上はどれだけ長くても実施可能である。

ゲーム会社の場合などは、新商品の発売前等であれば、商品の特徴を表すネタを発売までのスケジュールに合わせて、どのメディアで何時、何を言うかというプランを作成し、自社配信番組などで、割り当てられた新着情報を盛り込んだコンテンツを作ったりする。

Free to Playのゲームの場合は、コンテンツ配信後に、今後のゲームの運営予定の情報などを詳細に既存ユーザーに伝える場として活用されることが多い。

効果検証の指標としては、前者の新作ゲームの場合などは、動画配信の視聴数やその新着情報を情報ソースとして露出された媒体の露出量などを自社で実施している広報・PRの効果検証指標を用いて評価することが検討可能かもしれない。後者の既存ユーザー向けの施策については、ゲームへの休眠ユーザーの復帰数であったり、既存ユーザーの継続率などが指標になるかもしれない。

動画の場合は、どの程度のクオリティで制作するのかで、期待するリターンの大きさが大きく変わってくる。外部にスタジオを借りて、制作スタッフも外注したりすると、30分程度のコンテンツを制作するのに数十~数百万円程度の費用がかかってしまったりするので、それなりのリターンを期待せざるを得ない。一方、社内の会議室等で撮影するということにしてしまえば、おそらく数十万円レベルの機材を一度揃えてしまえば、あとは自社の人件費の範囲内で実施することも可能である。

先ほど紹介したゲームの効果検証指標をみてもご理解のとおり、収益との関連性を明確にしやすい効果を期待することは困難なことも多いため、その点を考慮したコンテンツの制作費を検討するのが良いと思う。

事業の周辺の話題に関するコラム系テキストコンテンツ

私が直近の医療福祉系の人材業などでやっていたのは、介護や看護、保育などの現場で働く方々に役立つような内容のコラムを月に何本を決めて配信するコラムコンテンツメディアの提供をマーケティング活動の一貫として実施することであった。このコンテンツの狙いとしては、表裏で2つあり、表の理由は本業では転職という通常数年に1回しか需要が発生しないビジネスにおいて転職活動期以外にもタッチポイントを持ち、自社のブランドをターゲット顧客に認識してもらう、好印象を持ってもらうことである。テキスト系のコンテンツについてはこれ以外にも、コンテンツSEOの効果を裏ミッションとして狙っている場合もある。SEOについては話し出すと長くなってしまうし、私の専門ではないので詳細は避けるが、簡単に言うと、ターゲットユーザーが検索エンジンで検索しそうなキーワードの検索結果に上位表示されるようなコンテンツを自社で保有して、自社コンテンツの露出を増大させる手法である。検索エンジンでたくさん検索されるということは、ターゲットユーザーの関心が高いコンテンツであることを意味するため、コンテンツの内容とトラフィックの獲得という一挙両得の施策になる可能性は高い。

ただ、この施策の問題点は、競合関係が激しい業界であったりすると、コンテンツの独自性を出すことが難しかったりするため、早い者勝ちで先行者利益が大きい可能性が高いということである。他社がやって上手くいっているからと追随しても開始時点でのビハインドがあるため、キャッチアップするのが難しいことが多い。さらに、これをコストをかけて強引にキャッチアップしようとすると、施策に即効性がないことが多いので、少なくても短期的にはROIをポジティブにすることは難しいケースが多く、今度は長続きしなくなる危険がある。私がいた医療福祉系のコンテンツマーケティングの代表的な成功事例は、看護rooという看護師向けの情報サイトであるが、これを後追いで追い越すのはなかなか手ごたえのある仕事であると思っていた。

競合がすでにある程度先行している場合は、あまり力を入れないか、ニッチな需要を狙ったコンテンツの開発から始めてみると良いし、すでにある程度ポジションを持てている会社の場合は、その優位性を維持する継続投資は少しずつでも実施することが重要である。

テキストコンテンツによるコンテンツマーケの場合は自社サイトのトラフィックであるため、ある程度トラッキングが可能なことが多い。このため動画等よりは指標設定もしやすいケースが多い。具体的には、例えば商品購入やサービス利用の転換は中長期施策であることを考慮して、通常のBottom Funnelの施策よりも計測期間を長くしてトラッキングしてみることで、施策の目的にあった時間軸で効果を検証してみることが出来るかもしれない。例えば、転職でBottom Funnelの効果検証を2カ月くらいでしているとしたら、コンテンツマーケティングは6か月で見るなど設定して、過去事例のデータから2カ月目から6か月目の転換者数の換算レートを把握して、2カ月目で6か月後の予測値を出せれば、Bottom Funnelとの費用対効果の検証を同じ指標で行うことができるかもしれないというようなアイディアである。

コンテンツ系のメールマガジン

コンテンツ系のメールマガジンの施策については、コンテンツの内容はひとつ前のコラム系テキストコンテンツ型の場合とそれほど変わらない。異なる点はコンテンツのデリバリーの方法である。コラム型テキストコンテンツの場合はコンテンツSEOを代表として、トラフィックが外部から何らかの形で流れてくるのを待たなければならない。よほど大きな自社トラフィックがない限り、コンテンツを出したからといって、いきなり多くの読者を獲得できるということは望みにくい。一方、コンテンツ系メルマガの場合は、すでに自社にメールを送れるユーザーデータベースがあるのであれば、Push型でコンテンツをユーザーのもとに送り届けられるため、短期間で読者の獲得を期待することが可能である。

コンテンツ系メルマガの利点は、通常のメルマガ施策からユーザーの目線を少し変えてみる効果にあると考えている。例えば、ECサイトのメールマガジンになると、今週のセール商品であるとか、ポイントが何時から倍付ですよとか、即効性を求めた販促施策のようなコンテンツがどうしても中心になってしまう。そこに、例えば、商品の開発秘話であるとか、購入後の手入れの仕方であるとか、直ぐに物を買ってくださいという話だけでなく、自社商品をより深く知ってもらう、長く愛好してもらうようなリレーション作りのコンテンツを配信することで、長期的に顧客と良好な関係を気づく切っ掛けとしてもらうことなどは、例え短期のリターンがなくても有効である可能性が高い。

また、現実的な運用として、コラム系コンテンツとコンテンツ系メルマガでコンテンツを使いまわすことなども十分検討可能な場合も多いので、運用フローを整備して、一挙両得を狙うことなども検討可能かもしれない。

効果検証指標としては、例えば顧客との良好な関係という事でいえば、メールの開封率の改善であったり、Webに遷移させてコンテンツの通読率などが通常の販促コンテンツよりも改善していることが確認出来たりすると、狙い通りの効果があると判断できるかもしれない。

しかし、これについても即効性はないため、定期的にコンテンツメルマガの開封者とそうでないメルマガ会員との一人当たり購入金額の差分を計測するなどの長期効果も確認してみるとより施策の効果を実感出来るかもしれない。

SNSでのコンテンツ配信

SNSを活用したコンテンツマーケティングもメルマガ系の施策同様、テキストコンテンツのデリバリー方法の違いによる派生形と考えてもよいかもしれない。

例えば、コラム系テキストコンテンツを作成したら、そのページへのリンクをFacebookやXなどで配信して、顧客誘導するなどはアイディアとしてありかもしれない(Instagramはこのような目的では利用しにくい)。SNSにフォロワー数が蓄積されていれば、コンテンツの閲覧数をある程度計算できるようになるであろう。

一方で、コラムコンテンツのようなWebサイトを持たず、SNS単体でコンテンツマーケティングをする場合は、SNS上に掲載に適したコンテンツ量には限りがあるため、コンパクトで需要のあるコンテンツ企画ができないと厳しいのかもしれない。正直、この辺は得意分野ではないので、具体的なアイディアはないのだが、Web上で成功事例などを見つけて、参考にしてみてもよいかもしれない。

メルマガ系施策との違いといえば、効果検証が大きいかもしれない。SNSのフォロワー、読者の個人情報はなかなか取りにくいのが現状であるため、特にSNS内で閉じたコンテンツマーケティング施策をしてしまうと、施策の効果検証が難しい。SNSマーケティングの説明でも効果検証の困難性は議論した通りだが、何らかの方法でメルマガ系施策と同様のトラッキングが出来ないかの手法を工夫してみるとよいかもしれない。

Bottom Funnel 中心の会社はコストをかけ過ぎずに細く長く

ここまでで、コンテンツマーケティングの代表的な手法を見てきたが、総じて言えるのは、あくまでも長期的な施策として即効性を求めないという事だと思う。即効性を求めすぎると、結局はBottom Funnel施策に近づいていき、最後には同化してしまうと思う。デジタルマーケでBottom Funnel施策に馴染めばなじむほど、頭の切り替えが難しいのだが。

私は、このためにも、コンテンツマーケティング施策もSNSマーケティング施策同様、中長期施策として細く長く、コストをかけ過ぎずに行うことが現実的にはよいとおもっている。効果検証が難しいオフライン系の施策を実施していた会社がその予算をコンテンツマーケティングに回すということであればその限りではないのかもしれないが、Bottom Funnel中心にやってきた会社には、間違いなくその方が中長期的な成果を得るところまでたどり着ける可能性が高くなると思う。

※トヨタイムズについて

コンテンツマーケティングという視点では、最初に例に上げたトヨタイムズのチャレンジは相当注目に値すると思っている。トヨタイムズが立ち上がってから長期で海外に滞在してゆっくりテレビを見る機会もないので海外の事情は分からないが、少なくても日本市場においては、トヨタはマーケティングの予算の多くをトヨタイムズに集約し、個別の車種のTVCMなどは殆どやめてしまったように見える。

私が既存の大手広告代理店と頻繁にコミュニケーションしていた2010年前後の大手広告代理店のトヨタへの対応の体制などをみると、おそらく日本で最大級の広告宣伝費を使っていたことは間違いないので、その予算の中心であったと思われるTVCMの費用を自社メディアの開発とその宣伝活動に振り替えたのであれば、おそらく日本のメディア史上類を見ない規模の新規メディア開発のプロジェクトだと思う。おそらく、事業会社のコンテンツマーケティングという枠を超えて収益メディアまで枠を広げてもメディアの立上げとしては史上空前の規模であると思う。

目的・狙いは、今回議論した内容に近いものだと思うが、TVCMを自社メディアの宣伝に切り替えてしまった決断を見ても、短期視点でもTVCMよりもコンテンツマーケティングの方が効果があるとある程度確信が持てたのだろうと思う。

内部情報はないので、外から見た範囲でしか言えないが、ちょっと普通では考え難いマーケティングの実験だと思うので、動向を見守りたいトピックスである。

SNSマーケティング

SNSにより情報拡散量が圧倒的に強化された

デジタルマーケティングと言いながら、最近はやりの手法に殆ど触れていないので、その辺についても私の考えを述べることにする。ただ、正直言うと、この辺の手法については、成功体験がそれほどあるという分けではないので、私の経験から、それぞれの手法について考えなければいけないことの注意点の纏めくらいのレベルの話だということでご理解いただきたい。

まず、始めに取り上げるのはSNS系のマーケティングである。Facebook、Instagram、X(旧Twitter)などを使ったマーケティングである。FacebookとXは出てきて20年くらい経っているので新しいという表現も正しくない気がするが。

まず、SNS系のマーケティングについて考えなければいけないポイントは、そもそも何を目的にやるのかということだ。SNSに限らず、Blogや、古くは無料ホームページサービスなどインターネット誕生は、それ以前と比べて個人や、メディア以外の一般企業が世の中に向けて情報を発信することを著しく容易にした。但し、SNSの誕生以前の手法は情報の拡散性という点に限界があり、HTMLを勉強して何らかの情報を発信するWebサイトを作ってみたが、全く誰も見に来てくれないなどということは 良くある話であった。SNSというのは、そもそもソーシャルグラフ(この言葉もほとんど聞かなくなったが)と呼ばれるインターネット上に構築された人と人、組織と人の相関関係をデータ化したネットワークと情報発信メディアを組み合わせることによって、個人や企業が構築したソーシャルグラフに対して情報を発信する事で、それ以前に比べて格段に拡散能力が高まるという状況になった。さらに、このSNSの特徴的なのは、ある人のソーシャルグラフに対して発信された情報が、その参加者が持つ別のソーシャルグラフに展開されるということが連鎖的に起こることがあり、場合によっては情報が自己のコントロールを越えて指数関数的に情報が拡散される。

マーケティング的に考えれば、これが良い方に働けば、特にマーケティング費用をかけることなく自社の商品サービスが話題になり大成功しましたという話になる。典型的な例がインスタ映えするレストランやカフェが若い人に大人気になりましたみたいな話である。ただ、これは悪い方に働くこともあり、それが企業の不祥事などが想定を越えて拡散されてしまう炎上といわれるような状況になるわけである。

SNSマーケティングは継続して成果を出し続けるハードルが高い

このくらいの話は、現代社会に生きていれば誰でも知っていることな気がするが、それではこれをマーケティング的に戦略的に使いましょうという話になると、実はその手法が確立されているようには私には思えない。

なぜ、手法が確立されていないと感じているかというと、そもそもSNSの情報拡散というのは、発信者からすると意図的にコントロールすることが非常に難しいため、どこかで聞いた成功事例を自分でやろうとしたときの再現性が非常に低い場合が多いからである。どこかの企業が、SNSで情報が拡散されて新商品が大ヒットしたみたいな事例を聞いてきて、同じような施策をやってみたところで、同様なパフォーマンスを得られることが正直稀なのだ。再現性の低い施策というのは、実際に戦略的に活用することが難しいため、上手くいったときにインパクトがあることが分かっていても、活用が難しいということになりがちである。

この再現性の低さは2つ目の問題を発生させる。ROIがポジティブになり、継続的に意味のあるレベルで成果を出し続けることが少なくても私の経験上は難しいということだ。おそらくSNSの成功事例というのは比較的小規模な事業者(飲食店や小規模なメーカー)の例が多く、Beforeの段階でそれほど知名度が高くないようなケースが多い。このようなケースにおいては、スタート地点が低いので、SNSでの情報拡散による成果(顧客増)などが目に見える形で認識できることが多い。

一方で、私が仕事をしてきたような企業は(別にそちらの方が偉いというつもりはないです)、それなりの規模で継続的に事業活動を行い、マーケティング予算もそれなりの規模で実施している状況で、SNSマーケティングをする時点でそれなりの認知とサービス理解が得られている状況であることが多いため、そこに追加してSNSマーケティングでマーケティング的な効果の上積みを測定することがそもそもスタート時点のハードルとして高い状況であることが多い。それに加えて、施策の実行自体に再現性が少なく、施策の成功確率が低くなると、ROIがポジティブになり、意味があると認識される確率が非常に低くなってしまう。

もちろん、マーケターという職業をしていて、SNSはマーケティングツールとして使い物にはならないとは言いづらいので、とくにゲーム会社でマーケティングをしていた時などは、チームのメンバーとあの手この手でいろいろやってみたものの、正直言って、こうやれば上手くいくよねという成功の法則のようなものを得られた実感が殆どなかった。

SNSマーケティングの目的から考えられているのか?

こうなってくると、SNSのマーケティングで最初に検討しなければいけないのは、そもそも何のためにやっているのかという話である。

アメリカのゲーム業界のマーケティングチームには大抵、コミュニティマネージャーというポジションがあって、SNSやゲームプラットフォームのコミュニティをマネジメントする役割をになっているということになっている。始めてアメリカに行ったとき、そもそも日本のゲーム業界のことも殆ど知らなかったため、そういうポジションの人がいて、最初はそういうものかなと思って見ていたのであるが、やっていることといえばSNSをくまなくチェックして、何か問題があればレポートしてくる。それ以外は、週に何回か定期的にSNSにゲームの話題を投稿する。みたいなことをしていた。ただ、当時はぶっちゃけ売れる商品がなかったという話もあるが、それにしてもコミュニティマネージャーがやっている仕事に一人月のコストを割く付加価値があるようにはどうしても見思えず、その人が退職した以降はそのポジションの補充はその後7年くらい行わなかった。

日本に帰国後も、Twitterを中心に現場のメンバーもいろいろ工夫しながら再現性のある施策の確立のために努力していたが、パフォーマンスマーケのようなROASを計測できるほどの成果もなかなか出ず、そもそも何を目的にSNSを活用するべきなのかからいつも議論をせざるを得ない状況であった。(もちろんROIがポジティブになってしまえばそれでいいのだが)。

悩み深きメンバーが、外部のSNSマーケティングの勉強会やセミナー的なもので聞いてきた話をまとめたレポートを読んでも、どの会社の担当者も同じような悩みを抱えている感じで、どこも同じような話なのだなと思った。

SNSの利用目的アイディア4選

このように考えた時に、私なりに有効なのではないかと思うSNSの活用法の例をいくつか共有出来ればと思う。

既存顧客向けの情報発信ツール

メールマガジンの開封率などが落ちてきてしまっている場合や、アプリビジネスなどでそもそもユーザーとのタッチポイントがメールやSMSなどで作れない場合などの既存顧客向けの情報発信ツールとしては有用性が高いと思う。ゲームアプリなどはアプリストア側にしか利用者の個人情報がなく、アプリにアクセスしてもらうか、プッシュ通知をOnにしてもらうかしないとユーザーとのタッチポイントが全くなくなってしまうため、アプリへのアクセスがなくなってしまったユーザーとの接点としては有効であると思う。

このようなタッチポイントが出来ていれば、システム障害による緊急メンテナンスなど万が一の時の情報発信媒体としても活用することが可能である。

特に、大企業になり、多様な商品群を持っている企業など、個々の商品の細かいトラブルの情報発信をコーポレートのメディアで行うのは全社的な印象もよくないということもあるので、ひとつくらいは商品・サービス毎に活用可能なメディアは既存顧客向けに保有しておいてもよい。

ユーザーとの双方向のコミュニケーションの場

この役割を担うようになると、メディア運用のレベルが一段上がってしまうが、SNSの双方向性の特性を活かして、双方向のコミュニケーションをサービス提供者とユーザー間で持つ場として活用するというアイディアはあり得る。しかし、この利用法のリスクは、個々の顧客とのやりたりが公表される形で行われるため、対応を失敗すると負の情報が拡散され、炎上という結果になることもあり得る。このため、運用スキルが要求される点は理解が必要である。

ただ、ゲームのようなデジタル系の商材などは、顧客との物理的な接点を持つことが殆どないため、ユーザーの声を聴く機会を持てることは有意義であったといえる。

広告効果の改善サポート

以前、SNSマーケティングの効果を何らかROIで換算できないかと試行錯誤している中で、これなら上手くいくかもと話していた施策が、パフォーマンス広告の効果改善を計算出来するというアイディアだ。少し前だが、Xのリターゲティング広告について、X上でリツイートキャンペンをしていてターゲットユーザーに対して露出度が高まっているタイミングで、CTRやCVRに改善がみられるという効果が期間差分の検証で見えてきた事例があった。おそらく、広告がリターゲティング広告でサービスの離脱ユーザー向けであったため、Xのフォロワーとのオーバーラップが大きかったというのが原因な気がするが、同じ既存ユーザー向けのタッチポイント構築という意味では効果が発現したロジックは納得感があると思う。

ナーチャリング施策

人材業界の転職のように需要が常に発生するわけではない産業の場合、顧客とのタッチポイントを需要の発生していない時期に維持し続けることは非常に難易度の高いチャレンジである。CRM施策の中でも議論はしたが、SNSをこの目的で使うことは可能性があると感じていろいろなトライをしていた。ポイントは即効性を求めすぎないことで、可能であれば、半歩くらい周辺の話題やコンテンツを定期的に配信していくような運用が良いのではないかと思う。たまに、企業SNSアカウントの成功例として、「中の人」的な担当者の個性が明確に出るようなオペレーションの事例を見かけるが、個人的には相当属人的なオペレーションになってしまうのであまりよくはないと感じており、可能な限り事業の周辺の話題やコンテンツで中長期的な関係を探るのが良い気がする。

SNSメディアの特性を理解し、過剰な期待をし過ぎない戦略を!

いずれにしても、短期で目に見える形でROIがポジティブになるような施策を再現性のある形で継続できた経験がないので、私としては、それなりの規模のビジネスでSNSのマーケティングがコストが安いからという理由で中心に据えるような戦略は実現性が低いためあまりお勧めしない。

 特に、SNSマーケティング一本足打法で成功するようなプランを作ると、話題性重視になり、ネガティブに振れるかどうかの瀬戸際見ないたところに踏み込んでいかざるを得ない可能性が高く、そこでコントロールを間違えるとリカバリーが難しいという状況に陥るリスクも否定できない。

 多くの方が感じている通り、SNSはポジティブな拡散力の数倍か数十倍のレベルでネガティブな拡散力の方が強いので(公には申し上げられないが、Globalで数年間ネガティブな状態が続くという体験して非常に苦労した経験があるため)、その観点からも、SNSマーケティングに過剰な期待を込めたビジネスプランを作ることには、リスクを感じてしまう。

 追加して、SNSのネガティブに関連して、多くの会社が社員の個人アカウントも含めて、SNSの発信のコントロールに苦労していると思うので、この点についても簡単に意見を述べたい。企業によっては、非常に厳しいSNS発信のルールを作って、必ず本社のPR部門などがすべてのSNSでの発言をチェックして、リスク管理をするというようなケースもある。もちろんリスクを極小化したいのであれば、そのような手法も有効であると思う。しかし、私の経験で、そのような方法で運用してSNSマーケティングが成功する事例は殆ど見たことがない。そもそも、SNSというメディアの特性を最大限発揮できるスピード感やカジュアルさから発想がかけ離れているからだ。私は、そのような発想でSNSマーケティングをするのは、ハッキリ言って間違っていると感じる。別に流行りのマーケ手法を全部使わなければ恥ずかしいということは決してないので、そのようなリスクコントロールを厳格にしたい会社は無理にSNSマーケティングをしなくても良いと思う。SNSマーケティングの負の側面を相当体験したため、企業の業態によってはそのリスクを負いたくないという発想に間違いはないと思うので。

ロジックを越えたもの

組織のパフォーマンスを上げるために必要なもの

50歳近い昭和のおじさんからすると、最近の仕事をする環境は本当に優しくなったなという感じがする。ワークライフバランスとか、コンプライアンス(まあこれは昔から重要だが)、〇〇ハラスメントなど、昔はなんとなく許されていたことが、だんだん許されなくなってきたりする。正直面倒くさいなと思うことも多いが、女性の社会進出を促進するとか、少子高齢化の改善のために男性の育児参加を促進するとか、そもそも健康的な人生を送るためとか、いろいろな理由から致し方のない事なのかもしれないとは思し、ある程度は必要だと本当に思っている。

 一方私は、ここで議論しているように、自分の部下にはData is God!だとか、ロジカルに考えろとか、なんとなくスマートに仕事をすることを推奨しているため、普段からそのような事ばかり重視している人間のように思われている気もする。ただ、実はどっぷり昭和なので、必ずしもそれだけではいけないと思っている。

ということで、今回は少しいつもと視点を変えて2つのキーワードについて考えてみたい。「愛」と「気合」である。

ストーリーとしての競争戦略」という本が爆発的に売れてすっかり人気(?)経営学者になられた楠木健という先生が一橋大学にいるのだが、この先生が昔どこかの雑誌か何かのエッセーで書いていた話が今考えると大変面白い内容であった(ネットでいろいろ検索したのですが、上手く見つけられなかったので、見つけられた人はご連絡ください)。

その内容は組織と愛の関係性みたいな内容であった。記憶の中から内容を要約するとこんな感じである。

「人が何人か集まってひとつの組織を作る。マネージャーは組織を円滑にマネジメントするために、役割分担を決めたり、目標を決めたり、ルールを決めたり、論理的にいろいろ考えて、実践をしていく。何か上手くいかなければ、その改善をして、何とか組織が上手く回るように必死で考える。そのうちにだんだん組織が円滑に回るようになって、パフォーマンスが上がってくる。上手くいきだすようになった、真面目なマネージャーはなぜ自分の組織が上手くいっているのかもう一度論理的に理由を考えてみる。しかし上手くいきだしたタイミングと、自分がうった打ち手のタイミングは一致せず、なぜ上手くいきだしたのかが説明できない。

こんなことは、結構いろんな組織でよくあることなのではないか?組織というのは、論理的に説明できることだけで上手くいく行かないが決まるわけではない。論理を越えた何かも合わせて必要なことも多い。私はそれを「愛」と呼ぶことにする。」

論理的な仕組みだけでは人の集まりは円滑に動かない

たぶん、このエッセイ的なものを読んだのは20代の後半であったような気がする(もう20年以上前か。。。)。当時の私は、仕事なんてロジックが正しければ上手くと今よりも遥かに強く思っていたような気がする。ただ、確か通勤の電車の中で読んだこの記事がいまだに私の記憶にのこっているということは、何か内容に共感するところがあったのだろうという気がする。

そして20年くらいたって、これまで多くの上司や同僚、部下と一緒に仕事をしてきて、いろいろな成功例、失敗例を見てきたが、今の私にはこの内容がとても心に響くのである。

例えば、人材育成のパートでも話したが、ロジカルに短期的なパフォーマンスの最大化を図ろうと思えば人材育成などとても出来るとは思えない。人を育てようと思えば、その人の可能性を信じ、多少チームのパフォーマンスが悪くなっても、自分で考えて正解を見つけるまで辛抱強く見守らなければならない。それはロジックでは説明しにくい話である。

もっと身近な話でいえば、隣の人が何か業務で困っている。これを解決したところで、自分の業務のパフォーマンスと評価が上がることはない。では貴方は手伝わないであろうか?ロジカルに考えるだけの人であれば本当に手伝わないであろう。何の得もない。でも、私であれば、私の助けが役立つのであれば、ある程度は手伝ってあげても良いと思う。

組織が円滑に回るというのは、実はそういうロジックを超えた小さな何モノかの積み重ねであったりする気がする。チームの構成員全員が隣の人に興味を持たず、自分のパフォーマンスを最大化することだけ考えて組織は本当に上手くいくのだろうか?

私の経験では、そのようなチームは短期的なパフォーマンスをあげられたとしても、中長期的にパフォーマンスを維持することが難しい。

もちろん、組織がうまくいくかどうかのメインの要素は間違いなくロジックである。それを否定してしまっては、私がここで書いていることなどほぼすべてが無価値になってしまう。貴方の組織には、「愛」はあるだろうか?別にそれを「愛」と呼ぶのが嫌であれば別の言葉でもよい。「志」「思い」「優しさ」「気遣い」・・・。表現の仕方はいろいろあるだろう。でも、どんな表現でもいいが、ひとつの組織が上手く回るためには、論理的に説明のつかない何かは必要なはずである。

この話は是非、真面目に勉強して自分が賢いと思っている人には、一度考えてもらいたい。

サッカー日本代表選手がよく言う「戦う気持ち」とは?

ロジックではない似たような話をもう一つしたい。よくサッカーの日本代表の選手がワールドカップなどの国際大会の際に話しているのを聞いていると、「戦う気持ちが大事」みたいな言葉をよく聞く気がする。これを、昭和のスポ根的な言葉で分かりやすく言うと「気合と根性」ということになる。私のようなおじさんたちの「最近の若者は、、、」話で良く嘆かれていることの大半は、この「気合と根性」が足りないという話に帰結している気がする。

では、この「気合と根性」というのは一体何なのであろうか?おじさんたちがいうように、本当に必要なのであろうか?それとも、昭和の遺物なのであろうか?それであれはなぜ、ワールドカップで戦う若いサッカーの日本代表選手たちは「戦う気持ちが大事」などというような発言を公の場でするのであろうか?

まず、日本代表の選手たちの「戦う気持ちが大事」発言を冷静に考えてみよう。大前提として確実なのは、決して彼らは「戦う気持ちがすべての要素の中で一番大事」とは決して言っていないだろうということである。もし、この気持ちが一番大事なのであれば、サッカーを一度もしたことのない人でも、死ぬほど日本代表にワールドカップで勝って欲しいと強く思っていて、その気持ちは日本で一番だという人が現れたら、その人は日本代表のメンバーとしてワールドカップの試合に望むべきだということになってしまう。でも、この論理には誰がどう考えても同意する人はいないであろう。

では、この発言をもう少し詳細に背景も含めて表現するとどうなるであろうか?たぶん、こんな感じである。

「これまで日本代表のメンバーになるために、各選手は厳しい鍛錬をつみ、技術を磨いてきた。今日ピッチに立つメンバーは日本で最も優れた技術とフィジカルを持った選手の集まりである。試合に備えて、自分たちの戦術も洗練させてきたし、相手チームの分析も十分に行ってきた。最高のメンバーが最高の監督、コーチとともに最高の準備をしてきた。全員が戦う気持ちを持って、これまで準備してきたことをピッチ上で表現することが大事である。」

真面目にサッカーをしたことなど1秒もないが、おそらくこんな感じの話が背景にあると思う。ここで重要なのは、戦う気持ちが大事というのは、あくまでそれまでの十分な準備と、そもそも各個人に長い努力の末に培われたスキルや体力があるという大前提で、それを余すことなく出し切るためには戦う気持ちが大事であるということだと思う。つまり、気合と根性が最後のエッセンスで必要だと表現しているだけであって、決してそれが一番重要であると言っているわけではないのである。

「気合と根性」をなんでも解決できる魔法のツールとして使わない

しかし、「気合と根性」が好きな人というのは、たまに「気合と根性」だけで何とかなると思っている頭が筋肉みたいな人がいることも否定しないが、多くの場合、気合と根性を最後のエッセンスとしてのせる土台のスキルとか体力というものの説明をするのが非常に下手なことが多い。普通に考えて、長い時間をかけて、組織内で相対的に高いパフォーマンスを出し、人を束ねる立場にある人物が、何のスキルもなく気合と根性だけでその地位を得ているということは殆どない。必ずベースとなるスキルのようなものが備わっているはずなのにである。

 もう一つ欠点としてよく見るのは、「気合と根性」が好きな人は、パフォーマンスが悪くなると、その原因分析をきちんとする前に「気合と根性不足」を原因として指導してしまう傾向が強いということである。

では、なぜそのようなことが起こるのであろうか?もちろん、「気合と根性」好きな人の資質による部分も大きいが、一番大きな原因は、スキルとか体力は短期間で飛躍的に成長することは難しいが、気合と根性は気持ちの持ちようみたいな部分があるので、短期で改善できるように感じてしまうからである。

私が仕事をしていて「気合」という言葉をよく使うのは事業計画を作る時である。おそらく殆どの会社において、事業計画を作る時に遭遇するシチュエーションは、ロジックを積み上げた時に見えているKPIの目標では足りないとなって、もう少し上方修正できないかというものである。こういう時の対処法は、追加の改善余地を探し、そのパラメータを修正して目標値に近づけるということになるが、あるポイントからそれ以上数字をいじると単純な数字遊びになり実現性が下がっていくということになる。

このため、私の場合は、論理的に進められるところまではロジックで積み上げていくが、それ以上の改善を求められた時には、細かく数字をいじることをやめて、一律で数%上積むということをする。私はこれを「気合予算」と呼ぶ。正直、この「気合予算」を乗せざるを得ないケースはそれなりの頻度で存在する。しかしそれは、最後の数%の話だと思っている。それまで論理的に洗練されたオペレーションを作ってきた部署であれば、普通に考えて論理的な積み上げの限界値を一気に20-30%改善するなどということは考えずらい。このため、そのレベルで上積みされた予算というのは、私からすれば「気合が乗った予算」ではなく、「実現不可能な予算」になってしまっているということになる。

と考えれば、よく予算未達の原因が最後の頑張りが足りなかったとか言っているときに、理由付けとなるのは予算の未達が数%の範囲内のケースででなければならない。たまに予算未達20%で数字への執着が低いなどと説明する人がいるが、これは自分の事業の未達原因を分析することを拒絶して、精神論に原因を求めてしまっている状況である。

ビジネスでの精神論はロジックに上積みする最後のエッセンス

私は、PDCAを目標達成のためにもう一段速く回せるように工夫してみるとか、データ分析をもう一段深く行って今よりも改善ペースを上げようとか、ハイレベルに洗練されたPDCAのオペレーションをさらに改善させようとおもうと、気持ちのテンションを今よりも高くして取り組みを促進するというような精神論のようは話は必要だと思っている。

特に、新規事業などでなかなか正解が見つからずに暗中模索している時などは、必ず正解にたどり着くはずと信じて、ロジックを超えて歯を食いしばって前に進むことが必要な場面は必ずある。

しかし、マネジメントをする立場の人間が必ず正しく見極めなければいけないのは、現在問題になっていることの原因のすべてが「気合」不足だからなのかという点である。間違ってもロジックに問題があるのに、そのソリューションを「気合」に求めてはいけないのである。

「愛」と「気合」という全く似つかわしくないテーマで話したが、この2つには重要な共通点があることはご理解いただけたであろうか?この二つの共通点は、ロジックを積み上げた後の、最後の成功のエッセンスだということである。「愛」と「気合」はすべてを解決する最強のツールではない。くれぐれも、定義が曖昧なことを良いことに便利に使いすぎてはいけないのである。

(番外編)なぜ楽天のグローバル化が上手くいかなかったのか?

楽天の海外展開は当初の想定レベルで成功したのか?

私が楽天を退職して大手ゲーム会社で米国に駐在している前後2-3年くらい(2010-2014年くらい)がおそらく楽天がグローバル展開を本気でやろうとしていた最盛期であると思う。その間、海外の様々な企業を1000億円単位の金額でいくつか買収するなどしていた。Viberebatesなどがその買収例であろう。私は2011年の前半に退職してしまったので、それ以降のことは内部情報は全く知らず、皆さんと同レベルプラスアルファくらいのアウトサイダーレベルの情報しか持っていないので、ここから話す内容は、私の見解ということで読んでいただきたい。もちろん内部から見たら違う見方があるのかもしれない。また、この話を述べるのは、大恩義のある楽天を批判したいのではなく、日本企業のグローバル化を考えるとても重要な学びになると考えているために書くので、その点はご理解いただきたい(気分を害される方がいたら先にお詫びいたします)。

もちろん何をもって成功したかという話はあるかと思う。楽天は公用語英語化と言い出した2010年より少し前から本格的な海外展開を始めた。まず台湾に進出して海外展開のテストマーケティング的なものをはじめ、そのあとで百度(バイドゥ 中国の検索サイト大手)と組んで中国進出も目論んだ。実は余り知られていないが、楽天が中国本土に進出したのは、それまでBtoB向けのECサービスであったアリババがBtoCのショッピングサイトであるT-Mallを立ち上げたのとほぼ同タイミングで、サービスを開始するタイミングとしては別に圧倒的後発なわけでもなかったが、現状でいえば見る影もないくらいの差がついてしまっている。その後も、私の退職後に、先ほど上げた例以外にも電子書籍のKoboや、いくつかの国で大手、中堅のECサイトやショッピングモールサイトも買収していた。その結果は、当時思い描いていたグローバル展開がができていると言えるであろうか?少なくてもYesとは言えないのではないだろうか?ちなみに、答え合わせ的に2023年の通期決算説明会のプレゼンテーション資料をみると海外事業については売上については一言も触れられず、実額の公表もなく海外事業の赤字が縮小していると言及されているだけである。もし、これが思い描いた通りに上手くいっていれば、おそらくもっと大々的に成長ドライバーとしてのアピールをするはずである。

オープンにこういう発言をすると後出しじゃんけん的に取られるので、少し気が引けるのであるが、楽天の海外展開については2011年に退職する前から結構厳しそうだなという感じがしていた。その後大手ゲーム会社で海外展開の仕事をして、その両者を自分なりに比較しながら、企業、特に日本企業の海外展開を行う際に私なりに重要だと思ったことをここでは番外編として書きたいと思う。

楽天経済圏構築の代償?

私が、楽天グループの海外展開が上手くいかなかった最大の理由は単純に動き出しが遅すぎたからだと思っている。楽天が始めて本格的に海外進出を行ったのは2008年の台湾進出からである。創業が1997年であるから、創業から11年目である。では、その間楽天が何をしていたのかといえば、日本国内で事業の拡大と多角化を行っていた。先ほど上げたIR資料の楽天の売上成長のグラフ(スライド7)を見ると、2002年にポイント、2003年に楽天証券と、旅の窓口の買収(楽天トラベルは2001年に始まっているが実は自社で立ち上げた事業は全くうまくいかず2003年に当時国内No.1旅行予約サイトであった同社を買収していまの楽天トラベルになっている)、2004年プロ野球参入、2005年楽天カード、2006年楽天経済圏構想と説明されている。正にこの時期に私はこの実行をする真ん中に近いところをウロチョロしていたので当事者的に覚えているが、楽天市場で集めたユーザーベースを活用して、日本国内で様々なネット事業を展開し、その循環のための血液としてポイントを活用するという今でいう楽天経済圏を一生懸命構築していたということになる。楽天の売上の成長軌道を見ると2004年を境に大きくジャンプしているので、この辺の買収と多角化戦略は企業成長という観点でいうとおそらくそれほど間違っていなかったのだと思う。当時の会社の状況を考えると、中にいた社員は自分も含めて相当ハードワークはしていたので、この多角化戦略の中で全力で頑張っていたと思う。ただ、今になって振り返れば(これは批判しているのではない)、この2002年くらいから楽天市場の拡大と多角化に全力を注いだ犠牲として海外展開にまでリソースが回らなかったのだと思う。そして、実は多くの日本の企業、特にネット系のサービスの企業が、グローバルに成長できない最大の理由がここにあると思う。大きなポイントは2つある。

国内事業の多角化の犠牲になる海外展開

一つ目のポイントは、いま楽天の歴史を振り返ったように、日本国内の多角化にリソース(たぶんこれは人とお金の両方)を使うことによって、単純にグローバル展開へのリソースが希薄になるか、単純に動き出しが遅くなるということが発生する。実際、私が知っている2010年前後に楽天グループが楽天市場のショッピングモールビジネスを海外展開しようとおもって展開を始めた時点で米国はもちろん、ヨーロッパの主要国においてもすでにAmazonかeBayのどちらか(殆どAmazonだったとおもうが)が、すでにECのNo.1の地位を占めており、すでによーいドンの戦いにはならない状況であった。その中で楽天は、彼らに継ぐ2-3位のECサイトを各国で積極的に買収していったが、1-2位との差が大きすぎて勝負にならないという状況であったと思う。これが、私が楽天の海外展開が上手くいかなかった理由が遅すぎたからだという最大の理由である。

2つ目のポイントは、日本国内で海外展開をする前に多角化をしすぎると、そもそも日本で行っているビジネスが複雑になりすぎて、日本の成功モデルをグローバル展開するハードルが上がってしまうということである。楽天が台湾に進出した2008年当時の楽天には、楽天市場だけでなく、トラベル、証券、カード、ポイントなどが存在していた。しかもそれぞれのサービスが当時ネット系のビジネスとしては国内のNo.1-2の地位を占めていた。では2008年にこの楽天経済圏をそっくりそのまま台湾に移植しましょうといっても、いきなり5つものネットサービスでその国内トップクラスの企業を同時に作るなどほぼ不可能に近い。ただ、実はそれが出来ないと、楽天がAmazonのようなグローバルプレーヤーと国内で何とか競争出来ている理由が成り立たない。つまり、後発のマイナーな状態で競争を挑んでも、そもそも単体のビジネスとしては競争優位性が殆どない。ハッキリ言えば、戦える武器が存在しない状態で後発で戦うという戦略論的に到底うまくいきそうもない戦いをせざるを得ないことになってしまっていたと思うのだ。おそらく、これは私の退職後に起こったことなので、あくまで推測だが、楽天もこの点に気が付いて、Globalで大きなユーザーベースを持ち、楽天経済圏的なプラットフォームを海外に作ろうと考えたのだと思う。それで買収した会社が通信アプリのViberであり、電子書籍のKoboであったのだろう。でも、この手もよろしくなかったのは、買収したサービスが業界No.1ではなく、ViberにはMetaグループのWhatsUpがおり、KoboにはAmazonのKindleがいた。つまり、飛び道具として取り込んだ武器自体にも残念ながら競争力がなく、日本における経済圏構築をグローバルで構築するための起爆剤にはならなかった。

中途半端に大きい日本市場が判断を誤らせる

ではそもそも、なぜ、このような話になってしまうのであろうか?最も大きな理由が、日本のマーケットが中途半端に大きいことがだとと思っている。人口減少とか、失われた30年とか言いながらも、日本のマーケット規模(GDP)は、去年まで世界3位、現状でも米国、中国、ドイツについで4番目の規模である。このことは日本で起業をするには大きなビジネスチャンスであるといえる。しかも、日本の場合、日本語という世界の70億人の人口のうちほぼ1/70程度の人間しか話していない超マイナー言語でサービスを提供しないと殆ど成功の可能性がないという特殊な事情があり、比較的欧米企業が進出するまでのタイムラグが存在することが多い。このため、特に日本のネット企業の多くは、米国で成功したビジネスモデルを彼らが日本に進出する前に日本で独自に展開してしまうという手法で成功するケースが比較的多い。ソフトバンクの孫さんは、この手法をタイムマシーン経営と言っていた。それほど間違っているとは思わない。

ただ、最初の第一歩目はそれでも問題ないのだが、一つ目の事業が軌道に乗り始めた後、多くの日本企業と欧米のグローバル企業では、次の一手に違いがある。私の見ている感じでは、大抵の欧米の企業は次の一手として海外展開を検討する。これに対して殆どの日本企業は、日本で成功した事業をベースに多角化展開を検討する。では、なぜこの違いが生まれるのか?私は、この選択の違いは、短期と中長期のリスク判断の読み違いなのだと思う。

そもそも、日本の多くの企業は国内マーケット向けの仕事をするスタンスでいるため、海外進出というと海のものとも山のものとも分からないという感じで、リスクが非常に高いと感じてしまう。まあ、もちろん簡単ではないしリスクも小さいわけでもないのだが。一方、国内で既存事業の周辺事業への多角化を実施しようとすると、自分の理解が深い市場であるし、皆さん大好きな「シナジー効果」も発揮できそうなので、日本国内の多角化にはリスクが少ない、もしくは、少なくてもコントロール可能なような気がしてしまう。また、リスクが少ないということは、必然的に収益化、黒字化できるスピード感も海外進出よりは早く、事業成長スピードが短期的に早められる可能性も現実的にかなり高いのだと思う。

短期視点のABテストの罠のような話はパフォーマンスマーケティングの議論で何度か述べたが、実は日本企業のグローバル展開と国内多角化の意思決定の際にも同じような話が発生している可能性は非常に高いと思う。経営者が向こう2-3年くらいの事業成長を優先すると、おそらく国内の多角化を実現する方が収益の拡大の可能性は遥かに高いと思う。この意味でこの決断は全く間違っていない。事実、そこまで明確に記憶にないが、2002-2008年くらいの楽天がドンドン多角化している当時の自分も、会社の事業が急速に大きくなり、仕事も忙しくなっていく中で、いま自分たちが行っている事業の拡大が、海外進出の機会損失とトレードオフになっているなど全く考えていなかった。むしろ、拡大していくグループを見て、これはなかなかすごいぞくらいに思っていたような気がする。私は当時は経営の意思決定をするレベルのポジションにいたわけではなく、そのサポートをするポジションであったが、当時の自分を振り返っても、この誘惑を断ち切るのは相当強固な意思がないと難しいと思う。

欧米企業が中長期視点でグローバル投資を出来る理由

では、欧米の企業、特に米国の企業が短期的な多角化の誘惑を断ち切り、なぜあのようにアグレッシブにグローバル展開することが出来るのであろうか?主な理由は3つくらいあると思う。①国内市場VSグローバル市場の規模の差の成功体験、②スタートアップの売上重視の姿勢、③グローバルな人材プールである。

国内市場VSグローバル市場の規模の差の成功体験

①の国内市場とグローバル市場の差については、米国で考えるよりもヨーロッパで考える方が分かりやすいであろう。私がいたモバイルのゲーム企業にSupercellという会社がある、Crush of ClansやCrush Royaleなど世界的に大ヒットゲームを制作、販売している企業である。この会社はどこの会社かというとフィンランドの会社である。フィンランドという国は人口わずか550万人くらいの北欧の国である。550万人というと日本の都道府県の人口ランキングでいうと7位の兵庫県と同じくらいの規模である。GDPも30兆円前後という日本と比較すると何十分の一の規模の市場の国である。モバイルゲームというのは、AppleとGoogleがそれぞれApp Store、Google Playというグローバル共通のアプリ配信プラットフォームを展開してくれているので、ビジネスとしてグローバル展開するハードルが実は著しく低くなっている。極端な話、日本国内限定で配信するか、グローバル配信するかの配信設定上の手間の違いといえば、配信対象国のチェックボックスをクリックする数の差だけである。もちろん成功するためには、ゲームのローカライズとかいろいろやらなければいけないことはあるのだが、やろうと思えば実は誰でもグローバルでビジネスが可能である。特にSupercellのように圧倒的にクオリティの高い商品を開発する力があれば、AppleやGoogleがアプリストア内で大きく露出するなど、集客のサポートまで受けられるので、マーケティングの手間も相当軽減することが出来る。

ここまで、環境が揃っていて、人口550万人の小国のフィンランドの会社が、自国向けのOnlyの商品を開発するだろうか?実際、私が会った欧米のモバイルゲーム会社で、自社のタイトルを自国市場向けのみでビジネスをしようという発想の会社は一社もお目にかかったことがない。フィンランドは極端な例であるが、それは、イギリス企業でも、ドイツ企業でも、フランス企業でもほとんど変わらない。もちろんそれは米国企業でも同じである。私が知っている限り、モバイルゲームを自国市場向けに開発している企業がそれなりの規模で存在しているのは、日中韓の東アジアの3か国だけである。しかし、日本のゲーム会社と中韓のゲーム会社で異なるのは、日本以外の2か国は国内市場と同程度かそれ以上にグローバル市場向けに投資をしている一方で、日本のゲーム会社は日本向けだけにビジネスを行っている企業が大半である。

私がいたゲーム会社の場合は、幸い海外で戦えるIPが複数あったため、グローバルにチャレンジを続けているし、同様に老舗のゲーム企業は海外の基盤があるため海外でも何とか戦えている。しかし、おそらくモバイルオリジンで立ち上がったゲーム会社で現時点でグローバルでまともに勝負出来ている企業というのは、日本にはほぼ存在していないと思う。

それは何故なのか、ハッキリ言うが、日本のゲーム会社の多くが、そもそも日本市場向けに特化した商品開発を最初からしてしまっているからである。そして、それなりの確率で、日本市場だけで投資回収が出来てしまったりする。日本のGDPは世界のシェア5%程度であるのにも関わらず、最初から95%を捨てているのである。

なぜ、そうなるのか?それは単純にグローバルで成功したときの爆発力を体験したことがないため、失っている機会損失に殆ど気が付いていないからだと思う。ちなみに、私が関わったモバイルゲームタイトルでグローバル配信を行い最大のダウンロード数があったものは累計7億ダウンロードである。もちろんユニークユーザー数ではないと思うが、それでも7億である。日本国内向けだけにビジネスをしているだけでは絶対に不可能な数字である。私は、日本市場でビジネスが成り立ってしまうという今の日本市場に中途半端な規模は日本企業がこの30年間でグローバルで圧倒的に地位を低下させてしまった大きな原因のひとつであると思う。日本企業は、サービスの開発時点からグローバル展開を見据えて事業の展開をしなければいけないと思う。

スタートアップの売上重視の姿勢

②の問題は、最近は少しずつ変わってきているのかもしれないが、日本のスタートアップに投資されるベンチャーキャピタル(VC)等のリスクマネーの企業の評価が利益の創出に寄りすぎていることに起因している。凄く大雑把にいうと、もちろん無駄に金を使うことは全く許容されないが、シリコンバレーの大手VCなどが初期のフェーズで投資先企業の評価として最も重視するのは売上の成長率であると思う。事実、GoogleもAmazonも設立からかなり長期間に渡って大幅な赤字企業であった。特にAmazonなどはその赤字の巨額さが本当に大丈夫なのかとかなり議論になっていた。それなのに、日本進出も含め強烈にグローバル展開を図っていた。もちろん利益を評価基準にすれば、自国でも黒字化していないのにグローバル展開するなど日本企業の発想からはほぼあり得ないであろう。そもそもそんなアグレッシブな事業計画を書いても、おそらく日本のVCで資金を供給し続けてくれることは非常に可能性が低いと思う。しかし、シリコンバレーのVCが狙っているのは中途半端なリターンではなく、グローバルで成功する企業を生み出すことだ。世界最大のアメリカ市場が幾ら大きいといっても世界のGDPの2割前後である。誰かに残りの8割を持っていかれてしまっては、グローバルのトップ企業にはなれない。だから、国内の黒字化よりも本当にポテンシャルがある事業であれば、売上拡大のために早期のグローバル展開を後押しする。シリコンバレーで仕事をしているとそのようなアグレッシブさを本当に身近に感じて、日米の差の大きさに愕然とした(ただ、赤字のまま資金調達し続けるというのは、調達が止まってしまった瞬間に会社はつぶれてしまうので、巨大な自転車操業のようになるので、偉そうに言っているが私は精神衛生上、シリコンバレー式の事業拡大サイクルに参戦する勇気は今のところないが)。

グローバルな人材プール

そして③の人材プールについては、それこそシリコンバレーにいると強く感じることである。よくアメリカを移民の国だと表現することがあるが、それは昔話では全くないとアメリカにいて感じた。もちろん自分も日本人としてアメリカに住んでいたが、アメリカで働いている人と少し仲良くなってパーソナルな話をするようになると、そもそもアメリカ人でない人が結構な割合で存在する。シリコンバレーという場所が、ITビジネス界のプレミアリーグみたいな場所なので、世界中の優秀な人がチャレンジしに集まってくるのだと思うが、たぶん2-3割の割合で外国人がいるような感覚だ。そのような環境で、様々な国籍の人が集まって仕事をしていると、そもそも米国外でビジネスをすることのリスクみたいなものが、実態として下げあれるのか、下がった気になるのかは分からないが、少なくても心理障壁は相当下げられるのだと思う。例えば、日本に進出しようと思ったときに、社内に日本人がいれば、分からないことがあれば彼に聞いてみようとなる。それだけでも、だいぶ違う気がする。

早くチャレンジしなければ成功もあり得ない

ここで上げた3点理由は、私の考える海外と日本の差の代表例だが、おそらくそんなにポイントはずれていないと思う。少なくても楽天が一生懸命多角化を推進しまくっていた2002-2008年くらいの時期にはがっつり当てはまると思う。

そのように考えると、メルカリなどが結構早い段階で、シンプルに海外展開を図っているのは素晴らしいと思うし、素直に応援したい。

GreeとDeNAもチャレンジしたのは素晴らしいと思った。ただ、この2社はチャレンジする相手がGoogleとAppleになってしまったので、正直戦略的に現実味がなかった気がする。たぶん数百億円損をしていると思う。でも、そもそもチャレンジしなければ、成功もあり得ないので、それは良しとしなければいけないと思う。少なくても会社が傾いたということはないのだから。

結構長々書いてしまったが、11年以上働いた楽天が結構本気で海外展開しようとして、何故あのようにあっさりうまくいかなかったのを見ていて、単純に悔しかったし、日本のネット企業のすごく重要なモデルケースであると思って、米国にいるときに考えた私の結論はこんな感じである。

いま若い人たちが一生懸命起業していて、私が若い頃よりは遥かに資金調達もしやすい環境になってきたので、そういう若い人たちに少しでもここでの議論が参考になれば良いと思う。

現地に任せるか、グローバルでマネジメントするか?

マルチローカル VS グローバル組織

前回はモバイルアプリゲームという、ある意味最も海外展開するハードルが低いケースを想定して、マーケティングチームをどのように海外展開していくのかという話をした。ただ、繰り返すがモバイルアプリゲームというのは、プラットフォーマーが集客以外はほぼ海外展開環境を整えてくれるので、マーケティングは寧ろ面倒な方で、それ以外はプロダクトのローカライズ以外は殆どビジネス上の準備が必要ないという、相当特殊なケースであると思うので、もう少し一般的にどのビジネスでも発生しそうな話題について話そうと思う。それは、マーケティングチームをどのようなときにグローバルマネジメントして、どのようなときにマルチローカルで進めるのがよいのかという話である。

この話をする良い例が、なぜ私が大手ゲーム会社時代にグローバルのマーケティングの体制を作る必要性に迫られたのかという話をすると、理解がしやすいと思うので、その話からしたいと思う。

ゲームビジネスのパッケージビジネスから運用型サービス業への転換

大手ゲーム会社において、私がマーケティングの責任者になったときの大きなミッションが、マルチローカルだったマーケティングチームのグローバル化であった。では、なぜそれ以前はマルチローカルでよく、2015年ごろにグローバル体制に変更する必要性に迫られたのだろうか?その背景には、ゲームビジネスのある変化が存在する。それは、ゲームビジネスのライブオペレーション化の進展である。一般的かは分からないが、その会社では運用開発と読んでいた。そもそも運用開発とはどういうものであろうか?ゲームビジネス業界でFree to Play(F2P)と呼ばれる無料で遊べて、必要に応じでゲーム内で後日課金をしてもらって収益を得るという形のビジネスモデルが本格化したのは2010年前後である。切っ掛けはFacebookのゲームコンテンツで、それに続いてDeNAのモバゲーがフィーチャーフォン(いわゆる、ガラケー)でのブラウザ型のF2Pのプラットフォームを作り大成功した。それ以前のゲームというのは、一部のPCゲームはそうでないケースもあったが、大半はゲームソフトの購入時にお金を払い、それ以降はただで遊び続けられるという買い切り型のビジネスであった。ゲームソフトが販売される流通形態も家電量販店やゲームショップなどのリテールが殆どであった。

それが、F2P型のビジネスになって変わったことは大きく2つである。ひとつは、流通形態がBtoCのダイレクトモデルに変わったことである。それまでは、Upper&Middle Funnel系の施策をメーカーのマーケチームが、リテールの販促系を営業とディストリビューター(卸)やリテールが行うというのが一般的だったマーケティングの体制が、いきなりメーカーのマーケティングチームが自社で顧客獲得をしなければいけないモデルに変わってしまった。もう一つの大きな変化が、ビジネスモデルが初期投資型の買い切りモデルではなく、後課金型に変わったことで、これまでほぼ全精力がつぎ込まれていた顧客獲得以外に、継続的にゲームを遊んでもらうためのマーケティングやゲームのオペレーションをしなければいけなくなった事であった。ゲームを遊び始めてから課金をしてもらうためには、当然そのゲームを遊び続けてもらっていることが大前提である。まさか、無料でインストールして面白くなくてやめてしまったゲームにお金だけ突然支払いに戻ってくるなどという奇特なユーザーはほぼ期待できないからである。

この2つの変化は、ゲーム会社のビジネスの進め方を根本的に変えてしまった。F2P以前のゲーム制作現場、特に日系のゲーム会社においては、基本的に制作現場のクリエーター手動で商品開発が行われていたという傾向が強かった。極端な話でいえば、プロデューサーが中心となって商品を企画し社内の制作会議的な場で企画を通して、予算をつける。ゲームが完成に近づき、発売のタイミングが見えてくるとプロデューサーが営業とマーケの担当者を呼び出して、このくらいの予算でこういうタイトルを作った。〇万本売らないと利益が出ないから売る方法を考えてプランをもってこい。みたいな状態であった。まあ、一番悲惨なケースを書いたが、私から見れば、ゲームの企画段階からマーケや営業が入っていないで制作サイドが作りたいものを決めている状態というだけで、ハッキリ言って程度の差くらいの話で、どのケースもこんな印象であった。もちろん、それで予想以上に売れるヒットタイトルもあれば、投資回収が出来ないタイトルも出てくる。しかし、ゲーム業界というのは、ヒットタイトルが出た時のROIは何百%とかではなく、何千~何万%ということもある当たり外れが極端なビジネスであったため、ある程度数を出して、そのうち何本かに一本が爆発的に大ヒットすればよいという昔ながらの体質がまだ残っている感じであった。この売り切り型のビジネスモデルにおいて、制作現場の最大のミッションは販売数を最大化できる商品を開発する事である。つまり、先ほどの例ではないが、極論ゲームを作り切って、発売してしまえば仕事は終わりである。私の時代にはそういうことはなかったが、昔の制作現場の話を聞くと、納品直前は何週間も会社に泊まり込んで開発して、納品したら1か月くらい代休みたいなこともそれなりにあったという話も武勇伝的によく聞いた。

しかし、F2P型になると状況が一変する。ゲームの開発を終え市場に出すというのは、開発の完了ではなく、サービスの開始を意味する。なぜなら、ゲームを遊び続けてもらうことで始めて収益が得られるからである。つまり、ゲームビジネスというのは、それ以前はパッケージソフトという商品の販売業であったものが、ゲーム体験を提供するサービス業へと変わってしまったのである。

F2P型ビジネスのグローバル化は運営開発のグローバル化

F2Pビジネスにおいて重要なKPIは、継続率と課金率と課金単価である。ゲームをローンチして、サービスが開発されると、データアナリストはユーザーの行動履歴を分析しながら、これらのKPIをどう改善していくのかを分析して制作チームにレポートする。ゲーム制作チームは、そのレポートで提示された課題や、強化ポイントを解決するためにゲームの改修を進める。このPDCAのサイクルがサービス開始以降、永遠に繰り返されることになるのである。これが、最初に話したライブオペレーション/運営開発である。

マーケティングのグローバル化の話のはずが、ゲームビジネスの歴史の話になってしまったが、実はこの変化がゲーム会社のマーケティングのグローバル化と深く関係している。

パッケージの売り切りモデルであったときは、実はマーケティングも商品発売前に大筋の情報出しの内容とスケジュールなどを各販売拠点で擦り合わせてしまい、マーケティングに使えるクリエイティブの基本モジュール的なものを揃えてしまえば、あとはマルチローカルに実施をする事で大きな問題がなかった。なぜなら、商品はすでに固まっていて基本的には変わらないので、決まったものを決まったスケジュールで目標に届くように製造、販売すれば済むことであったからである。

しかし、F2Pモデルの運営開発型サービスになると、それでは話がすまなくなる。今提供サービスのKPI状況はどのようになっていて、問題が新規顧客が足りないのか、既存顧客の離脱が多いのか、もしくは、顧客の課金単価が悪いのかなど、日々変化する状況に応じたマーケティング活動をグローバルで行わなければならなくなったのである。当然、制作チームとマーケティングチームは日々コミュニケーションをとり、同じKPIを見ながら、双方でアイディアを出し合って、ゲームの改善活動を行う。ゲームの運営は基本的にGlobal共通で進んでいくので、マーケティングもグローバルで連動させなければならないのである。

マーケティングの組織体制は事業の運営モデルに依存する

ここまでくると、本題の結論も見えてくるであろう。F2Pの運営開発型のビジネスモデルにおいてグローバル展開をしようと思うと、マーケティング部門もマルチローカルでは対応できないのである。これが、私がマーケティングの責任者に就任時に直面していた課題である。

マネジメントの観点でいうとマルチローカル型の方が負担も少なく簡単である。マルチローカルの場合は、各拠点にマーケティングスキルとマネジメント力があるマーケティングの責任者を確保することができ(日系企業の場合、実はここにハードルがあるケースが多い気がするが)、拠点間で連携が必要な最低限のコミュニケーションさえ出来てしまえば、あとはローカル毎に業務を進めれば問題はないはずである。おそらく、外資系の消費財メーカーなどはマーケティングのナレッジの共有や会社全体のマーケティングの基本方針などはあるかもしれないが、私の予想ではマルチローカル型のマネジメントで十分ビジネスは成功すると思う。

一方、マルチローカルの利点は、間違いなくそのローカルの市場にあったマーケティングが出来ることである。事業規模が多くくなり、その市場に特化したニーズを拾い上げることによる事業拡大の方が、ローカルのマーケティングチームを作ることによるコスト増よりも大きいと判断が出来るのであればマルチローカルで事業を拡大していくことがよいと思われる。外資系のメーカーなどが日本に拠点を置きローカルのチームをおいている理由も、比較的市場規模が大きいわりに、ニーズが特殊で、ローカルのメーカーと競争も激しいため、ローカルで対応しないと勝ち抜けないし、市場を逃してしまうと考えているからであろう。

これに対して、モバイルゲームビジネスのように、商品、サービスがグローバルで統一的に運用されているケースなどでは、マーケティングも必然的にグローバル対応をせざるを得ない。モバイルゲームがグローバル展開しやすい基盤を作ってくれているAppleのApp StoreやGoogleのGoogle Playのチームなどは完全にそのような対応だと思う。前回述べたように、デジタル中心のマーケティングで事業拡大できるビジネスである場合は、海外展開開始当初はなるべく少ない拠点で一元管理する方がおそらく現実的であろう。私の経験上、グローバルマーケティング型のマーケティング組織で余り拠点数を増やしすぎて本社で一括マネジメントしようとすると、コミュニケーションのマネジメントだけで相当リソースを使って、なかなか本質的なマーケティングに時間を使えなくなってしまう。単純に海外との打ち合わせをすることを考えても、労働時間長くなってしまうので(前々職では現場のメンバーに非常に申し訳ないと思っていた)、危険である。もちろん、マルチローカル型の利点である、ローカル市場の理解が高まる方がきめ細やかなマーケティングもできるようになるだろう。しかし、リソースが潤沢でない状況においては、まずシンプルなオペレーションをきちんと回せるようになることを主眼においてオペレーションを構築することをおすすめしたい。

 現実的に、日本企業においては、すべてのコミュニケーションを英語にするというわけには行かないことが殆どであるため、グローバルマーケティング体制を無理に急拡大すると、必ずどこかにコミュニケーションのしわ寄せがいくことが多い。外資系の企業や楽天のように英語でコミュニケーションすることを前提にしてしまえばこの問題は解決するのであるが、ハッキリ言って多くの会社では短期的には現実味がないと思う。現実を見ながら、徐々にローカル体制を強化していくことで済むのであれば、無理なくグローバルでのマーケティングのクオリティを上げていくことが出来ると思う。