AIに置き換わらない仕事とは?

PivotのExtreme Scienceが面白い

相変わらず本を読むことはほとんどせずに生活するという非常に怠惰かつ学習意欲が低い人間であるので、Youtubeのつまみ食いのような話でお恥ずかしい限りであるが、最近気に入っているYoutubeのコンテンツがPivotのExtreme Scienceというコンテンツである。ビジネスとかマーケティングのように、何処まで行っても理論的な正解のようなものにたどり着かないような仕事をしていると、たまに純粋科学的な、数理的に正解が証明できてしまうような世界や、自分の知識と頭脳では到底理解不能で、どういう頭の構造をしていたら、こんなことが創造・想像出来たり、理解することが出来たりするのだろうという極限の頭脳のアウトプットに触れて、刺激を受けたりする良い機会になっている。

このコンテンツは基本的に、司会者の方と、脳科学者としてメディアに比較的露出されている茂木健一郎さんがナビゲーターとなり、毎回各研究分野のトップクラスの研究者をゲストでよんで、その研究分野の最先端の研究状況を素人にも比較的わかりやすく紹介してくれるというものである。

 今回は、最近みた動画のうち、個人的に非常に面白いと思った方のインタビューにを題材にして考えたことを書いてみたい。

ぶっ飛んでいる最先端の理論物理学の世界

その人物は、理論物理学者の野村泰紀先生である。素粒子物理学であるとか、量子重量理論、宇宙論などのような、私のような文系の素人には名前を聞いても違いも判らないような意味不明な学問領域の専門家である。この最先端の理論物理学の世界というのは、おそらく天才的な頭脳の持ち主が、この宇宙の成り立ちを物理学的なアプローチで解析するという分かりやすく言うと「ぶっ飛んだ」話を数式で計算しながら議論している研究領域である。この20年くらいでそれまでの理論的常識を覆すような新しい発見が次々に行われ、ちょっと話を聞いても、「本当にそんなことあり得るのか?」というような話が連発している知的好奇心的には、とても興味深い分野である。

一般人にも分かりやすい代表例が、マルチバース宇宙論というものであり、先生の説明によると我々が生きているこの宇宙というのは、物理学的なロジックが奇跡的な均衡により成り立っている世界であることが物理学的には分かっており、その物理学的な変数のようなものが少しずれただけでも我々が住んでいる宇宙が今の形のまま存在することはできないことが分かってきている。と考えると、我々が住む宇宙が、唯一無二の宇宙であると考えるのは不自然で、宇宙というのは同時並行的に無数に近い量で複数存在し、我々はその中のたまたま我々が生きている物理法則が成り立つ一つの宇宙に住んでいるに過ぎないと解釈したほうが自然であるという考え方だそうだ。

この話を聞いただけでも、茂木先生が「ぶっ飛んでいる」といい、私もそれに完全に合意してしまうというのに多くの方が共感していただけるような気がする。

新しいアイディアを産むために必要なのは最高の頭脳

もちろん、このマルチバース宇宙論のようなぶっ飛んだ話自体にもとても興味があるので、そのうち先生の著書を読んで見ようと今時点では思っているのであるが(本当に読むかどうかは怪しいが。。。)、この話をこれ以上突き詰めて書こうと思っても、全く私の知識レベルが追いついていないので、今回取り上げたいのは、このような我々の日常生活のなかでは到底実感できないようなとんでもないアイディアがどのようにして産まれてくるのかという田中先生の職場であるカリフォルニア大学バークレー校の職場の話について書いてみたいと思う。

マルチ-バースのような突拍子もないアイディアがどのようにして産まれてくるのであろうか?そもそも理論物理学の最先端の学者の人たちの仕事というのは、ハイスペックなスーパーコンピューターで行わなければできないような膨大な計算をするというよりも、様々な思考実験のようなものをしながら、アイディアを考え、それを計算式のモデルに落とし込んでいくというプロセスが一般的であるということだ。最終的にできた数式モデルに様々なデータを流し込んで検証する際などにコンピューターを使うこともあるそうであるか、それ自体はあくまで検証のプロセスであるため、元になるアイディアを創造するというプロセス自体は分かりやすく言えば人の脳みそと紙と鉛筆があればできてしまうそうである。つまり、最先端の理論物理の研究施設をつくるために莫大な設備投資的なものをしなければならないかと言われれば答えはNoということである。

では、最先端の理論物理学の研究をするためには何が必要なのであろうか?田中先生は、優秀な人材が一か所に集まっていること、つまり、先生はご自分では仰らなかったが、分かりやすく言えば世界最先端の業績を実現しようと思えば、世界最高の頭脳集団が集められるかどうかでその成果は決まってくるということだ。事実、野村先生が率いている研究所には10名程度の教授陣がいるそうなのだが、そのメンバーにアメリカ生まれでアメリカで教育を受けた人は一人いるかいないかくらいのレベルで、アメリカの大学とはいっても、まさに世界中から最高の知能を集めているという環境であるのだろう。

 少し話はずれるが、以前にシリコンバーレーの強さがどこから来るのかという話をしたが、まさにこういう話を聞くと、最先端の研究分野において日本がアメリカに勝てる可能性は著しく低いなと思ってしまうし、その根源的な差はどこから生まれてくるのかといえば、日本のトップレベルの大学の予算規模の小ささと英語ではなく日本語で教育をしているという閉鎖的な環境が原因であると改めて思う。

ディスカッションと計算を繰り返す

話をアイディアの創造に戻そう。

では、そのような世界最高レベルの頭脳を集めたとして、その人たちは日々どのように仕事をしているのかというのが次の疑問である。なんとなく大学の先生のオフィスというと、暗い廊下に面した部屋で、そこに実験道具やら、書物がいっぱいあるみたいな部屋を想像する(ちょっと古いが、福山雅治が主演していたガリレオの研究室みたいな)が、バークレーのオフィスは全く異なるものだそうだ。

バークレーの理論物理学チームのオフィスというのは、仕切りのない広い空間にデスクが並び、壁は一面ホワイトボードになっているらしい。そして、研究者たちは、日中のオフィスにいる間は大抵そのホワイトボードの一角に数人で集まり、自分たちのアイディアについてディスカッションをしているということだ。理論物理学者というとそれこそ福山雅治のガリレオ先生のように寡黙で内省的な人が多いのだろうと勝手にイメージしていたが、実際にはかなりよく喋る人が多いそうだ。「昨日こんなアイディアが思い浮かんだ」「このアイディアは上手く行きそうなんだけどなぜか計算が合わない。何が問題なんだろう」「昨日こんな面白い話を聞いたんだけどどう思うか?」みたいな話がそこら中で起こり、議論が交わされているそうだ。

これまた日本のステレオタイプな大学の研究室のイメージは、安っぽいソファーがあって、研究生が徹夜で研究をして仮眠をしているみたいなイメージだが、それも全く異なるそうで、17時とかになるとみんなサクっと家に帰ってしまうので、いわゆる定時以降はほどんど人はオフィスにいないということである。

こういう話をすると、またステレオタイプな日本人のイメージでは、「やっぱりアメリカ人は長時間労働はしないのね」とか、「長時間労働している日本人は生産性が悪い」という話になりそうだが、先生はそれも違うと仰っていた。なぜなら、基本的にそれぞれの研究者にとってオフィスは周りの研究者とディスカッションをするための場で、そのためにオフィスに来ている。しかし、もちろん理論物理学というのは計算してモデルを作らないといけないので、話しているだけでは何時まで経ってもアイディアが新しい理論として形にならない。つまり、それぞれの研究者は、オフィスでのディスカッションの成果を毎日自宅に持ち帰り、帰宅後に自宅でその日のディスカッションの内容から浮かんできたアイディアを実際に計算して形にしているのだそうだ。その証拠に、大体翌日オフィスに来てみると、多くの人が「昨日話したアイディアを昨晩計算してみたんだけどここがうまくいかなかった」みたいな話になって、また、それについての議論が始まるそうである。その環境で、田中先生はアメリカ人の労働時間が短いとか、ハードワーカーではないなどという話は全く当てはまらないと仰っていた。

共同と一人作業の正しい使い分けとは?

この話のポイントはなんであろうか?

・新しいアイディアというのは一人で考えているだけでは産まれにくい。人間同士のディスカッションの中から産まれやすい。

・人間同士の共同作業の効率は一か所に集まる人間のレベルが高いほど新しいものが産まれる確率が上がる。

・オフィスという場は、ディスカッションのように複数人で行うべき業務を行う場所である。一人でやるほうがよい作業を複数人がいる場で行っても効率が悪い。

ということではないであろうか?

この3つのポイントに私個人は強く同意するが、今の日本のビジネスの環境を見ると、どんどんこれと反対の方向に進んでしまっているような気がしてならない。

一つ目の話は、コロナ禍で多くのビジネスパーソンが覚えてしまったリモートワーク問題である。私があまり好きではないワークライフバランス議論とあいまって、コロナ禍以降、人材採用時にフルリモートでないと人が集まらないみたいな話を聞くようになった。もちろん何らかの事象で地方エリアに居住せざるを得ず、そのエリアで自分のスキルを活かせる仕事がないというような事情がある方は別であるが、単純に家のほうが楽だからよいという発想でリモートワークをしたいという人が、それなりの割合で発生してしまっているように思う。しかし、このバークレーの話を聞いていると、何か新しいアイディアを生み出すためには、オンライン会議よりも、場を共有して、インタラクティブ性を極限まで高めたディスカッションの方が効率が良いということなのではないだろうか(もしかしたら、バークレーは野中先生が学んだ場所で、その後も長く関係を持っていた大学なので、ナレッジマネジメントの理論が理論物理学の職場デザインにも影響を与えているのかもしれない)。有名なアインシュタインが特殊相対性理論の論文を書いたときには研究機関の学者ではなく特許庁の職員で一人で研究せざるを得ない環境であったため、20世紀最大レベルの理論物理学の成果の初期の3つの論文はほぼ一人で作ってしまったそうである。つまり、必ずしも一人で新しいアイディアが作れないわけではない。しかし、アインシュタインはおそらく究極の例外のような人物で、新しい何かを生み出すためには、おそらく一人で黙々と考えているよりも、ディスカッションにより、インプットとアウトプットの高回転が繰り返される場のほうが、脳に刺激も多いので効率が良いのではないかと思っている。

それを、通勤時間がもったいないであるとか、家で仕事をしている方が融通が利く、もっとひどい場合にはサボってもバレにくいので楽(実はこの理由が正直多いと思う)、などの理由でリモートワークが多いほどよいと言っているひとは、自分が仕事の中で新しい何かを創造するという気持ちが正直足りないのだと思ってしまう。

では、サボれるみたいな低次元の話をしている人は別にして、なぜリモートワークの方が効率がよいという人が多いのであろうか?それは、一つ飛ばして3つ目のポイントとかかわってくるのだと思う。計算のように一人で集中して行うタスクについては、複数人がいる場よりも自宅の書斎(を持っている人がどれだけいるか分からないが)のような一人になれる場所の方が生産性が高いのだと思う。

つまり、本当にリモートワークのほうが業務生産性が高い人というのは、単純に一人作業が業務に占める割合が高いのではないだろうか?

AIに置き換えられない業務とは何か?

ただ、ここでまた別の問題が発生する。AIが人間の想像を超える速度で発達していく中で、一人で黙々と行う多くの業務というのはおそらくAIに置き換わりやすい業務の可能性が高い。つまり、人間が行うべき業務というのは、おそらく新しいアイディアや知識を産むようなクリエイティブな作業に集約されていくはずである。そしてそのようなスキル・能力を持たない人材は、AIにできない作業で、人間にしかできない何らかの作業(それが何かは分からないが)に、おそらく低い賃金で働かざるを得なくなるのだと思う。つまり、仕事の大半の時間を自宅のデスクでやった方が効率が良いという仕事を現在している人というのは、長期的にみるとリスクが高い可能性があるのではないかということだ。

では、そうならないためにどうすれば良いのかといえば、飛ばした2番目の話になる。つまり、自分を優秀な人が集まる高密度な集団の中におけるかどうかという話になるのではないだろうか?少数精鋭で新しいアイディアを生み出し続ける集団にこそ、自分が新しいアイディアを生み出せる機会を増やす場であり、それこそがAIに置き換えられない成果を出し続けるための法則なのであろうと思う。

2024年に50歳になった私などあと20年くらい仕事ができればと思っているが、この2年くらいのLLM系のAIの進化を見ると、5年後10年後でもどれだけ人間の仕事が残っているか怪しくなってきたのでちょっと心配になりつつある。

一方、今新卒で社会人になった20代前半の世代などははるかに進化した40年後のAIと仕事を取り合わなければいけない。AIが出せない付加価値を生み出さなければいけないのであるから、相当にエッジのきいた経験とスキルを若いうちに身につけなければいけないのではないかと思う。それなのに、リモートの方が楽で、効率が良いという理由で、仕事を本当に選んでしまって良いのであろうか?

今回は、理論物理学という超ぶっ飛んだ世界の頭脳たちが、どのようにして新しいアイディアを理論として作り上げていくのかという話の一端を参考に、私たちがビジネスをする環境について考えてみた。ビジネスとは一番遠い位置に居そうなアカデミックな世界からの刺激も、なんか新しいビジネスの形のような気がして楽しい今日この頃である。