「やる人はやる」というシンプルな事実

上原ひろみさんの凄さ

先日、J-waveを車の中で聞いていたら、音楽プロデューサーでベーシストの亀田誠治さんの番組に、Jazzピアニストの上原ひろみさんが出演していた。番組の趣旨は、ホスト役の亀田さんがゲストの上原さんに人生の転機になった曲をいくつか選んでもらい、その曲を題材に話を広げていくというものであった。

亀田さんは東京事変のベーシストとか、椎名林檎、スピッツ、スガシカオなど日本人であればどこかで聞いたことがあるであろう有名ミュージシャンのプロデューサーなどをされている方であるが、私自身はそれほど詳しいわけではないので、ゲストの上原ひろみさん中心に話をしたいと思う。

Jazzピアニストである上原ひろみさんを初めて聞いたのは、2003年の「アナザーマインド」というデビューアルバムを発売直後に買ったときなので、もう20年以上も前になる。アメリカの有名なバークリー音楽大学の在学中に米国でデビューして、逆輸入の形で入ってきて、当時の日本のJazz界では結構な話題になったので、試しに聞いてみようという感じであった。

聞いてすぐに、これは凄いピアニストが出てきたなと衝撃を受けたのを今でもよく覚えている。まずピアノがびっくりするほど上手く、特にテンポの速い曲での疾走感、気持ち良さは、似たピアニストが思いつかないような個性を感じた。また、世代的に、Jazzだけでなく、ロックやポップスも確実に聞いて育ってきているのが、作る曲からも感じられ、新しい世代のミュージシャンという感じの個性も印象的であった。

今も昔も、Jazzの中心はアメリカで、アメリカで活躍している日本人のJazzミュージシャンもそれなりの数いるのであるが、その後の彼女の活躍は、日本人かどうかなど全く関係なく、世界中のJazzファンが世界トップクラスのピアニストとして見ており、20年間世界中をライブで回りながら活躍している。

私自身も、何度かLiveを聴きに行ったことがあるが、特にアメリカに住んでいる時にホームグラウンド的なホールとして通っていたSF JazzでのLiveが最も記憶に残っている体験である。彼女の音楽を聴いていて、何故これほど人気があるのだろうと考えるのであるが、私の評価はこんな感じである。

プロのピアニストなので、当然ピアノは上手い。ただ、彼女と同じレベルのテクニックを持つピアニストが他にいないかといえば、世界を見渡せば全くいないというわけではない気がする。では、何が優れているのかといえば、私は作曲と編曲の能力だとずっと思っている。どんなに素晴らしいピアニストであっても、多くの場合万能ではなく、得意な曲のタイプ、不得意な曲のタイプがあるのが普通である。どんなにテクニックに優れていたとしても、その自分の特徴をちゃんと理解して、聞き手に自分の良さを伝えられるようにならないと、世界トップクラスのミュージシャンとはおそらく呼ばれないであろう。特に、テクニックに優れたミュージシャンの多くは、テクニックがあることであらゆる曲をキチンと弾けてしまう。私はJazzという音楽は(音楽はみんなそうかもしれないが)、どれだけキチンと弾けたかで評価されるものではなく、そのうえで表現されるミュージシャンの個性みたいなものが見えてこないと面白いものにならないと考えている。そして、それなりの確率でテクニックに優れたミュージシャンというのは、誰よりも上手にピアノを弾くが、面白くないという感じになってしまう。子供の頃に「神童」とか言われて、若くしてデビューするミュージシャンが何年に1回とかの頻度で出てくるが、意外とその後大スターにならないのは、この辺に理由があるのではないかと思う。

そんな前提の上で、上原さんである。彼女について私が素晴らしいと思うのは、自分が好きだと思う音楽、自分のピアノで伝えたい音楽というのが、相当しっかり自己認識されていて、さらに、それを作曲、編曲としてきちんと形にする能力が並みはずれて高いのではないかと思う。アルバムやLiveはオリジナル曲中心なので、作曲も自分でしていることがほとんどで、あまりスタンダードな曲は演奏しない。このため、彼女の場合、最も重要な能力は作曲能力であると思う。そもそもバークリーに留学した時もピアノ科ではなく、作曲科に進学しており、おそらくピアノの能力についてはある程度自信を持っていて、それをフルに表現するための作曲の勉強をすると当時から考えていたのかなと勝手に推測してしまう。このような視点で、現代のJazz界を見てみても、ピアノの演奏能力と、セルフプロデュース的な作編曲能力をこれほど高次元に兼ね備えているピアニストというのは私の知る限り10人もいないのではないかと思う。

さらに、彼女の場合、その音楽を表現するために選ぶバンドのメンバーが素晴らしいのもLiveを聴きに行く楽しみである。上述のSF Jazzの時はベースがアンソニー・ジャクソン、ドラムがサイモン・フィリップスと各楽器を代表するようなテクニシャンで、自分のやりたい音楽を一緒に表現できる感性とテクニックを兼ね備えた人を見抜く能力も高いのであろうし、そのような人を長期間ツアーに雇えるということは、当然それだけのギャラも払えるということだと思うので、グローバルなJazzの世界において、それに見合う評価を得ている証拠である。日本人のミュージシャンがアルバム録音の時だけ有名ミュージシャンを雇う例はよくあるが、本当の世界のトップクラスのミュージシャンを長期間グローバルなツアーに固定メンバーで帯同できるミュージシャンは少なくてもJazzでは彼女以外思いつかない。

彼女のやっている音楽は、マニア的にも高次元であるが、あまりJazzに詳しくない方が聞いても楽しめる、素直に凄いと感じやすいものなので、この話を読んで興味を持った方がいらしたら、Jazzの入口として聞いてみてはいかがだろうか?(個人的なおすすめはこちら

穐吉敏子さんというもう一人のJazzのトップミュージシャン

ここまでで、上原ひろみさんのミュージシャンとしての素晴らしさについて、素人が長々と話してきたが、当然本題はそれではない。まずは、冒頭に話したJ-waveの番組に戻ろう。番組の趣旨は、ゲストのミュージシャンに人生において転機になった曲を選んでもらい、その曲についてのエピソードを話すというものである。というわけで、上原さんも転機になった曲を4-5曲紹介していたのだが、そのうちの1曲のエピソードに非常に感銘を受けたことが本日の本題である。

上原さんが選んだ曲は穐吉敏子さんのLong yellow Roadという曲である。上原さんがこの曲を選んだ理由を書く前に、そもそも穐吉敏子さんという方がどういう人なのかを書かなければその後の話が理解できないので、まずそこから説明したい。

穐吉さんは日本人のJazzミュージシャンである。1929年生まれなので、今年96歳で現役のJazzピアニストである。戦前の満州で生まれ、日本に引き上げ後に、米軍キャンプでJazzを弾き始めたという日本のJazzの草分け的なミュージシャンの一人である。彼女のJazzミュージシャンとしての実績は、おそらく今の上原さんの世界的な評価をおそらく唯一上回れると思われるもので(別にどちらが偉い、凄いみたいな話はどうでもよい)、1980年代から90年代の前半にかけて、おそらく全米で最も評価が高かった大編成のJazz Big Bandのリーダーとして活躍された。NYの有名なJazz Clubの月曜日の夜はMonday Nightと言われ、それぞれのハウスBig BandがLiveをするのだが、彼女のバンドはBirdlandというNYでもTop5に入るであろうJazz ClubのMonday Nightで活動をつづけた歴史に残るBig Bandであった。評価の一例として1980年代前半のDownbeatという米国で最も有名なJazzの雑誌の批評家、ユーザー投票による人気ランキングで5年連続No.1を獲得したという実績を誇っている。

このように、穐吉さんが残してきたJazz界における実績だけをみても、とんでもなく凄いのだが、それ以前に人間として凄いと思うのは、彼女のそこに至る過程である。

穐吉さんは1956年に26歳で上原さんも通ったボストンのバークリー音楽大学に留学する。留学の苦労など知らない私からすれば、上原さんでも十分チャレンジであったと思うが、以前知り合いから聞いた話では、今はバークリーには結構日本人留学生がいるらしい。一方で1956年の穐吉さんの場合、日本人初の同大学への留学生であり、本当にたった一人での挑戦であったそうだ。どんな世界にもパイオニアになる人にはきっとその人にしかわからないであろう苦労があると思うのだが、1956年に日本人の女性がそれ以前に日本人が一人も踏み入れたことがない世界に、たった一人で旅立ち、挑戦するというのは、ちょっと想像がつかないくらいチャレンジングなことであろうと思う。それ以降、穐吉さんは一貫してアメリカを拠点に活動し、Jazzのど真ん中でトップクラスの評価を得続けて来たわけである。

若者への強烈なアドバイス

意図せず、日本Jazz歴史講座みたいになってきたが、今度こそ本題である。

上原さんが穐吉さんの曲を選んだ理由の話である。上原さんがバークレーに留学する少し前に、何かの機会で穐吉敏子さんとご一緒になる機会があったそうだ。上原さんは高校生の時にチック・コリアというこちらもJazz好きであればほぼ100%の認知度があるであろうミュージシャンと共演するなど、すでにJazzの専門家の間では知られた存在であったので、そのような機会があったのであろう。

そんな場で、周りにいた大人の人が、気を使ってか、穐吉さんに何かアドバイスをしてあげもらえないかとお願いしたそうだ。そして、この時のアドバイスが強烈で今も上原さんの心に刻み込まれているため、転機になった1曲として穐吉さんの曲を選んだそうだ。そのアドバイスとは、

「やる人はやる」

という一言だけであったそうだ。世界的なJazzミュージシャンが十代の若者にかける言葉としては恐ろしく素っ気なく、厳しいものである。しかし、その時上原さんはこの「やる人はやる」という一言の背後には「やる人はやるし、やらない人はやらない。他人が中途半端なアドバイスなどする必要はない。」という感じの考えが潜んでいると感じたそうだ。そのような場の社交辞令でよいのであれば「若いあなたには無限の可能性がある。夢に向かってかんばってください」くらい言っておけば当たり障りはないであろう。はっきり言って、何のアドバイスにもなっていないし、発言としてはひどく無責任である。でも言われた本人は少なくてもうれしいであろう。しかし、「やる人はやる」の一言は、上原さんのように、真意を理解し、受け止めることができたから良いものの、まだ自分の考えを持てていないような若者であれば、ひどく傷つく言葉かもしれない。

しかし、つまらない社交辞令を言ってしまいそうな私のような小心者からすると、この本気の「やる人はやる」という言葉にはその強烈な重みに圧倒されてしまう。

すべての始まりは自分の決断から

私は50歳手前まで25年間会社員をしてきた。周りに起業して成功する人もたくさん見てきた。正直、様々な成功者を見ながら、どこかで自分のほうが有能であると思わないことがなかったかといえば嘘になる。しかし、自分でもそれは虚しい負け惜しみであることは重々承知していた。結局私には25年間自分でやる勇気がなく、安全な会社員生活で満足していたのである(周りからは変わった会社員生活に見えていたかもしれないが)。でも、成功をつかめるか、つかめないかは、どんなに勉強して、経験を積んで、スキルと能力を身に着けたとしても、最終的には「やるか、やらないか」の決断をしなければ始まらないのだ。

こういう言われればすぐに分かることというのは、意外と忘れられがちだが、本質的には最も重要なことである。穐吉さんの人生を振り返れば、まさにそれを体現してきたのだと想像する。そもそも、それまで日本人が誰一人行ったことがなかったバークリーに留学すること自体も「やる」と自分で決めなければ実現しない。自分以外ベースとドラムの2名を雇えば実現してしまうトリオのバンドではなく、10数人を継続的に雇わなければいけないBig Bandをやろうという発想も多くの人が躊躇する選択肢である。しかし、おそらく自分がやりたい音楽、実現したい目標や夢のようなものを結果として残すためには「やる」と決めるしかなかったのだと思う。きっと想像できないような様々な苦労があったと思うが、「やる」と決めたのが自分であれば、それは自分で何とかするしかないのであろう。

逆に言えば、人に「やれ」と言われてやっているうちは、新しいものなど生み出せないということなのではないかともこの話を聞くと思ってしまう。これは、音楽でも、ビジネスでもフィールドは関係ない。新しいものを生み出すとか、人がやっていないことにチャレンジして結果を出すためには、誰かに「やれ」と命令されてやっているのではダメなのだと思う。自分の中に「これを実現したい」「この問題を解決したい」「これをすることが心から楽しい」というような欲求・動機がまずあって、その実現に向けて必要なことを「やる」と自分で決める。この二つを自分で決めなければ何も始まらないし、始めた後でのハードルを乗り越えるための推進力も得られないのだ。穐吉さんは経験上、それを知っているからこそ、Jazzピアニストという最終的には自分で表現したいものを自分で作り出さなければいけないという厳しい道を目指す若者に、無責任で中途半端なアドバイスなどすべきでないと思ったのではないか。

日々の業務における「やらない人」の典型例

事例として、留学とか、ミュージシャンという職業の選択とか、起業というような大げさな話のほうが分かりやすいので、そのような例を使って話を進めてきたが、この「やる人はやるし、やらない人はやらない」という話は、日々のビジネスの日常の中でも常に起こっていることである。そして、「やる人」か「やらない人」かで日々の業務のクオリティが少しずつ変わり、その日々の蓄積が1カ月、1年、10年の大きな差となって現れる。

例えば、日々のABテストを例に考えてみよう。いま同じ市場で競争している2つの会社があったとする。両社は今年度新規顧客を1万人集めなければいけない、予算は100万円で同じだとする。

会社①のマーケティング担当者は月に1回PDCAを回して、年間目標まで今150円のCPAを年末までに50円まで下げて、年間平均のCPAを100円に収める計画とたて、その目標を計画通りに実行した。しかし、年末のCPAは90円となり改善はできたが年間の平均CPAは120円となり、20%改善が足りなかった。

一方、会社②の担当者は、会社①と同様の年初計画を立て、最初の3カ月間実行したが、3カ月間の改善ペースが年初の計画に達していなかったので、PDCAの改善スピードが遅いと判断して、月2回のPDCAに倍増することにした。さらに3カ月たった時にチェックしたら無事CPA100円まで落ちていたが、改善しやすいところから改善してしまい、残りの半年で同じペースでの改善は難しいかもしれないと考え、PDCAの回数を、月3回転にして残りの半年を過ごすことにした。結果として年末はCPA50円まで下がり、年間の平均CPAも100円として無事計画を達成できた。

この2つの事例は、「やらない人」と「やる人」の違いが出ている。私の経験上、会社①の担当者に目標が達成できなかった理由を説明させると、計画通りやるべきことはやったが競合環境も厳しく目標を100%達成できなかった。ただし、CPAは150円から30円20%改善できたので、悪くない成果だと思う。みたいな感じの話をしそうな感じがする。これに対して、会社②の担当者は、当初の計画が甘かったので、PDCAサイクルを早めた話を説明するであろう。会社①の担当者も計画通り業務はきっちりこなしたので「やらない人」に分類されないと思う方もいらっしゃるかもしれないが、ここでいう「やる人」と「やらない人」の違いは、最初に決めたことをやるか、やらないかではなく、当初建てた計画を実現するかどうかで決まる。私が多く見てきた成長速度が遅かったり、仕事で成果が出せなかったりする人は会社①の担当者のようなタイプの人が多い。今回の事例でいえば、よほど将来改善できる大きな改善点を見つけられていない限り、最初の3カ月で冷静に分析すれば、このままでは年間の目標が達成できないことは分かることである。しかし、その時仕事のスタンスも変えず、問題点のアラートも出していないとしたら、それは計画を実現するコミットメント力が足りないというべきである。もちろん、このシチュエーションで会社①の担当者の上司に当たる人間が何のアドバイスや改善の指摘をしていないとすれば、それはそれで全くの無能と言わざるを得ないが、たとえ上司の指示がなかったとしても、担当者は自主的に改善の取り組みをしなければいけない。つまり残念ながら、会社①の担当者は「やらない人」である。

「やる人」というのは結果だけでなく、プロセスで最大限努力する

では、会社②の担当者が努力の甲斐なく計画を達成できなかったとしたらどうであろう。私は「やる人」に分類しても良いと思う。もちろん計画を達成することに越したことはないが、重要なのは計画を実現するために考えうる最大限の対策をして実行するかどうかのほうが遥かに重要であると考える。このような姿勢を持っている人であれば、例え今回の目標を達成出来なかったとしても、継続的に任せた仕事を改善出来、自分で考えて経験を積み、長期的な成長軌道を維持してハイスペックな人材になれる可能性が高いからである。コミットした目標というのは最大限の努力をして実現するべきだが、はっきり言うと計画を達成できるかどうかというのは、コミットした個人や組織の能力と努力以外にも、計画自体の精度という問題もあるので、マネジメントレベルでは可能な限り高い精度の計画を作る責任があるが、最終的に実現できるかどうかは中長期的な事業成長のためにはそこまで大きな問題ではないというのが私の立場である。ちなみに、優秀な人材が、上司から見て最大限の努力をして計画から10%とか20%の乖離が出てしまったとしたら、外部環境の変化に明確な理由がない場合は、はっきり言って計画を作った人間と、その計画をコミットした部門の責任者の能力の問題であると考えたほうがよいと思う。ただし、こういう話をすると、計画が実現しない原因を懸命に外部環境に探そうとする人がいるが、こういう人は典型的な「やらない人」である。

「やる」か「やらないか」という話はこの例で見てきたように、日々の業務のなかで連続的に決まってくるものである。コミットした目標や、やりたいことを実現するために、今できる最善と思われる対策を実行するかどうかが重要であり、「このくらいでいいか」と思ったときに「やらない人」に近づいてしまうわけである。もちろん、人間常に気を張り詰めていてはストレスで病気になってしまうので、メリハリは重要である。しかし、日々の業務の中で、「外してもよいポイント」と「外したら、やらない人になってしまうポイント」は区別して管理すべきである。そして、後者のポイントについては、誰にも負けないくらいやった、考えたと言えるくらいの自信を自分で持てるレベルまでやり通すことが重要なのである。

最終的には自分がやり抜いたと思える「自信」が重要

そして、最後に重要なのがこの「自信」であると思う。結局当事者でない他人は本当にその担当者が限界まで考え抜いたかどうかなど実は分かりようはない。もちろん議論をすれば、スキルのある人であればどの程度考え抜いているかを推測することはできるし、マネジメントであればそれは必須の能力である。しかし、最終的にはそれは本人にしか分からない。このため、誰に文句を言われようが、自分でやり切ったと思える「自信」があるかどうかが重要なのである。ちなみに、私自身は、これまで自分が主体的に事業会社として関わってきた業界において、マーケティングの視点からその業界を自分より詳細に、体系的に考え抜いてきた人間は退職時点で日本にはいないと自己満足的には思っていた。誰よりもデータと真剣に向き合ってきたし、分からないことがあれば、人の意見を聞いたり、データをより深く分析したりして、継続的にその業界のユーザーの動きと企業の動きを考え抜いてきたからである。少なくても、その会社で自分と同じ視点で自分以上に考えているひとはいなかったと思うし、その業界で最もデータがある上位数社のポジションにいる企業で仕事をしてきたので、私以外にいたとしても一人か二人以上は日本に同レベルの人はいないと思っていた。

私がこのような話をすると、不遜で、傲慢な人間に感じられるかもしれないが(全くそういう面がないとは言えないが)、ここで議論しているのは「事実」ではなく「自信」の話なので、ご容赦いただければと思う。

今回は、上原ひろみさんという素晴らしいJazzピアニストのインタビューで聞いた話を切っ掛けに「やる」か「やらないか」という言葉だけ聞くと少し物騒な話をした。しかし、多くのビジネスパーソンや会社を見てきて、結局は「やる人」や「やる人」が多い会社というのは成長するし、反対にパフォーマンスが低い人や会社というのは、結局は小さな「やらない」ことの連続で、外形上はそれほど変わらない仕事をしていても、上手くいっている会社とは蓄積された一つ一つの業務の精度に差ができてしまっていることが多い。もちろん最初に話した人生の重大な決断における「やる」も重要だが、そういう機会はそう何度も訪れないので、今回の話を参考に小さな「やる」を積み上げていただければと思う。