次々に生まれてくる流行のビジネス用語
四半世紀近くデジタルマーケティングをしていると、つくづく思うのは、次々産まれてくるマーケティングの「流行り言葉」に意味があるのかということ疑問である。もちろんそれは、マーケティングの世界だけでなく、ビジネスの世界ではよくある話であると思う。
この話の流れで、このような発言をすると私が嫌いなことがバレてしまうが、最近の代表例が「パーパス経営」とか「ESG経営」みたいな話である。ただ、誤解していただきたくないのは、私は企業に事業を行う目的がなくても良いと言っているわけでも、環境(Environment)への配慮、社会(Social)的な貢献や良好な関係性、ガバナンス(Governance)の効いた経営体制が必要ではないと言っているわけではない。私が嫌いなのは、このような言葉がはやると、それに飛びついて、それ以前にやっていたことを忘れてしまうような人、特に経営者が少なからずいることである。
経営学という学問は、基本的には実証科学的な側面が強い学問であるので、新しい流行り言葉が出てくる場合には、それを体現している成功事例があり、その比較対象とされる失敗事例がある。実証科学というのは、基本的には成功事例の共通点と、失敗事例の共通点を探して、成功事例の共通点Aである時、失敗事例の企業の共通として「Aがない」という状態になっていれば、Aを成功法則として認定すると考える。
つまり、実証科学というのは、はっきり言えば後付けの理論な分けである。
理論化前の企業と理論の再現者の違い
「後付け」であるということは、どういうことであろうか?それは、理論構築の過程で成功事例として取り上げられた企業の経営者や社員というのは、そもそも理論ができる前からそのような行動や意思決定を選択していたということである。その理由とは、様々であろう。先行している別の理論に影響をされていたり、誰にいわれるでもなく経営者/経営層のメンバーが自己の価値観として重要だと考えていたなどが考えられる。そして、そのような人たちは自分たちが提示、社員間で共有している価値観のようなものが「パーパス」という言葉でカテゴライズされているかどうかは、そもそも、理論が公表され、一般化される以前には考えもしていないはずである。
ところが、自然科学と経営学との違いは、理論が一般化した(流行りだした)後にうまれる。自然科学というのは、基本的には自然の法則をあと後付けで実証したとして、その理論が自然の法則を変えてしまうようなことは基本的にはない(最近の遺伝子操作などはその範疇を飛び出してしまうかもしれないが)。一方経営学というのは、その理論が世の中に広がり、「良いもの」であると認定されると、それに影響された人たちが成功法則の横展開として行動を変えてしまうという特徴がある。もちろん、経営学の役割自体が企業経営の成功法則を理論化し、他の人でも再現性のある形で一般化するということにあるため、そのこと自体は大きな問題ではない。
ただ、問題なのは、その横展開の仕方である。流行り言葉というのは、流行の初期の段階では、流行の起点となった理論(提唱者の論文や、著書)を読み、理解し、共感した人が主体であることが多いので、理論の構築者の意図に沿った形、近い形で広がっていくことがおそらく多い。しかし、流行が広まる過程において、伝言ゲームのように、その意味や内容が正しく理解されないまま、変質・変容して広まっていってしまうことが多い。結果として、ブームに乗って新しい手法を取り入れた企業というのは、残念ながら形だけの模倣をしただけで、流行を取り入れても上手くいかないという話になりがちになるわけである。
パーパス経営に至る経営学の流れ
例えばパーパス経営について考えてみよう。まず、先行理論の話から考えてみる。私自身がすべての理論をトラックしていない前提で、普通にビジネスパーソンとして生きてきた中で耳にした範囲での知識でいえば、先行していた最も影響力のあった理論、考え方は「ビジョナリーカンパニー」であろう。この本で提示されていた議論は、数十年にわたって長期的に成功している企業を統計的にピックアップし、その成功の共通点を探り出したところ、一貫した「ビジョン」が明確で、それを企業の意思決定の基本的価値観として共有し、そのビジョンに共鳴した社員は比較的勤続年数も長く、経営トップも比較的生え抜きが選ばれている。みたいな話が語られていた。さらにさかのぼれば、企業経営にミッション(Mission)、ビジョン(Vision)、バリュー(Value)が重要だといったピーター・ドラッカーにまで遡るということになる。
これに対して、パーパスという話が何処から出てきたのかといえば、アメリカの世界最大規模の資産運用会社のブラックロックのCEOであるラリー・フィンクが、2018年に企業経営者に向けて企業にとって優れた業績だけでなく、社会への貢献(=パーパス)が重要であると提示したことから始まると言われている。
おそらく、理論でも重要とされているのは、株式会社というシステム上、必然的に株主に対する投資リターンの提供が最重要視され、特に四半期ごとの業績開示に向けた短期的な業績向上に重きをおいた経営判断をする経営者に対するアンチテーゼ的な長期目線での企業戦略の一貫性をどのように担保するのかという視点であると思う。多くの経営者、特に、任期が4-5年程度のいわゆるサラリーマン経営者的な経営者が自分の任期中に良い業績を出せばよいというような視点で経営をされてしまうと、経営者が変わるたびに経営方針が変わり、長期的な企業成長のトレンドを確信できないということになってしまうわけである。
流行りのパーパス経営の実践のありがちなパターン
もちろん、細かく見ていけば、MVVとビジョナリーカンパニーとパーパス経営には理論的な違いはある。ただし、残念ながら経営理論が企業の現場で実践される場合において、そこに参加する多くの社員が、流行の初期のように一次情報を綿密に理解して、以前の理論との差異を意識していることなどほとんどない。例えばMVVは社会から自己を見たときの客観的な視点を主軸にしたものであり、パーパスは自社・自己の内部から発せられる主体的なものであるという説明がなされるが、私自身もなんとなく言いたいことは分かるが、MVVを社内で考えるディスカッションと、パーパスを考える社内ディスカッションの間に、理論家が言う客観性と主体性の違いが出るような想像が現実的にはできない。なぜなら、その実現のためには、その議論をリードする人材が相当精緻に理論を理解していなければいけないからである。
このように考えると、実際の実務の現場において、MVVとパーパスの間には、それほど大きな違いは現実問題としてはないと考えたほうがよいと思う。そして、仮にこの前提が正しいとして、経営者が、「最新の企業経営のトレンドはパーパス経営である。我が社はこれまで、近しいものとしてMVVを掲げてきたが、これからはパーパスを掲げたいと思う。よって、全社的にプロジェクトを立ち上げ、これから30年使えるパーパスを作ることにしたい。」と言い出したら、あなたはどう思うであろう。
このようなケースの場合、あり得そうな後日談は何パターンか考えられる。
①MVVが社員に共感され、実践されているものである場合
MVVがよく練られたものであり、社員の行動規範として実践され、共感も得られており、企業としても成長できている場合、MVVはその企業の実態に即したものになっている可能性が高い。その場合、新しく制定されるべきパーパスは、MVVを踏襲したものでなければならない。もちろん完ぺきな物などないので、時代や環境に合わなくなった点など改修すべきポイントがあればこれを機に変更・追加を行ってもよい。
しかし、前提となるMVVから大きく逸脱するものであってはならないし、その必要もないと考えるのが必然である。
もしそうであれば、はっきり言えば、経営トップが大騒ぎしてMVVを流行りのパーパスに変える理由があるとも思えない。
②MVVは制定されているが、特に浸透も共感もされていない
このような会社の問題点は、MVVかパーパスかという問題ではなく、そもそも会社全体の目的やビジョンが社内に提示されていない・浸透していないこと、また、それに付随する一貫した行動規範が現場で実践されていないこと自体が問題であるケースが多い。このような企業の場合、十中八九、パーパスを新たに新設したところで、MVV同様に絵に描いた餅になる可能性が著しく高い。
大体、MVVでもパーパスでもどちらでも良いが、企業がこのようなものを設定した場合、浸透セッションみたいなものが行われ、社員が集まって、MVVについてディスカッションするみたいな機会が設けられ、自分たちの会社について考える機会を作ろうみたいなことが行われる。
私もそのような会に社会人人生で何度も参加したことがあるが、大抵そのような場は高い同調圧力がみなぎり、私のように現実から見た正論で否定的なことを言い出したりすると会の趣旨から反するので、冷ややかな目で見られることになる。そして、大人な人々は、事後アンケートとかでも、「会社について、自分の仕事について考え直す良いきっかけになった」みたいなコメントを残し、経営会議でそのような集計結果が報告され、経営陣みんなで安心するみたいなことが行われるのであるが、このようなわけのわからないセレモニーに何の意味があるのか全く理解できない。
私の見てきた多くの会社で、MVVやパーパスが絵に描いた餅になっている原因は、そもそも経営者がそのような社会的意義のようなものに興味がないか、それよりも目先の業績の話しか部下にしないケースが多いように感じる。そのような状況になると、大抵現場の社員たちは、パーパスとかMVVなどどうでもよく、とにかく短期的な業績を最大化することに心血を注ぐということになるわけである。
③MVVはそれなりに浸透も共感もされているが、別のパーパスを作る場合
せっかくMVVからパーパスに変えるのであるから、今までとは違うものを作らなければいけない見たいな話になると、そもそもMVVやパーパスが何のためのものなのかという話になる。
MVVもパーパスもそもそもは、短期的な業績よりも重要な長期的な企業の存在意義を提示するためのものである。と考えれば、そう簡単にコロコロ変わるはずのものでもない。以前、企業の戦略が変わればMVVやパーパスも変わるといった経営者がいたが、この議論は、戦略が最上位に来てしまっているので、そもそもの位置づけを理論通りに理解できていないということになる。
理論の本質的な意味を理解して実践することが重要
このように考えると、ネーミングがどのように変わろうと、自社の長期視点での位置づけや価値観のようなものはそもそも流行にのって、頻繁に変えるようなものではないということになる。
私が思いつくパターンはこの3つくらいであるが、どのケースにおいても、パーパス経営という言葉が流行ったからと言って、それを自社にすぐに取り入れなければいけないということにはならないというのがお判りいただけるのではないか。
より重要なのは、ネーミングに関係なく、自社に短期業績を超えた、中長期的目線での位置づけ、価値観が設定されており、それが社内に浸透し、行動規範にまで落とし込まれているのか、社員から共感を得ているのかということに目を注ぐべきである。
そして現時点でそれができていないのであれば、MVVかパーパスかを議論する以前に、そのような視点が自社の経営に欠落している原因をマネジメントメンバーで議論すべきである。
逆に、それができていて、投資家の目線や、採用の目線で、流行りのパーパス経営を取り入れていると見せたいのであれば、既存の社員には「社会的要請で、MVVをパーパスに変更するが、私たちの事業に取り組む姿勢、価値観には何ら変更はない」と宣言すれば良いだけのことだと思う。むしろ、そのほうが、社会の流行がどう変わろうが、我が社は一貫した目線で経営が行われている会社であるという安心感が得られるであろう。
消えていったマーケティングの流行り言葉
とここまでで、私が嫌いな実態の伴わないことが非常に多いMVVとかパーパスの話を例にして話したが、同じような話は、当然私の大好きなマーケティングの世界にも山のように存在する。
例えば、SaaS(Software as a Service)という言葉があるが、昔はASP(Application Service Provider)を言われていた。どちらも、アプリケーションを個々のユーザーのPCやスマートフォンにインストールすることなく、主にブラウザや、インターフェース用の簡易的なスマートフォンアプリなどでサービスを提供するネット上のビジネスのことを指している。何も本質的でないので、誰が何時読み替えたのかは知らないが、わざわざ新しい用語を作り必要性を全然感じない。
CRM系のマーケティングの用語も、何やら同じような言葉がいっぱいある。私はCRMでいいと思うが、例えばリードジェネレーションとか、リードマネジメントとか、ロイヤリティマーケティングとか、今使われている用語でももちろん細かい定義としては少しずつ違うのであるが、もう覚えてもいない似たような用語がこの20年間でたくさんあった。私から言わせれば、見込み顧客を顧客DBにためておいて、メールなり、SMSなり、LINEなり様々なタッチポイントを経由して、収益転換させるための手法の細かなパターンの違いでしかない。
Webのマーケティング用語時点にすでに載ってもいないが、私がマーケティングを始めたことを、この辺の手法をパーミッションマーケティングと言って、業界の流行語になっていた。よく読んでみるとタダのメルマガを丁寧にやりましょうという話でしかなかったが。
良い例がないかと、Web上のマーケティング用語時点みたいなものをいくつか見ていたら、オムニチャネルマーケティングとマルチチャネルマーケティングの違いの説明をしていて結構びっくりした。そもそもオムニチャネルという言葉も、一時期の流行り言葉で、最近はほとんど聞かなくなってしまったが、25年オフラインも含めたあらゆるデバイス、媒体を使ってマーケティングをしてきたが、自分がやってきたマーケティング活動が、オムニチャネルマーケティングなのか、マルチチャネルマーケティングなのかははっきり言って全く分からないし、その違いを認識していることに全く意味を感じない。
では、なぜこのような言葉が次々と生み出されるのであろうか?おそらく、それは理論家であったり、コンサルティング会社であったり、本の著者であったりが、自分の言っていることを新しいものであるというように見せるためのブランディング、ポジショニングの明確化であろう。つまり、この流行り言葉自体が誰かのマーケティング活動の一環であるので、本質的な意味の違いが大きくないケースの多いのだろうと思っている。
言葉の本質を理解して、言葉の内容の新しさを検証する
私はこれまで多くのマーケターを見てきた。中には非常に勉強熱心で、最新のデジタルマーケティングテクノロジーの情報を、大量に持ち、教えてくれるような部下も何人も見てきた。もちろん、勉強熱心なことは素晴らしいし、そのような人が周りに何人かいると、世の中のトレンドが分かるので大変ありがたい。
ただ、そのような人がマーケターとして長期的に高次元のスキルを獲得できるかどうかは残念ながら別問題である。なぜなら、ここで事例をあげたように、新しく生み出される流行り言葉というのは、基本的には既存の物の見方を少し変えているだけで、8割がたは同じことというようなケースが多いからだ。もちろん、たまに、2年前のChatGPTのように、今後のビジネスの流れ、マーケティングのあり方を根本的に変えてしまいかねない超ド級のインパクトのあるものが紛れ込んでいたりするが。
そのように考えると、大事なことは、新しい言葉が流行りだしたときに、それが今まで自分が使っていたどの概念と近く、その違いがどこにあるのか?その違いの量は、新しい言葉として区別しなければいけないほど重要な違いなのかを考えることが重要だと思う。そして、大した違いはないとか、オペレーションの精度の違いであり、自分がやっているオペレーション精度であればわざわざ新しい言葉を使わなくても、すでに実践できているというような場合は、無理に新しい言葉など使わなくてもよいのだと思っている。
なぜなら、私の経験上、そういう言葉というのは、1-2年経つと自然と消えてなくなってしまうからだ。
流行りのビジネス用語というのは、知らないと恥ずかしい、勉強していないと思われるので、なんとなく多用しないと恥ずかしい感じがする。しかし、重要なのはその言葉の本質をどれだけ理解しているかである。言葉を知っているだけで、実践できていない人というのは、結局Input過多で、Outputが伴わないので、知識がスキルアップに結びつかない。くれぐれもそうならないように、InputとOutputのバランスを心がけていただければと思う。
※ちなみにこの文章を書くのにBuzz Word・バズワードという言葉を使わないで書くと決めて書き始めたが、なんとも不便を感じるのも正直なところである。。。